「愛車は軽トラ」という異色のプロフィールで知られるグラビアアイドルの三田悠貴。身長156cmと小柄ながら、Gカップバストを武器に存在感を放っているが、かつてはその胸の大きさがコンプレックスだったという。
切除手術まで考えた彼女を踏みとどまらせたのは、母からの愛ある一喝だった。前編では、岐阜の自然の中で育った少女時代と、コンプレックスに向き合うまでの軌跡を聞いた。(前後編の前編)

【写真】身長156cm・Gカップグラドル・三田悠貴の撮り下ろしカット【9点】

――まず、三田さんの学生時代についてお伺いしたいです。岐阜のご出身で、高校時代は生徒会長も務められたとか。

三田 はい。ただ、勉強が昔から本当に不得意で…。国語、算数、理科、社会、英語は5段階評価で1か2みたいな成績だったんです。塾に通わせてもらっても全然ダメで、中学から高校に上がるときに「行ける高校がどこもない」っていう状況でした。

――それは意外です。生徒会長を務めるくらいだから、優等生なのかと。

三田 勉強ができないぶん、生徒会や体育祭の応援団長とか、表に出ることに特化して頑張っていました。自分からやるというよりは、周りから「やれよ」って背中を押されて「じゃあやるか」ってなるタイプでしたけどね。
中学でも高校でも応援団長をやったんですけど、声がデカかったから「やれよ」って(笑)。

――活発な学生だったんですね。中学時代はバドミントン部で、県大会2位という好成績も残されています。

三田 運動神経は昔から良くて、走るのもすごく速かったです。小学校から中学校まで、ずっと選手リレーに出ていました。バドミントンは県大会で2位になって、東海大会で負けちゃいました。全国には行けなかったです。

――そもそも、どんな子ども時代を過ごされたんですか?

三田 幼いときから活発で、アウトドア派でした。私の地元は岐阜でも山の方で、電車が1時間に1本しか通ってないくらいのド田舎だったんです。だから、友達とプリクラを撮りに行くなんてことはまったくなくて、遊ぶとなったら川だったり、山の森林の奥みたいなところで鬼ごっこをしたり。そこは地元の人しか知らない場所なので、日が暗くなったら何も見えなくなるんですけど、そういうところで走り回っていましたね。

――今は武器になっているバストですが、学生時代は悩み事の一つだったと伺っています。


三田 もう、本当に嫌でした。邪魔すぎるし、自分のスタイルが隠れる服、パーカーとかスウェットばっかりずっと着ていました。今みたいに、体のラインが出る服は絶対に着なかったです。

――そのコンプレックスはいつ頃から?

三田 小学校5年生のときに胸がすごく出てきて、痛かったのでお母さんと病院に行ったんです。そしたら「成長してます」って言われて。そこからどんどん大きくなっていきました。体育の授業は大好きだったんですけど、水泳だけはコンプレックスが強すぎて出られなかったです。

――スクール水着だから。

三田 男女一緒なので見られるのも嫌だし、自分だけ谷間ができるのが無理で…。ずっと見学して、夏休みに補習を受けていました。選手リレーで走るときも揺れるのが嫌で、さらしを巻いていたんです。男子に「おい、揺れてんぞ」って言われても、その場は「見んといてー!」みたいにごまかしていましたけど、内心は「マジで嫌だ…」と思っていました。


――それは苦しい経験です。

三田 だから、下着も普通のじゃなくて、なるべく胸が飛び出ず目立たなく見えるかなと思いスポーツブラをずっとつけていました。でも胸の大きい子あるある話だと思います!

――グラビア活動をするうえでは武器になりますが、当時は悩みでしかなかった。

三田 大きいほうがいいって思う人も多いですけどね。専門学校を卒業した後は、名古屋でエステティシャンをしていたんですが、その職場の先輩に「豊胸したいから東京のクリニックにカウンセリングを受けに行く」と言われたことがあります。そのとき、私は「逆に切除したい」と言って、先輩と一緒にカウンセリングを受けに初めて東京へ行きました。それで実際に手術の予約までしたんです。

――本気で切除手術を考えていたと。

三田 でも、家に帰ってから母に「胸を切除しようと思って、カウンセリングを受けに東京に行ってきた」って報告したら、「そんなことのために骨身を削って働いてるんじゃない!」って今までに見たことがないくらい怒られて。普段は全然怒らない人なんですけど、本当にド叱られました。

――お母さんは、三田さんの体を大切に思っていたんですね。

三田 「もっと自分の体に誇りを持ちなさい!」とも言われましたね。
あと、そのとき「自分の体を武器にできる仕事だってあるんだから、もうちょっと考えなさい」と声をかけてもらって、結局手術はキャンセルしました。

▽三田悠貴(みた・ゆうき)
1998年5月7日生まれ、岐阜県出身。 R・I・P所属。短期大学卒業後、名古屋市内でエステティシャンとして勤務し、その後上京。2023年に『週刊ヤングジャンプ』でグラビアデビュー。愛車は軽トラックで、“軽トラ女子”として注目を集め、現在はグラビアを中心に、写真集やDVDなど活動の幅を広げている。

【後編】“愛車は軽トラ”グラドル三田悠貴、母の死で地元へ戻ったOL・バーテンダー時代「夢ないの?と言われて…」
編集部おすすめ