世界で初めて、“動物と交わる”を銘打ったストリップショーを行い、興行を成功裏に終えた伝説の踊り子・浜みゆきさん。その娘で、幼少期より母に随行して昭和のストリップ劇場を転々と暮らした有賀美雪さんもまた、ストリッパーだ。
劇場の楽屋での暮らしを振り返り、「人間のクズの集まり」と唾棄する彼女の、語りに耳を傾けた。
麻雀で漢字を、花札で算数を学んだ…「15歳で借金200万の担...の画像はこちら >>

学校はほとんど行っていなかった

――伝説のストリッパー・浜みゆきさんの娘として、全国津々浦々を移動されたと聞きました。

有賀美雪:そうですね。今はもうストリップ劇場はほとんどなくなっていますが、私が幼いころは全国に400程度あったのではないでしょうか。期間は興行に合わせて、10日程度で移動をするんです。

――学校は……。

有賀美雪:学歴は中卒です。といっても、ほとんど学校には通っていません。小1は行っていたはずですが、2年生以降は飛び飛びに行くくらいで。私が8歳くらいのとき、母が自分の劇場を経営するようになってからも、学校はほとんど行かなかったですね。中学も卒業はしましたが、年間15日くらいしか出席していなくて。「内申書を書くのに必要なだけの出席日数がない」と担任に言われました。

麻雀で漢字を、花札で算数を学んだ

――有賀さんは過去、雑誌にコラムなどのご執筆もされていました。数字にもお強いとか。
どこで勉強したのでしょう。


有賀美雪:不思議なことに、国語と音楽と家庭科の成績は5だったんですよね。たぶん、大人の世界にずっといて、要らない話を聞くからじゃないかなぁ……。

 ストリップの世界って、演者やその家族以外にも、いろんな有象無象がいるんですよ。薬物中毒とか、前科持ちとか、ストリップ嬢のヒモみたいなやつとか。普通の社会に居場所がない奴らの、掃き溜めっていうか。
 
 一緒に旅をするなかに、日本国籍じゃない人もちらほら混じっていて……漢字はそういう人に教えてもらったりしましたね。もう少し大きくなると、大人たちが麻雀やるのを見て漢字覚えたりね。算数は、花札で覚えた気がします。チンチロとかも、みんなやってましたから。

――その「ヒモみたいなやつ」に虐待されたりもしたとか。

有賀美雪:幼いときですね。
私が騒ぐのが気に食わないとかで。ヒモみたいな男に、階段から突き落とされて3日ほど意識が戻らなかったことがあります。倫理観とか常識なんてものはない世界なんですよ。当時は刑務所帰りの麻薬中毒者みたいな男が楽屋に入り浸っていて、小さい私は殴られるなどの虐待を日常的に受けていました。母は私を警察署に預けてくれて、そのおかげで私は生き延びることができました。

母親はショーも人生も規格外

――“動物を交わる”ショーが非常に好評を博したとのことですが、当時、有賀さんはお母様のアシスタントみたいなことをしていた。

有賀美雪:ショーで使う犬を出し入れするのは、当時3~4歳だった私の仕事でしたね。もちろん、当時は何をやっているのかわかってみていたわけではありません。だから迷子になると、交番で「おまわりさん、ママがショーをやってるから見に来てね」なんて言ったりして。でも7歳くらいになれば、だんだんいろんなことがわかってきますよね。銭湯に行けば母の刺青をみんなが見ているし、母は小指の先がないしね。

――その後、お母様は犬以外にもチンパンジー、馬とのショーを展開して成功を収めていく。

用賀美雪:そうですね。
母は発想がダイナミックで、普通のストリッパーには考えつかないようなことをやるんですよね。覚えているのは、「ハイセイコーの種が入ってる子がいいんだよな」なんて言いながら、JRAに電話して譲ってもらえないか交渉して、先方から怒られてましたね(笑)。結局、競走馬だと楽屋にも入り切らないので、北海道の牧場からポニーを譲り受けてショーをやっていたんですよね。それでもかなり大きかった気がします。

――その後、お母様はご自身の劇場を開業されるわけですね。

有賀美雪:はい。私が8歳のときに開業し、その劇場は群馬県にありました。でも、踊り子として雇っていた女性のなかに、当時18歳に満たない子が3人いたんです。それが労働基準法、職業安定法、児童福祉法に抵触するとされました。母は潔く逮捕されまして、懲役5年が確定しました。もちろん、実刑です。栃木県にある女子刑務所に入っていたはずです。
実際には、満期まではいなくて、3年5カ月ほどで出ましたが。

中学卒業後にデビューするまでの経緯

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10代中ごろの有賀さん
――ところで、有賀さんがストリップの道に進んだのは、やはりお母様のご紹介でしょうか。

有賀美雪:それが全然違うんですよ。本来は中学生くらいの年齢で、私は学校にも行かずに単車を乗り回したりしていたわけです。そのときはすでに、母は懲役から帰ってきていたのですが、私の体たらくに母が激怒して……家出をしてしまったんです。うちには父がいません。2~3週間待っても帰ってこなくて、「あぁ見放された」と気づいたんです。14~15歳で独り暮らしですよ、しかも通帳を見たら25万円しか残っていませんでした。近所のスナックで年齢を誤魔化して働いたこともあるけれど、地元の先輩が来るとバレてクビになるんですよね。

――それは困ったことになりましたね。

有賀美雪:結局、叔父(母親の弟)を頼る形で、私はストリップデビューすることになったんです。叔父もまた、ストリップ劇場につてのある人でした。母に知られないまま、この世界に入ったんです。


 最初は千葉県のストリップ劇場で稽古をしたのですが、かなりのスパルタです。当時は服の脱ぎ方を教えたりもありませんから、いきなり「舞台に出ろ」「乳を揉め」なんて言われてスパルタでね……。演者も朝から酒飲んでるお姉さんもいるし、なかなかパンチの効いた世界でした。

――デビューは名門・浅草ロック座だとか。

有賀美雪:そうなんですよ。千葉の劇場でやってたショーともまた作法が違っていて、ロック座は「見えそうで見えない」みたいなラインを楽しむらしいんですよ。私はそれを知らなかったので、最初は怒られましたね。

衰退する業界に思うこと

――お母様はその後も、警察から逮捕されてしまう。

有賀美雪:私が17歳9カ月のときでした。浅草にあるフランス座にこれから出演しようという矢先、警視庁から150名近くの捜査員が派遣されてきて、保護されたんです。実は私、5歳上の従姉の住民票を使って伊香保で芸者をしていた時期があるんです。で、それが「母親が娘を芸者に沈めて、金を抜いている」とみなされたそうで。
実際、警察官経由で聞いた話では、実は芸者受けの人に、私を担保にして200万円ほどもらっていたそうです。「だから、働いても働いても実入りが少なかったのか!」と合点がいきました。芸者は半年~7ヶ月くらいやっていたと思います。

――ストリッパーとして、昭和から現在までの変遷を知る身として、いまの業界をどうご覧になっていますか。

有賀美雪:ご承知の通り、ストリップ劇場はどんどん衰退しています。客を魅了する回転ベッドも設備がないとか、あっても壊れていて修理する業者も潰れているとか……いろいろと昔と違ってきたなぁと思う点はあります。今は本当に魅せるショーを成立させられるストリッパーが少なくなってきていることも痛切に感じます。

<取材・文/黒島暁生>

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有賀美雪


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有賀美雪


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【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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