イランの巨匠ジャファル・パナヒ監督がメガホンを取り、第78回カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。世界の映画祭で数々の賞を受け、第98回アカデミー賞の脚本賞・国際長編映画賞にノミネートされた。

イランの暴政の実態がひしひしと伝わってくる衝撃作だ。


 ある夜のこと。真面目な市民のワヒド(ワヒド・モバシェリ)が勤める工場を中年男(エブラヒム・アジジ)が訪れる。故障車の修理を求めてきたのだ。その男が義足を引きずる音を耳にしたワヒドはたちまち血相を変える。


 彼は賃金を要求しただけで政治犯と見なされ、不当に収監された過去がある。自分に拷問を加えたエグバルという看守は片足を失い「義足」と呼ばれていた。ワヒドは男をエグバルと見破って彼を尾行、拘束して砂漠で生き埋めにしようとする。


 ところが相手の男は「エグバルって誰だ? 私は去年、事故で脚を失ったばかりなんだ」と言い張る。実際、身分証には別名が記されていた。


 ワヒドの心に迷いが生じる。トラウマとして残る義足の音を聞き違えるはずがない。

しかし拷問中ずっと目隠しをされていた彼はエグバルの顔を見たことがないのだ。


 ワヒドは殺害を中止して男を木箱に押し込み、友人の指示でカメラマンのシヴァという女性を訪ねる。シヴァは結婚式を間近に控えるゴリとその花婿アリの記念写真を撮影中だ。シヴァとゴリは共に元囚人で、エグバルに深い恨みを抱いている。ここに同じくエグバルを憎む気の荒いハミドが加わり、男女5人が真実を求めて街をさまようのだった……。


 国家に反発する者を容赦なく逮捕・拷問するイラン政府。犠牲になった人々の怨念は消えることなく、むしろ時間の経過とともに燃え盛っている。そんなところに宿敵が見つかった。殺しても憎み切れないほどの恨みを抱いている。だからゴリは着替えもせず、花嫁衣裳のまま行動を共にすることになる。


 シヴァとワヒドは慎重な性格。一方、ゴリとハミドはすぐに報復したいと考えるほど逆上している。

理性派と急進派が旧敵を捕まえたとき、どのように対立するのか。間違いで人を処断してはならないという冷静さを貫くことができるのか。弾圧された良民の苦悩と葛藤の物語だ。



フィクションでありながら、イランの実情を告発する物語

 パナヒ監督は国家体制を疑う作品を製作したため長らく映画製作を禁じられ、2度にわたる投獄を経験した。本作は2回目の収監の折に刑務所で出会った人々との交流からインスピレーションを得て製作された。フィクションでありながら、イランの実情を告発するストーリーなのである。


 今年2月28日、トランプとネタニヤフがイランへの攻撃を開始し、最高指導者のハメネイ師を殺害した。これに対し、国際法を無視した侵略戦争だとして世界中でトランプへの抗議デモが起きた。そんななか、在日イラン人や米国のイラン系住民がトランプのイラン政策を支持する集会を開催して「サンキュー・トランプ」と感謝を伝えた。


 国際法の遵守が重要なのは言うまでもない。だがその一方で本作に見られるようなイランの強権的圧政も現実だ。だから現体制を否定し、あるいは弾圧を受けた人々はトランプの蛮行を正しいと評価している。

イラン人ならぬ筆者は複雑な思いで双方の主張を受け止めるしかない。


 我々の日本も高市早苗政権によってスパイ防止法が導入されようとしている。「戦前の治安維持法と同じ性質の悪法」とリベラル陣営が危険視する悪法だが、政権の支持率は53~70.2%と今も高い数字を誇っている。スパイ防止法が施行される可能性は高い。
ということは本作が訴えるような国家権力が市民を平然と捕らえて拷問する社会がくるだろう。そのとき後悔しても遅い。筆者は「ここに描かれているのは明日の日本なのだ」と考えつつ本作を鑑賞。ラストシーンでは恐怖で顔が引きつってしまった。(文=森田健司)


(新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマ 渋宮下ほか全国公開中/配給=セテラ・インターナショナル)


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