6月9日は雅子さまご成婚記念日。’58年の創刊以降、『女性自身』が見届けた皇族のご結婚は13回。

プリンセスの美しいドレス姿やはにかむ笑顔、描く家族像は国民の関心の的であり、日本社会の結婚観をも左右した。ドラマチックなご結婚の数々を振り返りますーー。

【’59年】上皇后 美智子さま

上皇陛下との“テニスコートの恋”から、初めて民間から皇室へお輿入れされ「世紀のご成婚」と言われた。美智子さまは当時「ミッチー」と呼ばれ、多くの国民が魅了された。リボンが印象的なローブ・デコルテは、クリスチャン・ディオールがデザインしたものだった。

【’60年】昭和天皇の五女 島津貴子さん

称号の「清宮(すがのみや)」と名前の頭文字から「おスタちゃん」と親しまれた貴子さん。

21歳で薩摩藩主の末裔で旧伯爵家の島津久永さんと結婚。当時、会社員の花嫁となったことも話題に。

【’64年】常陸宮妃 華子さま

旧伯爵家の津軽家から上皇陛下の弟宮、常陸宮さまと結婚された華子さま。一度のお見合いで決めた旧伯爵家からのお輿入れは、皇族や旧華族などの要望が強かったと言われた。

【’66年】三笠宮家の長女 近衞甯子さん

三笠宮崇仁さま(故人)の長女。熊本・細川家から母の実家の近衞家に養子に入った忠煇さんと結婚。

学習院女子中・高等科の同窓会「常磐会」の会長を務めたことも。

【’80年】寛仁親王妃 信子さま

「ヒゲの殿下」と親しまれた寬仁さま(故人)からは、高校生のときにプロポーズを受けられ、8年後にご結婚。「トモさん」「ノンチ」と呼び合う仲だった。寬仁さまと兄の麻生太郎自民党副総裁は若いころからの友人。

【’83年】三笠宮家の次女 千容子さん

スイスの学校やパリのソルボンヌ大学で学び、奔放な宮様と言われた容子さん。帰国後、年下の茶道裏千家宗家16世、千宗室さんと結婚。

現在、2男1女の母である。

【’84年】高円宮妃 久子さま

高円宮さま(故人)から「Will you marry me?」とプロポーズされ、「Yes.」とお受けしたことで有名。高円宮さまは夜中に久子さまのお父さまに会い、結婚の了承を得たという。

【’90年】皇嗣妃 紀子さま

秋篠宮さまとは学習院大学で出会い、“キャンパスの恋”として話題に。プロポーズは、大学近くでの信号待ちのときだった。昭和天皇の崩御から1年たたずのご婚約に批判する声も出たが、紀子さまの笑顔が人気となり、ご結婚は平成最初の皇室の明るいニュースとなった。

記念写真の撮影合間に、秋篠宮さまの御髪を整えられる紀子さま。有名な一枚だが、撮影が許された時間外での写真だったため当初は宮内庁が公開を拒否していた。

【’93年】皇后 雅子さま

’86年に東宮御所で催されたスペイン・エレナ王女の歓迎レセプションで出会われたお二人。天皇陛下はそのときの会話で心をつかまれ、雅子さまを一途に思い続け7年越しでプロポーズされた。ご結婚当日のドレスは美智子さまから贈られた絹地「明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)」から作られ、森英恵がデザインした。

芦田淳デザインのドレス姿の雅子さま。

ご結婚後、6回催された宮中饗宴の儀では、優美なドレス姿で世界中からの賓客を魅了された。

【’05年】上皇陛下の長女 黒田清子さん

秋篠宮さまの学習院時代からの友人で、都庁職員の黒田慶樹さんと結婚。帝国ホテルでの披露宴の装いは、清子さんが好きだった映画『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロイン、クラリスのドレスを模しているといわれる。

【’14年】高円宮家の次女 千家典子さん

お母さまの久子さまと親交のある出雲大社の宮司を務める千家家の長男、国麿さんと結婚。出雲大社での結婚式でお召しの大正天皇の后・貞明皇后ゆかりの袿袴(道中着)の装いが注目された。

【’18年】高円宮家の三女 守谷絢子さん

日本郵船勤務の守谷慧さんとの結婚は、ハンサムなエリートとの理想的な結婚と言われ、国民から支持された。

明治神宮で挙式の後、ホテルニューオータニで披露宴が催された。

【’21年】秋篠宮家の長女 小室眞子さん

小室圭さんと国際基督教大学で出会い’17年に婚約が内定したが、小室家の金銭問題が発覚し結婚が延期に。この間、多くの国民に心配されたが、’21年、皇室の一連の儀式を執り行わずに結婚。当日、記者会見を開いた。