新卒から18年半、テレビ朝日のアナウンサーとして、報道、スポーツ、バラエティなど多岐にわたる番組を担当してきた大木優紀さん(45歳)。

 40歳を超えてから、スタートアップ企業「令和トラベル」に転職。
現在は旅行アプリ「NEWT(ニュート)」の広報を担当。さらに2025年10月には、ハワイ子会社「ALOHA7, Inc.」のCEOに就任し、家族とともにハワイへ移住。新たなステージで活躍の場を広げています。

 第47回は、ハワイ移住前の子どもたちへの英語教育について綴っています。(以下大木さん寄稿)

日本の英語教育はハワイで通用したのか?

「ママ、もう英語やめたい」小4で英検準1級の娘が懇願。元テレ...の画像はこちら >>
 2025年10月、私たち家族はハワイへ移住しました。12歳の娘と、10歳の息子を連れての海外生活です。

 今回の移住は、いわゆる“英語教育”が目的だったわけではありません。ですが、娘が生まれてからの12年間、我が家にとって「英語教育」は常に大きなテーマでした。

 英語教育に熱狂した時期もあれば、「これが正解だ」と理論武装していた時期もある。そして、娘に「英語はもういい」と言われてしまい挫折したこともありました。

 試行錯誤を繰り返してきた12年間。実際にハワイで生活し、子どもたちが英語環境の中に飛び込んだ今、日本でやってきた英語教育が通じたのか? というのが見えてきました。

 今回は、前後編にわたって我が家の12年間を「熱狂期」「理論武装期」「挫折期」「達観期」の4つに分けながら、リアルに振り返ってみたいと思います。


「熱狂期」スタート。英語教育に目覚めた保育園選び

 そもそものスタートは、“熱狂期”でした。

 娘が生まれた12年前。教育というものに出会って、最初に思ったのは「教育って楽しい!」ということでした。

 子どもには、たくさんの選択肢がある。その先には、我が子の無限の可能性が広がっている。教育というテーマは、とにかくポジティブで、明るい未来しか描けませんでした。

 それが最高に楽しくて熱狂していきました。気づけば教育について考えることそのものが、私たち夫婦の共通の趣味のようになっていました。

 最初に悩んだのは、多くの共働き家庭でも同じように「保育園をどうするか」でした。私たちは育休明けのタイミングでは認可保育園へ通わせ、その後、自治体の補助が出るインターナショナルのキンダーに転園しました。

 インターナショナルといっても、生徒の8割は日本の方。
先生やプログラムはすべて英語という環境。

 「どうせ仕事で預けるなら、その時間で少しでも英語に触れてくれたら」

 そんな思いから選んだ保育園でした。

 結果的に、そのスクールでは、フォニックス(英語の音のルール)から読み書きまで期待以上にしっかり対応してくれていたので、娘は英語のベースとなる読み書きをここで身につけました。

 そして、何よりよかったなと思うのは、幼い頃から“異なる人種や異文化”に自然に触れられたことです。娘の担任は、黒人の男性の先生でした。小さな日本人の女の子からすると、自分との違いが大きい存在だったと思います。

 でも、娘にとっては、それが「特別なこと」にはならなかった。幼い頃から異文化や多様性に自然と触れられたことは、英語力以上に、大きな経験だったのではないかと思っています。

 とまあ、保育園くらいまでは、「娘も息子もネイティブの英語力を身につけられるのでは?」と、完全に教育というエンタメに熱狂していた時期でした(笑)。

「理論武装期」のはじまりと小学校の選択

「ママ、もう英語やめたい」小4で英検準1級の娘が懇願。元テレ朝アナがハワイ移住前に直面した“英語教育の挫折“
大木優紀さん
 その後、娘の小学校入学が近づくにつれ、我が家の“教育リサーチ”は、さらに深くなっていきました。

 この頃も、夫婦でたくさんの学校説明会や見学会に参加しました。もちろん、インターナショナルスクールも何校も見学しました。

 一口にインターナショナルスクールと言っても、本当にさまざまです。
ただ英語を学ぶ場所というより、教育方針そのものに魅力を感じる学校が多くありました。

 「国際的に視野を広げられる子になってほしい」

 それは、夫婦共通の願いでもありました。ですが、実際に検討を進めると、理想だけでは決められない現実も見えてきます。

 まず大きかったのは、経済的な負担でした。教育費って、“長期的なローン”に近い感覚があると思っています。一度入学したら、その後もずっと支払いは続いていく。

 途中で親の状況が変わることも予想できる。そんな時に、「やっぱり厳しいから転校して」と簡単には言えない。インターナショナルスクールへ進学するということは、それくらい大きな金額のローンを背負うものなのだと実感しました。

 さらに悩んだのは、“出口”の問題でした。インターナショナルスクールの教育を受けた先に、大学進学をどう考えるのか。日本の受験ルートに戻るのか、そのまま海外進学を目指すのか。


 調べれば調べるほど、未来の不確定要素がストッパーとなり、結局、我が家はインターナショナルスクール進学を断念しました。

 ネガティブな要素はなかったのですが、結局、一般的な日本の教育を受けてきた私たち夫婦が踏み出すには、ちょっとハードルが高すぎたという感じでした。

理論武装の末に辿り着いた正解は「英語多読メソッド」だった?

 右往左往しながらも、インターナショナルスクールへの進学は見送り、日本の私立の小学校に進学することになりました。

 とはいえ、保育園時代に始まった英語教育への熱は、まだまだ冷めていませんでした。

 次に悩み始めたのは、保育園で身につけた英語力をどう維持し、伸ばしていくかということです。

 ここにもいろいろな選択肢があります。放課後の時間ずっと英語で過ごすようなアフタースクールやとにかく会話量を担保するオンラインスクールなど、いろいろと検討はしました。

 そんな時に出会ったのが、英語の本を大量に読む「英語多読メソッド」でした。

 週1回の数時間の英会話教室だけでは、ネイティブレベルの英会話力を身につけるのは難しい。でも、子どもの言語習得能力が高い時期に、英語の読み書きや文法感覚を育てておくことはできる――。そういう考え方の教室でした。

 この塾に通わせようと思った決め手は、先生からのある問いかけでした。

「お母さんは、最終的に、お子さんに“アメリカドラマみたいにかっこよく英語を話せる子”になってほしいですか? それとも、“ビジネスの場でも通用するアカデミックな英語力”を持ってほしいですか?」

 その言葉を聞いた時、私の答えは圧倒的に後者でした。
よく考えたら、なんだか偏った問いですが(笑)、会話重視か読み書き重視か、どちらか選ぶなら? という問いだったのだと思います。

 流暢に話せること以上に、英語で学べる力を持ってほしい。将来、英語の文献を読み、学びを深め、仕事でも使えるようになってほしい。

 そんな思いから、我が家は子どもたちを、小学校時代はこの「英語多読」の塾へ通わせることにしたのです。

 そして当時の私は、日本の教育を受けながらでも、ネイティブレベルの英語力は習得できる――そんな“理論”を積み上げながら、自分たちは正しい道を進んでいるのだと信じていました。

順調に見えた英語教育の“落とし穴”。挫折期の到来

 娘は、その後4年ほど、この「英語多読メソッド」で英語学習を続けていきました。もともと本が好きだったこともあり、この方法は娘にはぴったりはまりました。

 英語の本をどんどん読み進め、小学校3年生頃には『ハリー・ポッター』を英語で読めるようにまで伸びていきました。読書力に関しては、同年代のネイティブの子どもと変わらないレベルまで到達していたと思います。

 そして小学校4年生の時、英検準1級にも一発合格しました。もちろん、「準1級に受かった=その程度の英語が完璧にできる」というわけではありません。
でも当時の私は、「ここまで来た」という達成感と期待でいっぱいになっていました。

 一方で、息子にも同じように多読メソッドの塾へ通わせていましたが、こちらは姉のようにはいきませんでした。息子は、もともと「読むこと」も「書くこと」もあまり好きではないタイプ。結果として、英語の読み書きの力はなかなか伸びず、足踏み状態になっていきました。

 同じ教育をしても、同じ結果にはならない。当たり前のことではありますが、子育てはだからこそ難しいなと感じていました。

「ママ、もう英語やめたい」

 そして、順調に見えた娘にも変化がありました。小学校4年生で準1級をとったので、私が夢をみすぎてしまい軽々しくこう言ってしまったのです。

「準1級までとったんだから、小学校の間で1級まで目指してみたら?」

 でも、ずっと英語に触れてきた娘の方が、その先の1級で求められるレベルと、自分の知識の落差を肌で感じていたのかもしれません。今まであまり口答えしない娘だったんですが、ある時ついに私を直視してこう言ったんです。

「ママ、もう英語やめたい。私は英語が好きじゃない。ママがなってほしい私と、私がなりたい自分ってのは違うの。」

 えーーーっ! 英検の達成感に浸っていたのはどうやら私だけで、娘にとっては、ここから、さらに難しい英語を学んでいくモチベーションはなく、楽しくて続けていた読書もいつしか苦痛になっていたのです。

 そして、こうも言いました。「私の周りで、誰も、そこまで英語を勉強していないから、私もやりたくない」

 あー、そうか。そうだった。悩んだ挙句、結局、一般的な日本の小学校教育の環境にあなたを置いたのも私たちでした。そこでは、友だちは誰も英語の小説なんて読んでいません。

 一方、息子の英語学習は伸び悩んでいて、結果がついてこない状態でした。そこにさらに追い討ちをかけるように、娘も英語が嫌いになりかけている。この一連の出来事で、私は親として多くのことを学びました。子育ての専門家やら、教育アドバイザーやらから、総ツッコミを受けるような事態です。

 私の思いばかりが先行してしまい、英語嫌いになってしまったら元も子もない。親が勝手に敷いたレールを歩かせることが本人にとって苦行になってしまったら、伸びる能力も伸びない。やめさせよう。長年お世話になった英語塾は、すぐに退塾。

 こうして私の英語教育の旅は、“挫折期”を迎えることになったのです。

そしてハワイへ

 今振り返ると、この12年間は、親としての迷走の歴史でもありました。勝手に熱狂して、理論武装して、期待して、そして折れた。

 そんな我が家がその後、まさかハワイで暮らすことになるなんて、この時は想像もしていませんでした。

 実際、日本で積み重ねてきたこの12年間の英語教育は、ハワイで通用したのか。

 次回は、子どもたちが実際に英語環境へ飛び込んで見えてきた、“リアルな答え”について書いてみたいと思います。

<文/大木優紀>

【大木優紀】
1980年生まれ。2003年にテレビ朝日に入社し、アナウンサーとして報道情報、スポーツ、バラエティーと幅広く担当。21年末に退社し、令和トラベルに転職。旅行アプリ『NEWT(ニュート)』のPRに奮闘中。2児の母
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