これまで、東日本と西日本の縄文人は別々の場所からやってきたという説が有力だったが、東京大学の最新研究がその定説を塗り替えた。縄文人の起源は共通だった可能性が高いのだ。
日本列島に到着した共通の祖先集団が、国内で東西に分かれて暮らすうちに、それぞれの地域で遺伝子のタイプが変化したことが明らかになった。
東と西で縄文人が使用する道具が違うのは「別々のグループが渡来したから」だと考えられてきたが、実は日本の中で独自の文化や遺伝的分化を遂げていたという。
この査読済みの研究成果は『Anthropological Science[https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase/134/1/134_251024/_article]』誌(2026年)に掲載された。
最新のDNA解析で縄文人のルーツを探る
東京大学大学院理学系研究科の太田博樹教授や吉田光希大学院生らによる研究グループは、大規模な縄文人のDNA解析[https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/11054/]を行った。
これまで、東日本と西日本の縄文人で遺伝的な特徴が大きく異なるのは、アジア大陸の異なる地域から別々のグループが渡来したためだと考えられてきた。
しかし、千葉県市原市の遺跡から見つかった人骨など、縄文人の40個体分のミトコンドリアDNA(母親から子に受け継がれる遺伝情報)を詳しく調べたところ、彼らは日本列島へ到達した段階で、すでに共通の遺伝的特徴を持つひとつの母体集団であったことが示唆された。
これまでの考古学では、東日本と西日本で出土する土器や道具の形が違うことから、別々のルートで日本列島にやってきた複数の集団がそれぞれの文化を築いたという複数移住説が有力だった。
しかし今回の研究により、新たなシナリオが浮かび上がった。
縄文人の祖先は約2万5000年前の旧石器時代に共通の集団として日本列島へ到達。その後、長い年月をかけて国内で東と西のグループに分かれていく中で、約1万6000年前から独自の縄文文化を形成していった可能性が高いことが示されたのだ。
この発見は、日本列島における人類の歴史を根本から見直す重要な成果となる。
なぜ東と西で遺伝子が違うのか?日本国内で起きた独自の変化
共通の祖先から分かれたはずの縄文人が、なぜ地域によって異なる遺伝子タイプを持つのか。
研究グループは、DNAの変異から過去の人口動態を推定する統計手法を用い、その謎に迫った。
縄文人の代表的な遺伝子系統には、東日本に多い「N9b」と西日本に多い「M7a」がある。
これまでは、この2つは別々の場所から持ち込まれたと考えられてきた。
しかし今回のシミュレーションにより、たとえ共通の集団から始まっても、東西に分かれて交流が制限されれば、現在のような頻度の差が生まれることが数学的に示された。
これは「遺伝的浮動(いでんてきふどう)」と呼ばれる現象によるものだ。
人数の少ない集団が隔離されて暮らすと、世代を重ねる中で「どのタイプが次世代に受け継がれるか」という偶然の偏りが積み重なり、特定の遺伝的特徴が定着しやすくなる。
つまり、外から別の集団がやってきたのではなく、日本列島に定着した共通の祖先集団が東西に分かれたあと、それぞれの地で「偶然による別々の変化」を遂げた結果、東はN9b、西はM7aという地域差が生まれたと考えられる。
東日本では1万年前に縄文人の人口が急激に増加
さらに研究では、縄文人の人口がいつ、どこで増えたのかも明らかになった。
DNAの解析結果を時系列で追うと、今から約1万3000年前から8000年前にかけて、縄文人の人口が顕著に増加していたことが判明した。
特にこの人口増加は、西日本よりも東日本で顕著だった。これは、当時の日本列島の環境差が大きく影響している。
縄文時代の東日本は、豊かな森林が広がり、ドングリなどの木の実や動物たちが豊富だった。
また、サケやマスといった魚介類も早い段階から利用されており、食料資源が非常に安定していた。
この環境が東日本の縄文人の生活を支え、急速な人口拡大をもたらしたと考えられる。
一方で、当時の西日本は東日本ほど天然の食料資源が豊かではなかったため、人口の増え方は緩やかだった。
この人数の増え方の違いが、それぞれの地域で異なる遺伝的特徴を定着させる大きな要因となった。
ひとつの集団が分かれ、独自の文化を形成
今回の発見により日本列島に住んでいた縄文人は、もともと共通の集団だったことがDNAのデータから証明された。
東日本で人口が急増したという解析結果は、その地域の遺跡や土器が圧倒的に多いという考古学的な事実を裏付ける強力な証拠となった。
遺伝子のデータと地面に残された遺跡の証拠がひとつに繋がったことで、「同じルーツを持つ人々が、日本の多様な自然の中で別々の道を歩み、地域ごとの個性を育んだ」という縄文時代の多様性がまた1つ、明らかになった。
研究チームは今後、過去の気候や生態系のデータも組み合わせて、さらに詳しく調査を進める予定だ。
我々の祖先がどのように日本列島に適応し、豊かな文化を築き上げたのか。新たな事実の発見で常に歴史は覆されていく。
今後はどんな発見があるのか、楽しみにその報告を待ちたい。
【追記】(2026年2月25日)
論文の主旨に基づき、東日本と西日本の縄文人のルーツについて「単一」から「共通の起源」という表現に改め、日本列島への到達後に国内で遺伝的分化が起きたという論理構成をより明確にしました。
また、遺伝的浮動の仕組みについても「東西への枝分かれ」であることが伝わるよう記述を整理・修正しました。
References: Jstage.jst.go.jp[https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase/134/1/134_251024/_article] / U-tokyo.ac.jp[https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/11054/] / Labrujulaverde[https://www.labrujulaverde.com/en/2026/02/the-jomon-the-earliest-inhabitants-of-japan-arrived-in-the-archipelago-16000-years-ago-in-a-single-and-unique-migration/]











