電子インクを基板に吹き付けて回路を描く特殊な印刷技術で作られた人工ニューロン(神経細胞)が、本物の脳細胞と電気信号で通信することに初めて成功した。
米ノースウェスタン大学の研究チームが開発したこのデバイスは、生きたマウスの脳細胞を実際に活性化させることを証明した。
脳と機械を直接つなぐ技術や人工内耳・人工網膜といった医療デバイスへの応用、そしてAIの深刻な電力消費問題を解決する次世代コンピューティングの突破口として期待されている。
この研究成果は『Nature Nanotechnology[https://www.nature.com/articles/s41565-026-02149-6]』誌(2025年4月15日付)に掲載された。
脳はコンピュータの10万倍省エネ
現代のコンピュータは、シリコン製のチップに数十億個ものトランジスタ(電気信号のオン・オフを切り替える電子部品)を詰め込み、その均一な動作を組み合わせることで複雑な演算をこなしている。
すべてが同じ動作をする「コピー」であり、一度製造されたら構造は固定されたままだ。
脳はまったく異なる仕組みで動いている。
脳を構成するニューロン(神経細胞)はそれぞれが異なる役割を持ち、学習や経験に応じて神経細胞どうしのつながりを絶えず形成・再編しながら変化し続ける。
均一で固定されたシリコンチップとは正反対の、不均質で動的な三次元ネットワークだ。
そしてこの仕組みが、脳をデジタルコンピュータの10万倍ものエネルギー効率を可能にしているのだ。
脳型コンピューティング研究の第一人者である、この研究を率いたノースウェスタン大学マコーミック工学部のマーク・C・ハーサム教授はこう語る。
AIをより賢くするには膨大なデータで訓練し続ける必要があり、それが深刻な電力消費問題を引き起こしている。
次世代コンピューティングのヒントを脳に求めるのは、当然の発想だ(ハーサム教授)
欠点を逆手に取った人工ニューロンの誕生
研究チームが人工ニューロンの材料に選んだのは、二硫化モリブデン(MoS₂)とグラフェン[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3]という2種類の素材だ。
MoS₂はモリブデンと硫黄からなるナノスケールの極薄片で、半導体として機能する。
月の土壌からも発見されたグラフェンは炭素原子が蜂の巣状に並んだ原子1個分の厚さしかない超薄膜で、電気をよく通す。
2010年にノーベル物理学賞の対象となった素材で、その卓越した電気的特性から「夢の素材」とも呼ばれている。
この2種類の素材を電子インクとして調合し、「エアロゾルジェット印刷」と呼ばれる技術で柔軟な高分子ポリマー製の薄いシートの上に吹き付け、回路を形成した。
インクジェットプリンターが紙にインクを噴射するように、霧状にした電子インクをノズルから基板へ吹き付けて回路を描く技術であり、立体物を層状に積み上げる一般的な3Dプリントとは異なる手法だ。
ここで研究チームが着目したのが、従来は「欠点」とされてきたポリマーの性質だ。
これまでの研究者たちはインク中のポリマーが電流の流れを妨げると考え、回路を印刷した後に焼き飛ばして除去していた。
しかしハーサム教授のチームはあえて完全には除去せず、電流を流すことでポリマーを少しずつ分解させる方法を採った。
すると分解は空間内で均一には起こらず、電流が集中して流れる「導電性フィラメント」と呼ばれる細い通り道が自然に形成された。
この細い通り道が、ニューロンの「発火」に似た急激な電気応答を生み出す。
こうして誕生した人工ニューロンは、単純な一回限りのパルス信号しか出せなかった従来品とは根本的に異なる。
単発スパイク(電圧の急上昇)、連続発火、バースト(集中的な発火のまとまり)という3種類のパターンを使い分けることができ、本物のニューロンが情報を伝える複雑な信号パターンを忠実に再現している。
1つのデバイスでより多くの情報を処理できるため、システム全体で必要な部品の数を大幅に減らすことができるようになったのだ。
マウスの脳細胞が人工ニューロンに応答
人工ニューロンが本物の脳細胞と実際に通信できるかどうかを確かめるため、ハーサム教授のチームはノースウェスタン大学ワインバーグ文理学部の神経生物学者、インディラ・M・ラマン教授と共同実験を行った。
ラマン教授のチームはマウスの小脳(運動やバランスの制御を司る脳の後下部に位置する領域)から薄い組織切片を取り出し、そこに人工ニューロンが発する電気信号を与えた。
すると、人工ニューロンが生み出す電圧スパイクは、本物のニューロンが発する信号のタイミングと持続時間にぴたりと一致し、マウスの脳細胞を確実に活性化させることに成功したのだ。
有機材料で作った人工ニューロンはスパイクが遅すぎた。金属酸化物で作ったものは速すぎた。
私たちのデバイスは、これまでの人工ニューロンでは実現できなかった時間的範囲に収まっている。
生きたニューロンが応答するのを実際に確認できた(ハーサム教授)
適切なタイミングだけでなく、スパイクの波形の形状まで本物と一致したことが、生きた神経細胞との直接的な通信を可能にした決め手となった。
AIの電力・水問題を解決する突破口へ
現在、AI企業はデータセンターの電力需要を賄うために専用の原子力発電所まで建設しようとしている。
データセンターはギガワット規模の電力を消費し、冷却のために大量の水も必要とするため、AI技術の急拡大は電力と水の両方に深刻な負荷をかけている。
次世代のデータセンターが原子力発電所100基分の電力を必要とするような未来は、現実的に想像できないと、ハーサム教授は警告する。
今回開発した人工ニューロンは、この問題への現実的な一手になりうる。
脳の信号パターンを忠実に再現できることで、1つのデバイスがより多くの情報を処理できるようになり、コンピューティングシステム全体で必要な部品の数が大幅に減る。
製造プロセスは必要な場所にだけ材料を配置する積層型のため、廃棄物が少なく低コストだ。
全米科学財団(NSF)の支援を受けたこの研究は、環境負荷の低減という観点からも注目に値する。
脳と機械を直接つなぐBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)技術への応用も期待されている。
人工内耳(聴覚の補助)、人工網膜(視覚の補助)、神経補綴デバイス(運動機能の回復を助ける装置)など、損傷した神経や感覚器官の機能を補う医療デバイスが、より自然で精密な信号のやりとりを実現できる可能性がある。
電子インクで印刷されたこの小さなデバイスは、脳の動作原理からヒントを得ることで、AIが抱えるエネルギー問題と、神経疾患や障害を抱える人々の生活を同時に変える可能性を秘めている。
References: Printed neurons communicate with living brain cells[https://news.northwestern.edu/stories/2026/4/printed-neurons-communicate-with-living-brain-cells] / Printed MoS2 memristive nanosheet networks for spiking neurons with multi-order complexity[https://www.nature.com/articles/s41565-026-02149-6]











