――オリコンでは初の単独インタビューとなりますので、 “甲斐心愛はこういう人”だとわかるような自己紹介をお願いします。
【甲斐】はい! STU48の1期生・甲斐心愛です。加入したのは13歳のときで、アイドル10年目。11月28日に23歳になります。出身は広島の呉で、先祖代々カープファンの家族の影響で、カープ一色、生粋の広島っ子として育ってきました。
2年前、マレーシアのクアラルンプールにKLP48という海外の姉妹グループ立ち上げのときに移籍して、今年2月に活動を終え、3月にSTU48へ帰ってきました。1期生では年少組だったんですけど、気づいたら今ではもう、41人も後輩がいる大先輩です(笑)。おしゃべりすることが好きなので、テレビ・ラジオのお仕事やロケが好きです。
夢は『世界の果てまでイッテQ!』の“出川ガール”になってマレーシアに行くこと。最近見つけた新しい夢が、『アナザースカイ』に出られるような人になってマレーシアに行くこと(笑)。せっかくご縁ができたマレーシアに、いつかお仕事で行って架け橋になれたらなと思ってます。
――STU48加入当時は無邪気な中学1年生でしたが、どういうきっかけでSTU48のオーディションを受けたんですか?
【甲斐】自然に囲まれたところで育って、森で遊ぶようなやんちゃな子だったし、スポーツ少女で部活ではテニスをやってきたので、アイドルには全然興味を持っていませんでした。家族がAKB48のなぁちゃん(岡田奈々)のことが好きで、なぁちゃんがSTU48に兼任することになったのがきっかけで、地元で活動できるアイドルということもあって家族が応募しました。最終審査は「高校受験の面接の練習だと思って行ってきたら?」と家族に言われて、行ってみたら合格しました。本当になんじゃろ……今こんなにキラキラな衣装をまとって、妖精みたいにかわいくしてもらっていますけど、加入当時は全然アイドルとは無縁なガキんちょでしたね。
――無縁だった世界に急に飛び込んでみて、最初の頃は戸惑ったのでは?
【甲斐】周りにかわいい子たちがいっぱいいて、全然人気も出ないし、何もうまくいかなかったです。1stシングル「暗闇」の選抜にも入れなかったし、カップリング曲も歌えなくて、ほとんど参加していないと言っていいくらいで。キャプテンのなぁちゃんや、劇場支配人のさっしー(指原莉乃)も気にかけてくださったりしていました。マネージャーさんや周りの方々に支えていただいたのと、負けん気の強さでここまでやってきました(笑)。
■「変化を求めていた」家族にも相談せず決めた海外挑戦
――加入から7年の2024年6月に、自ら志望してKLP48に完全移籍しましたが、当時はどのような心境だったのですか?
【甲斐】変化を求めていました。2023年11月に20歳になって、1期生でずっとセンターをやってきた(瀧野)由美子が卒業(同年11月30日)して、年明けの1月8日に成人式イベントをして、振袖姿をファンの皆さんに披露する夢もかなって。STU48の中ではすごくあったかい環境で過ごしていたこともあって、同い年の子たちと会ったときに自分が停滞してる気分になった時期でもありました。変化を求めて、刺激を求めて、もっとできることを増やしたいと思って、家族にも相談せずに行くことを決めました。
――KLP48は2024年元日に結成発表されたばかりでしたから、まだ劇場もないし、1期生もいなかったわけですよね。移籍後はどのような活動をしてたんですか?
【甲斐】AKB48の3人(行天優莉奈、黒須遥香、山根涼羽)と一緒に6月に移籍して、7月末に1期生がお披露目されて、8月にZepp Kuala Lumpurで開催されたAKB48グループのコンサート「AKB48 Group LIVE in KL 2024 First Cry」がデビューステージになりました。AKB48さんや、隣のインドネシアからJKT48さんが来てくださって。STU48も来てくれました。
――マレーシアでは日本のアイドル文化に対する認知度はあるのですか?
【甲斐】マレーシアでも日本の文化、特にアニメとかコスプレはすごく流行っていて、大きなアニメフェスも開催されています。そこに日本のアイドル文化としてKLP48を呼んでいただいて、パフォーマンスしたこともありました。
音楽ではK-POPが人気で、韓国のアーティストもいっぱいマレーシアに来ていました。J-POPでは藤井風さんがすごく人気があって。日本の文化も新鮮に思われている感じで興味を持ってもらえていたと思います。
――STU48とKLP48で2回、1期生を経験して、グループの立ち上げ時期に戻ったことで、自分自身が変わったなと思うことはありますか?
【甲斐】本当の意味で先輩になりました。STU48ではずっと妹的なポジションでしたし、ずっとそのままでいたかった。でも、KLP48に行ってみたら現地のメンバーたちは日本のアイドル文化を知らないので、部活とか遊びの延長線のような感じでした。ステージはそんな生半可な気持ちで立てるものではないし、衣装を用意してもらって自分の声が入った音楽を届けられるということは、誰でもかなえられる夢じゃない。それを教えるとなると、自分が先輩になるしかなくて。言葉の壁もあって、なかなか通じなくてギスギスすることもあったけど、モヤモヤしてることは伝えたほうがいいと思って。「いつまでも妹でいたらいけんな」と感じるようになって成長しました。
――2年で契約満了というのは移籍当初からの話だったんですか?
【甲斐】そうです。2025年の年末、クアラルンプールのららぽーとBBCCの中にKLP48の専用劇場ができて、オープンセレモニーのステージには立つことができました。
■一度は考えたアイドル引退 帰って気づいたSTU48への思い
――契約満了の時点では、アイドルを辞めて引退しようと思っていたそうですね。
【甲斐】はい。ここで学べることは全部吸収したのかなと思って。学校に通おうかなと思っていました。家族やSTU48のスタッフさんからは「とにかく一旦帰ってこい」と言われて。スタッフさんはKLP48に行く前からずっと、「いつでも帰ってこい」「いつでも待ってる」と言ってくださっていました。
――家族やスタッフさんに思いとどまらせてもらって、完全移籍から1年9ヵ月を経て、今年3月1日にSTU48に復帰されました。どのような気持ちを抱きましたか?
【甲斐】またSTU48の曲を歌えることがうれしいって、純粋に思いました。大好きな曲ばかりなんです。KLP48ではAKB48さんの曲をカバーして配信リリースしていたんですけど、ずっと「STU48の曲がやりたい」って、社長に直談判しに行っていたほど好きで。STU48の楽曲を英語バージョンやマレー語バージョンにして、海外にも広まってほしいとずっと思っていました。それは結局かなわなかったんですけど、STU48に戻ってきて、大好きな曲をパフォーマンスできることがシンプルにうれしかったです。
――戻ってきたら4期生もいっぱいいて。
【甲斐】私、転校生みたいな感じでした(笑)。帰ってきたら後輩たちからすごく頼りにされるようになって。私が何をしたわけでもないんですけど(笑)。
――4人しか残っていない1期生の一人ですから。
【甲斐】そうなんですよね(笑)。STU48では当たり前のように用意していただいていたものを、マレーシアでは全部自分で用意しなければいけなかった。その経験も大きかったと思います。メイク道具や衣装も自分で持って行ったり、MCも自分たちで考えたり、自分たち発信でやらなければいけないことばかりでした。ステージが用意されること、新曲の宣伝をしてもらえること、ツアーができること。その一つ一つが当たり前じゃないということが、改めて身にしみました。
あいさつもただするのではなく、誰かに届ける気持ちで「おはようございます」「よろしくお願いします」と言えるか言えないかで違ってくる。マネージャーさんや、なぁちゃんに教えていただいたことが頭に残っています。それを続けていると、後輩たちが見てくれている。そうすることで、後輩たちが「心愛さんにだったら相談してみよう」とか、「心愛さんにだったらこれを言ってみよう」と思ってもらえるみたいです。「グループを良くするために自分はこういう気持ちなんですけど、言えないから言ってもらえませんか?」と相談されるようになりました。
グループを良くするための意見とか、人には言いづらいことって、言わないでいると、どんどんギスギスしちゃうと思うので。言われた瞬間は嫌な気持ちになるかもしれんけど、真っすぐ伝えることができるようになったらもっと良くなるなと思いました。後輩に相談されたときは「自分で言ってみたら?」とアドバイスしつつ、結局は私が言うんですけど(笑)。
■加入10年目で初センター「私でいいん…?」
――5月30日のSTU48の9周年コンサートで、14枚目のシングルのセンターとして発表されたときの気持ちを振り返っていただけますか。
【甲斐】自分がセンターになると思ってなかったので、びっくりしました。まさかそこで選抜発表があるとも思っていませんでした。ファンの皆さんにも応援していただいていたので、選抜には絶対入りたいと思って、祈る気持ちでした。明らかにショートカットのメンバーのシルエットがモニターに映ったときに「あ、私だ!」と思って、選抜に入れたことを喜んでいたら、センター発表で同じシルエットが映って「私!?」って信じられなかったです。「私でいいん…?」みたいな。
――もともとセンターになりたい願望はあったんですか?
【甲斐】ありました! 17歳の生誕祭のときに「センターになりたい」って発表して。年に1回、自分の思いを一番近くにいるファンの方々に伝えられる瞬間なので言ったんですけど。でも、もう10年目なので、まさかセンターになれるとは全く思っていなくて。ずっとSTU48でやってきたメンバーを差し置いて、私が立っていいものなのかとも考えました。
――心愛さんがセンターということで、元気いっぱいの楽曲を想像していたファンもいたようですが、どんな曲を予想していましたか?
【甲斐】STU48に復帰してから2nd写真集を発売することになって、秋元(康)先生が『おかえり太陽』というタイトルを付けてくださったんです。なので、太陽のような楽曲を想像していました。タイトルは、AKB48さんの新曲が「好きish」という聞き慣れないワードだったので、例えば「ワロタピーポー」(NMB48)みたいな感じの、元気でポップな感じのものを想像していました。
――その想像とは違って、「冬服に着替えたら」というタイトルの、少し切なさもある王道の青春ソングでした。
【甲斐】めちゃくちゃ好きな曲です。めっちゃいい曲ですよね! 1回で覚えられるくらい耳に残りますし。通学路、満員電車、駅のホーム、ポニーテール……学生時代を思わせる青春ソングです。
――いきなりソロの歌い出しから始まるので、緊張するのでは?
【甲斐】めっちゃ緊張しますよ! 9月13日に初披露したんですけど、息が詰まって「ふぅー」って深呼吸をいっぱいしました(笑)。「冬服に着替えたら」の歌詞は、昔より大人に見える同級生の話です。もしかすると、ファンの方からしたら自分もそうなのかなとも思いました。髪が短くてキャッキャッ言っとった私がセンターに立つ姿を見て、ファンの方が「大人っぽくなったね」「きれいになったね」と言ってくださることがあるんですけど、そういう気持ちにリンクしているのかもしれないと思う曲です。
――MVの見どころを教えてください。
【甲斐】メンバーの制服姿からドレッシーな衣装を着たキラキラアイドルになるギャップや変化が楽しいMVになると思います。ダンスはかわいい振りがいっぱいあるんですけど、みんなで後ろを向いて満員電車を表現してるところが好き。歌っているメンバー以外は全員後ろを向いて、満員電車に乗って揺れてるんです(笑)。
――AKB48の新曲「好きish」が盛り上がりを見せていますが、刺激になったりはしていますか?
【甲斐】最近、AKB48のえりい(千葉恵里)と同じ事務所に所属したんです。えりいは同い年なんですけど先輩なので、事務所の先輩を頼りつつ、切磋琢磨していければと思っています。
――9周年コンサートでグループのスローガン「暗闇の中で、君は何を見つけたか。」が発表されました。それにちなんで、「マレーシアでの活動の中で、君は何を見つけたか。」という質問をさせてください。
【甲斐】やっぱり「STU48が居場所だな」ということを見つけました。マレーシアのファンの方も「KLP48の心愛も好きだったけど、STU48で輝いている心愛をまた見られてうれしい」と言ってくださっています。自分が最大級に輝ける場所がある限り、求められていることがある限り、ここで一生懸命輝けたらいいなと思います。私の居場所のSTU48に帰ってきて、存分に羽を伸ばして、これからも伸び伸びやっていくつもりです。センターになってからテレビのお仕事やメディアの露出が増えたので、一つでも爪あとを残して、「STU48にこんな子おったのか」とか「広島弁の子がいるグループってどこなんじゃろ」と思ってもらえるような、フックがいっぱいある活動ができたらいいなと思っています。
【プロフィール】
甲斐心愛(かい・ここあ)
生年月日:2003年11月28日 広島県呉市出身
2017年3月19日、STU48第1期生オーディションに合格。同年3月31日に結成されたSTU48に加入。2ndシングル「風を待つ」(2019年2月発売)で初の選抜メンバー入り。24年6月、マレーシア・クアラルンプールのKLP48に完全移籍し、26年2月まで活動。3月1日にSTU48に復帰した。シングル選抜歴は10回。10月7日発売の14thシングル「冬服に着替えたら」で初のセンターを務める。


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