■屋外の運動には大気汚染に要注意
空がかすんでいるわけでもない。注意報も出ていない。だから今日の空気は大丈夫。多くの人はそう考えます。しかし、大都市の空気問題の本当の怖さは、むしろ当たり前な現代の日常生活に潜んでいるのかもしれません。
東京、大阪、名古屋、福岡のような大都市では、PM2.5(微小粒子状物質)、二酸化窒素(NO2)、光化学オキシダントへの曝露が、特別な日だけでなく、日常生活の中に静かに入り込んでいます。
近年のそれら大都市の空気は、PM2.5は年平均で一桁後半~10µg/m3台前半、NO2は一般環境で0.01ppm台まで下がってきています。一方、光化学オキシダントは東京・大阪・名古屋・福岡でもなお基準未達成が珍しくなく、見えにくいが残り続ける都市リスクとなっています。
通勤で歩く、駅まで急ぐ、昼休みに散歩する、夕方に軽く走るといった、ごく普通の行動のたびに、私たちは都市の空気を肺の奥まで取り込んでいます。マスクをしていない、あるいはしていても不織布一枚では、PM2.5の微細な粒子を完全には防ぎきれません。
運動自体は健康によいのはご存知の通りです。
■大気汚染の健康基準がより厳しく
世界保健機関(WHO)は2021年、PM2.5の指針値を以前の基準(年平均10µg/m3)と比べると、実に半分の年平均5µg/m3、24時間平均15µg/m3へ大幅に引き下げました。
「1年を通して平均するとPM2.5は5µg/m3以下が望ましい」「1日単位で見ても平均15µg/m3以下が望ましい」ということです。年平均5µg/m3以下は、慢性的に吸い続ける曝露をできるだけ低く抑える目標です。24時間平均15µg/m3以下は、一時的に濃度が上がる日もできるだけ少なくし、その日の健康影響も抑えようという目安です。WHOはこれらを、各国が法的基準を考える際の健康ベースの参照値として示しています。
大事なのは、これは「15µg/m3を1日でも超えたら直ちに危険」「5µg/m3未満なら完全に安全」という意味ではないことです。WHOの考え方は、空気汚染に明確な安全圏があるというより、低ければ低いほど健康被害は減る、というものです。そのため、5や15は「ここまで下げたい」という健康保護の目標であって、白黒を分ける絶対の数値ではありません。
出典=WHOのグローバル大気質ガイドライン
■日本の大都市の大気汚染レベル
日本の空気は昔よりずっと改善はしました。東京都環境科学研究所の資料では、2021~2023年度の都内PM2.5年平均値はおおむね9µg/m3前後でした。1990年代と比べれば、明らかに改善しています。
年平均はあくまで一般的な目安であり、今日のこの時間に自分が吸う空気をそのまま示しているわけではありません。
東京都の大気汚染常時監視データを見ると、地点や時間帯によっては20µg/m3台に達することもあります。雨上がりの翌日は粒子が洗われて下がりやすい一方、無風の晴天が続くと汚染物質が滞留して上がりやすくなります。天気予報と同じように、大気の状態は毎日、毎時間、変化しています。また、同じ東京でも、新宿の幹線道路脇と代々木公園の木立の中といった周辺環境の違いで、PM2.5の実測値が異なることも珍しくありません。
この問題は東京に限りません。交通量が多く夏場の光化学オキシダントが問題になりやすい大阪、春先の黄砂や中国大陸からの越境汚染の影響を受けやすい福岡でも、事情は同じです。大都市の空気問題は、もはや特定地域の話ではなく、都市生活者全体が日々向き合う共通課題となっています。
出典
「東京都における微小粒子状物質(PM2.5)の経年変化」
東京都大気情報「大気環境測定結果について」
Environ Health Prev Med. Epidemiological studies on the health impact of air pollution in Japan: their contribution to the improvement of ambient air quality.
■大気汚染がさまざまな病気リスクを上昇させる
WHOの改訂は、低濃度曝露でも心疾患・脳卒中・肺がんのリスクが上昇するという膨大な疫学的エビデンスを踏まえたものです。健康を守るための理想水準は、多くの人が思っているよりずっと厳しいのです。「注意報が出たら気をつける」という発想だけでは、もはや不十分であることが、科学的にはっきりしてきています。
PM2.5は肺の奥深くまで入り、咳や息切れだけでなく、気道炎症、肺機能低下、喘息やCOPDの悪化に関わります。2024年の小児5279人の追跡調査では、幼少期PM2.5曝露が3.4µg/m3高いごとに、5歳までの喘息発症が31%、11歳まででも23%増加しました。2025年の研究では、長期曝露でCOPD発症リスクが12%増、別解析ではPM2.5成分の混合曝露でCOPDリスクが50%増と報告されています。
しかも害は肺だけでなく心臓にも影響します。2025年の日本の7地域・4万4232例の解析では、短期のPM2.5上昇で急性心筋梗塞入院が2.4%増加しました。
出典
JAMA Netw Open. Early-Life Exposure to Air Pollution and Childhood Asthma Cumulative Incidence in the ECHO CREW Consortium.
Npj Climate and Atmospheric Science. Association of fine particulate matter constituents with chronic obstructive pulmonary disease and the effect modification of genetic susceptibility.
Communications medicine. Components of particulate matter as potential risk factors for acute myocardial infarction.
■脳と気分への影響も
また、大気汚染の影響が肺や心臓だけで終わらないことは、近年の研究が次々と明らかにしています。2025年には、4.5~26.9µg/m3の長期曝露で認知症リスクが平均14%上昇したとの報告もあります。
別の2025年の研究では、短時間の粒子曝露のあとに脳の実行機能の低下が確認されました。実行機能とは、段取りを立てる、判断する、集中を切り替えるといった、日常のあらゆる場面で使われる脳の働きです。「なんとなく今日は頭が回らない」「会議中に集中力が続かない」という感覚が、空気の悪さと無関係でないかもしれないのです。この影響は特定の敏感な人だけの話でなく、健康な成人にも観察された点が重要です。
さらに別の2025年の研究では、PM2.5成分への長期曝露とうつ病リスク上昇の関連が報告されています。
老後の自立を左右するADL(日常生活動作)に、毎日の空気が影響しているとすれば、これは若い世代にとっても無視できない話です。空気問題は肺炎や喘息だけの話ではなく、判断力・メンタル・老後の自立まで含めた、生活の質そのものに関わる問題なのです。
出典
Nature Aging. A systematic review with a Burden of Proof meta-analysis of health effects of long-term ambient fine particulate matter (PM2.5) exposure on dementia.
Nature Communications. Acute particulate matter exposure diminishes executive cognitive functioning after four hours regardless of inhalation pathway.
JAMA Netw Open. Exposure to Multiple Fine Particulate Matter Components and Incident Depression in the US Medicare Population.
JAMA Netw Open. Air Pollution and the Progression of Physical Function Limitations and Disability in Aging Adults.
■屋外で走るほど汚染を吸い込むジレンマ
そこで気になるのは、皇居ランなど屋外での運動です。運動の健康効果は誰もが認めるところですが、大都市の屋外での運動は、PM2.5などの有害物質を体に取り込む面もあるからです。
では、どのくらいの空気なら屋外で運動してもよいのでしょうか。現時点で実用的な目安はPM2.5の25µg/m3です。2025年の大規模な研究では、余暇の身体活動による死亡リスクが低下する率は、PM2.5が25µg/m3未満では約30%みられた一方、25µg/m3以上では12~15%程度までしか弱まらない、と報告されました。
日本の環境基準(24時間値の年間98パーセンタイルが35µg/m3以下)はあくまで行政上の目標です。個人の運動計画は、より細かく考えることが大切です。25未満なら通常の屋外運動、25を超えたら負荷を抑える、35前後なら屋内に切り替える、というのが現実的な目安になりそうです。
また、空気の悪さは将来的な病気リスクだけでなく、運動パフォーマンスにもはっきり影響します。
仕組みを考えれば納得できます。安静時の分時換気量は毎分6~8L程度ですが、走ると数十L/分まで跳ね上がります。走っている身体は酸素を取り込む高効率な装置であると同時に、汚染物質を深く吸い込む装置でもあるのです。鼻呼吸ではなく口呼吸になるほど、フィルター機能も下がります。ウォーキングでも、軽いジョギングでも、同じことが起きています。だからこそ、道路沿いを走るか公園の中を走るか、外に出るかジムにするかといった日々の選択が、パフォーマンスと健康の両面で想像以上の差を生む可能性が考えられます。
出典
Sports Med. Running on Fumes: An Analysis of Fine Particulate Matter's Impact on Finish Times in Nine Major US Marathons, 2003-2019.
PeerJ. Marathon race performance increases the amount of particulate matter deposited in the respiratory system of runners: an incentive for “clean air marathon runs”.
BMC Medicine. Does ambient PM2.5 reduce the protective association of leisure-time physical activity with mortality? A systematic review, meta-analysis, and individual-level pooled analysis of cohort studies involving 1.5 million adults.
環境省「日本の環境品質基準 - 大気質」
■それでも運動は必要
しかし、大気汚染があるといっても、やっぱり運動はやめないほうがよいというのが現在の医学的な結論です。2025年の大規模研究では、空気汚染下でも身体活動をしている人は、運動しない人より全死亡リスクが26%低いと示されました。清潔な空気下での身体活動では31%低下ですから、利益は少し目減りするものの、動く側のほうが有利であることに変わりはありません。
つまり運動をやるか、やめるかではありません。
出典
Sports Medicine - Open. Physical Activity, Air Pollution, and Mortality: A Systematic Review and Meta-analysis.
東京都大気情報「大気環境測定結果について」
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谷本 哲也(たにもと・てつや)
内科医
鳥取県米子市出身。1997年九州大学医学部卒業。医療法人社団鉄医会理事長・ナビタスクリニック川崎院長。日本内科学会認定内科専門医・日本血液学会認定血液専門医・指導医。2012年より医学論文などの勉強会を開催中、その成果を医学専門誌『ランセット』『NEJM(ニューイングランド医学誌)』や『JAMA(米国医師会雑誌)』等で発表している。
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(内科医 谷本 哲也)

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