※本稿は、仲野徹『がんは運である? 自分事として向き合うための手控え帖』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「病気は運である」と言えるか
「病気は運である」
この言葉を聞いてどう思われるだろう? その通りだという人もおられるだろうけれど、違和感があるという人の方が多そうだ。そもそも、「?」付きとはいえ自著のタイトルに「がんは運である」とつけたくらいだから、当然ながら医学的にほぼ妥当だと考えている。
「運」を広辞苑でひいてみると、「(1)天命。(2)めぐってくる吉凶の現象。幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき。まわりあわせ。(3)特に、よいめぐりあわせ。幸運」とある。
「病気は運である」という場合、まさか(3)の意味でとる人はおられまい。若年性のパーキンソン病を患い「ほんとうに大切なものを、ぼくは病気のおかげで手に入れた。
■宿命を決めるのは天でなく遺伝情報
天命はどうだろうか。同じく広辞苑には「(1)天の命令、上帝の命令。(2)天によって定められた人の宿命。天運。(3)天から与えられた寿命。天寿」とある。そうなんや、天の命令とか天寿とかの意味もあるんや、知らんかった。
けど、ふつうに使うのは「天によって定められた人の宿命」の意味だろう。遺伝性疾患の場合は、この意味があてはまると考えていいのかもしれない。ただ、何をもって「天」と言うのかという問題がある。
ぐちゃぐちゃ書いたけれど、「病気は運である」と言った場合、多くの人がイメージするのは(2)の「めぐってくる吉凶の現象。幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき。まわりあわせ」だろう。もう少し詳しく考えてみよう。
遺伝性疾患の場合、天命と考えることもできるが、天などというあいまいなものを持ち出さずとも、単純に「人知・人力の及ばないなりゆき」と考えた方がしっくりくる。
最近は、自在に遺伝子を操るゲノム編集技術が進歩してきたので、人知・人力を及ばせる可能性もなくはない。しかし、たとえこういった技術を使うとしても、まずは病気ありきなのだから、そこのところは人知・人力が及ばず、どうしようもない。
■大多数の病気は遺伝だけで決まらない
「氏より育ち」という言葉がある。これも広辞苑によると、「氏素姓のよさより子供から大人になる間の環境・教育が人柄に影響するところが多い」とされている。「人柄」を「病気の発症」に置き換えてみよう。その場合は「氏と育ち」ではなくて、「遺伝と環境」と言い換えることができる。
一部の遺伝性疾患を除き、遺伝だけで発症が決定づけられる病気はそれほど多くない。病気によって程度の差はあるけれど、大多数の病気は遺伝要因と環境要因の両方が関係するというのが正解だ。
こういったことを調べる時には、遺伝的にまったく同じである一卵性双生児を考えてみる、というのが、医学における常道である。一卵性双生児が同じように生活をしていても、ある病気に片方だけが罹る場合がある。
こういうふうに考えると、病気というのは、天命などではなくて、「(2)めぐってくる吉凶の現象」という言い方の方が正しそうだ。
■暴飲暴食を続けて病気になる人・ならない人
何が言いたいかというと、論理的に考えたら、「病気は運である」というのは、完全にとは言わないまでも、おおよそ正しそうだということである。しかし、「病気は運である」というと、どうにも釈然としないという気持ちが残らない訳ではない。なんでやろ?
ひとつは、なんとなく、病気を軽視するように聞こえてしまいかねないからだ。病気で苦しんでいる人やその家族に対して何の配慮もなく、「病気は運ですから」などと言い放つのはあまりよろしくはなかろう。病気の種類によって多少の違いはありそうな気がするけれど、基本的にはあきませんわな。
もうひとつは、誤解を招きかねないという理由である。
病気になるかならないかは運だという考えを強引に取り入れて、どうせ運なんやからと、体に悪いことがわかっているタバコを吸いまくるとか、肥満や高血圧といったリスクを放ったらかしにする人が出るかもしれない。
わたしが「病気は運である」と言うのは、「同じような遺伝的素因であっても、あるいは、同じような生活をしていても、ある病気になる人とそうでない人がいる」という、あくまでも確率的な意味においてである。
極端な例をあげれば、健康にはまったく配慮せず暴飲暴食、酒池肉林を続けても何の病気にもならず長生きするといった羨ましい人がいる一方で、節制に節制を重ねても病気になる気の毒な人もいる。これを運と言わずして何と言うのか。
ふむ。こう考えてみると、「病気は運である」というのは、おおよそ正しいけれど、使い方は文脈次第で気をつけましょう、ということになるだろう。
■「がんは運である?」についたクレーム
「がんは運である?」というタイトルで講演をしたことがある。さすがに言い切るのはいかがなものかと「?」をつけたのは、科学者としての矜持というか、ただ単にびびりやすい性格からというか、なのであるが、それはまぁいい。
その講演は、録音がラジオ放送されることになっていた。講演自体はそのタイトルでおこなったのだが、放送局の人からクレームがついて、番組としてのタイトルは変更されていた。
その時の理由が、「がんは運である?」というタイトルは、患者さんを傷つける可能性があるから、ということだった。
う~ん、そやろか。
■「気分が楽になりました」がん患者からの感想
しぶしぶだったのには理由がある。拙著『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)をお読みになられたがん患者さんからいただいたメッセージが頭にあったからだ。「がんを患ってからずっと、あれをしたからがんになったのだろうかということをいろいろと思い悩んできました。でも、先生のご本に、がんは運である、ということが書いてあったので、すごく気分が楽になりました」という内容だった。
「がんは運である」というのは、傷つける場合があるかもしれんけど、救うこともある。きちんと理解してもらうと、むしろ救いになる方が多いんとちゃうんかといまでも思い続けている。
人間の脳というのは、因果関係を求めるようにできている。これはおそらく、進化の過程において、その方が有利だったからだろう。因果関係は、いろいろな計画を立てたりする時や、意志決定をしたりする時に役立つからだ。
どうしてがんになったかを考える時、ありもしない因果関係を探し出したくなってしまうのはそのせいだ。
がんについても、「あれが原因だったのではないか」という犯人捜しは、人間として自然な反応ではあるけれど、医学的には出口のない迷路に入り込んでいくようなものだ。詮ないことではないか。
■究極的な原因は「生きていること」
がんの原因は、遺伝子の変異――わかりやすく「傷」と言ってもいい――による。それは、生きている限り避けることができないものである。というのは、細胞が分裂する時、非常に頻度は低いけれど、必ず遺伝子に変異が生じてしまうためだ。
しかし、細胞が分裂してくれないと、生命を維持することはできない。だから、がんになった究極的な原因は、「生きていること」と、言えてしまうのである。この理屈でいったら、どうしてがんになったかなどということは、ちょっと身も蓋もないのだが、考えてもしゃぁないということになる。
ただ、発がんの可能性を上げる、言い換えると、「がん運」(そんな言葉はないけれど……)を悪くしてしまうような要因はいくつかある。典型的なものはタバコである。喫煙は、肺がんだけでなく膵臓がん、膀胱がんなど何種類ものがんや、他の呼吸器・循環器系疾患のリスクを間違いなく上げる。
病気っちゅうのは不公平なもんや、と言ってもいいかもしれない。タバコとは無縁の生活をしていても肺がんなどになる人がいれば、ヘビースモーカーでも健康で長生きする人がいる。やはり、「がんは運である」とか、「病気は運である」と言いたくなってしまうのである。
■人間の脳は因果を考えてしまう
がんの因果について考えたところで、結論は出るはずがない。しかし、不思議なもので、人間というのは結果がわからない中途半端な状況におかれるよりも、悪い結果であっても知らされた方が落ちついたりする。いったいどうなるのだろうかと考え続けるのはストレスにもなるし、心理的によろしくない。
なので、完全に間違えていても「あぁ、あれこそが原因やったんや」と解釈してしまう方がましなこともあるかもしれない。とはいえ、原因を特定できたと考えて、あんなことしなければよかったと悩むのはまったくよろしくない。いくら悔やんだところで、何もいいことはないのだから。
がんになった因果など考えても仕方がないと言われても、つい考えてしまうのが、それこそ因果な人間の性である。これは人間の脳の「因果を求めすぎるクセ」だけでなく、社会が作り出した〝物語〟の影響も大きい。人間は世界をあるがままに見るのではなく、外部からさまざまな影響を受けて、自分の物語を作り上げたがる。
■今も「がんは不治の病」と信じられている理由
「ミーム meme」という言葉がある。「遺伝子 gene」と対をなす概念として『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)で知られる進化学者リチャード・ドーキンスが作り出したものだ。遺伝子が世代を越えて伝わる「からだを作るための生物学的な単位」であるのに対して、ミームは信じられることによって人から人へと伝わっていく「文化的な単位」である。少し、がんについてのミームを考えてみよう。
かつて、がんは不治の病と捉えられ、人から人へとそういうミームが伝わっていた。現在では必ずしも正しくないのだが、昔のままのミームがしつこく生き残っている。がんに罹る人がいまほど多くなかったので、がんになる人は運が悪いというミームもある。
がんになる率が5割を超えている現代なのだから決して正しくはないのだが、このミームもなかなかなくならない。新しい情報を脳にインプットできても、すでに棲みついたミームを消し去ることはけっこう難しい。このことはしっかりと理解しておくべきだ。
がんになったのには何がしかの因果応報であるなどというミームなどはもっての外だ。がんになることは覚悟しておいた方がいい。しかし、恐がりすぎない方がいい。これが現代における正しいミームである。
できれば、いざ、なってしまった時には、「がんは運やからしゃぁない」と割り切り、勇気を持って立ち向かうというミームも広がってほしい。
----------
仲野 徹(なかの・とおる)
大阪大学名誉教授、病理学者
1957年大阪・千林生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学医学部講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院医学系研究科病理学の教授。2022年に退官し、隠居の道へ。2012年日本医師会医学賞を受賞。著書に『エピジェネティクス 新しい生命像をえがく』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)など多数。
----------
(大阪大学名誉教授、病理学者 仲野 徹)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
