イラン戦争で最も損をした国はどこか。防衛大学校共同研究員の伊藤隆太さんは「原油価格の高騰で一時的に潤っているが、港湾は破壊され、財政赤字は膨らみ続けている。
しかもこの戦争でイランからの信頼も失った。ロシアのプーチンだ」という――。
■ロシアは「ボロ儲け」しているのか
イラン戦争でロシアは漁夫の利を得ている――そんな見立てが広がっている。
ウクライナのキーウ経済大学(KSE)研究所は、戦争が6週間続けばロシアの輸出収入が840億ドル、1ドル159円換算で約13.4兆円増えると試算している。ホルムズ海峡が混乱し、原油価格が上がる。制裁下のロシア産原油への需要が増え、プーチン政権の戦費が潤う、という発想だ。
だが、本当にそれだけだろうか。13兆円という数字だけを見れば、ロシアはボロ儲けをしているように見える。これは、プーチンの勝利を示す勲章なのか。それとも、原油高でしか外貨を稼げないロシアの弱さを映す診断書なのか。価格、輸出量、制裁環境、同盟国への影響力という4つの軸に分けて見ると、答えは後者に近い。
港が壊れ、船が詰まり、制裁猶予が政治問題化し、最重要パートナーのイランを守れない。
ロシアが得たのは短期の高値で、失ったのは供給国と大国としての信用である。エネルギー危機では最初に価格が動く。だが企業や政府が最後に記憶するのは、値段よりも『その国から次も届くのか』という信頼である。今回の危機は、ロシアにとって収益機会であると同時に、その信頼を採点される場でもあった。
■ロシアの原油輸出は不安定な状況にある
まず、KSEの試算を「利益確定」と読んではならない。
3月20日に公表されたキーウ経済大学(KSE)研究所の発表によれば、楽観シナリオは、戦争の活動期が6週間で終わり、生産とエネルギーの流れが約1カ月で回復するという前提を置く。
その場合、ロシアの輸出収入は840億ドル、財政収入は450億ドル増える。中央シナリオでは輸出収入1610億ドル、悲観シナリオでは2520億ドルに達する。
数字だけ見れば、ロシアに巨大な追い風が吹いたように見える。しかし同じ発表は、制裁緩和は供給制約を解決せず、対ロ制裁の効果を大きく弱めるため、市場安定後は一時的な猶予を完全に戻すべきだとも述べている。つまりこの資料は、ロシアの勝利を祝う文書ではない。むしろ「危機が長引けば、制裁網がほころび、プーチンの戦費に回る」という警告なのである。

試算の読みどころは、13兆円という金額の派手さではなく、その金額がいかに不安定な条件の上に乗っているかにある。戦争の期間、海峡の通航、制裁猶予、ロシアの積み出し能力の一つでも崩れれば、絵は変わる。
■輸出港の炎上で大打撃を受ける
ロシア大儲け論の最大の穴は、輸出能力を過大評価していることにある。3月25日に配信されたロイター日本語版の記事によれば、ロシアの主要輸出拠点であるプリモルスク港とウスチ・ルガ港では、ウクライナの大規模無人機(ドローン)攻撃により火災が発生し、原油と石油製品の積み込みが停止した。関係筋は、貯蔵設備が炎上し、ターミナルが封鎖されたと語っている。
さらに4月2日に配信されたロイターの記事によれば、プリモルスク港は貯蔵施設の少なくとも40%を失った。同港は日量100万バレルを扱える巨大拠点であり、一時はロシアの石油輸出能力の約40%が止まったとされる。
価格が上がっても、港、タンク、パイプライン、タンカー、保険、決済がつながらなければ収入にはならない。埋蔵量が多いだけでは、危機時の代替供給源にはなれないのである。買い手にとって重要なのは、地中にどれだけ石油があるかではない。危機の翌朝にも港が動き、船が出て、代金が決済され、約束した日に届くかどうかである。
この点で、ロシアは「足りない分を埋める安全な選択肢」ではなく、「買う側が追加のリスク管理を迫られる選択肢」になっている。

■石油で儲けても財政はボロボロ
もちろん、短期の追い風はある。4月9日に配信されたロイターの記事によれば、ロシアの主要石油税収は4月に約7000億ルーブル、約90億ドル(約1兆4000億円)へ倍増する見通しとなった。税務上使われるウラル原油の1バレルあたりの平均価格も、2月の44.59ドルから3月に77ドルへ上昇した。
だが同じ記事は、ロシアが1~3月に4.58兆ルーブルの財政赤字を抱え、ウクライナによるエネルギーインフラ攻撃が収入を押し下げ、生産削減リスクを高めているとも指摘している。これは「ボロ儲け」というより、穴の空いた財布に高値の原油代金を流し込んでいる状態に近い。
4月14日に配信されたロイターの記事も、国際エネルギー機関(IEA)が、港湾やエネルギーインフラの損傷により、ロシアは短期的に増産に苦しむ可能性があると見ていると報じた。
税収が増えても、増産できず、輸送も不安定なら、その効果は財政の延命にとどまる。強い国家が余裕で稼いでいるのではなく、戦費と赤字に追われる国家が高値に助けられている構図なのである。
■制裁猶予はプーチンの外交勝利ではない
米国による制裁猶予も、ロシアにとって短期の助けになった。4月18日に配信されたロイターの記事によれば、トランプ政権は、制裁対象のロシア産石油を洋上で購入することを5月16日まで認める猶予措置を更新した。アジア諸国がエネルギー価格高騰に苦しみ、代替供給を市場に届かせるよう米国に求めたことが背景にある。
しかし、これをプーチンの外交勝利と見るのは早い。
同記事は、米国の与野党議員がこの猶予を批判し、欧州連合(EU)側も対ロ制裁を緩める時ではないと訴えたと報じている。危機時にはロシア産を買わざるを得ない。だからこそ危機後にはロシア依存を減らすべきだ――。この空気が強まれば、猶予は勝利ではなく、将来の締め付けを正当化する材料になる。
しかも、この猶予は「ロシアが必要だから認める」というより、「市場が壊れすぎるから一時的に認める」という性格が強い。例外扱いが必要になるほど、ロシア産エネルギーは政治的に扱いにくい商品になったとも言える。
■ロシアは「原油危機」の救世主にはなれない
中東原油が足りなければロシア産で埋めればよい、という話でもない。4月15日に配信されたロイターの記事によれば、日本の製油所稼働率は4月11日までの週に67.8%にとどまり、戦争前の80%超を大きく下回った。
日本は原油輸入の約95%を中東に依存し、製油所も主に中東産の中質・高硫黄原油に合わせて設計されている。米国、マレーシア、アゼルバイジャン、ブラジル、ナイジェリア、アンゴラなどへの代替調達は進んでいるが、非中東原油だけで短期に完全代替するのは難しい。
4月23日に配信されたロイターの記事によれば、アジアの4月の原油輸入は前年比22%減の見通しで、2016年以来の低水準になる。ロシア産を洋上で買う動きがあっても、油種、設備、航路、保険、決済の制約は消えない。

世界が困るほどロシアが思い通りに売れる、という単純な構図ではないのだ。むしろ買い手は今回の危機を通じて、中東にもロシアにも過度に頼らない調達地図を描き直している。短期の駆け込み需要は、長期の顧客離れの始まりにもなり得る。
■「ロシア有利」の状況は一瞬で崩れる
もう一つ重要なのは、原油高そのものが永続的ではないことだ。
4月24日に配信されたロイターの記事によれば、供給不安で原油価格は週間では大きく上昇した一方、米国とイランの和平協議再開の可能性が意識されると、相場は上げ幅を削った。ホルムズ海峡の通航はなお実質的に妨げられているが、外交観測だけでも市場は揺れる。
これはロシアにとって重要である。KSEの試算にある追加収入は、戦争が長引き、高値が続くほど増える。裏を返せば、停戦観測、海峡再開、制裁猶予撤回、港湾被害の深刻化のいずれかで計算は崩れる。13兆円は確定利益ではなく、危機が長期化しなければ消える期待値に近い。
投資家にとって価格は日々変わるが、供給国としての信用低下はすぐには戻らない。高値は市場の一時的な反応であり、信用は契約と記憶の蓄積である。
ロシアが本当に勝者なら、この危機後に顧客が戻り、制裁も弱まり、同盟国からの信頼も増すはずだ。しかし現実には、その反対の材料が増えている。
■「イランを守れなかった大国」という負のイメージ
ロシアの損失は経済だけではない。より深い傷は、同盟国を守れない大国というイメージである。
2025年1月に配信されたAP通信の記事によれば、ロシアとイランは包括的戦略的パートナーシップ条約を結んだ。20年条約で、貿易、軍事協力、科学、教育、文化まで幅広く含む。ただし北朝鮮との条約と異なり、侵略を受けた場合の相互支援は想定していない。
4月8日に配信されたロイターの記事も、同条約が軍事・安全保障上の脅威への協議や共同軍事演習を含むと報じた。法的には、ロシアがイランを軍事的に守らなくても条約違反とは言いにくい。
しかし政治的には痛手である。3月8日に配信されたAP通信の報道によれば、ロシアは米国とイスラエルの攻撃に怒りの言葉を発したが、中東の同盟国を支える目に見える行動は取っていない。情報提供の可能性は報じられているが、それは「守れる大国」という看板の回復には足りない。
■本当の敗者は「信頼」を失ったロシアだ
したがって、イラン戦争でロシアは漁夫の利を得たとは言えない。たしかに、原油高で税収は増えた。制裁猶予で輸出の余地も広がった。その点だけ切り取れば、プーチン政権は得をしたように見える。
だが、13兆円という数字の裏側では、別の現実が進んでいる。主要輸出港は攻撃され、貯蔵能力は削られ、増産能力には疑問符がつく。制裁猶予は一時的で、欧米の反発を呼んでいる。日本やアジアの需要家はロシアだけでは救われず、むしろ調達先の多角化を急ぐ。さらにロシアは、包括的戦略的パートナーであるイランを守れない姿を世界に見せた。
プーチンが手にしたのは、相場が荒れた局面の一時的な現金収入である。失ったのは、安定した供給国としての信用と、反米陣営の盟主としての看板だ。石油価格は下がれば消えるが、同盟国を守れないという印象は残る。13兆円という数字は本当にプーチンの勝利を意味するのだろうか。その答えは明確だ。
これは勝利の領収書ではない。ロシアの弱さを映す診断書である。そう考えれば、イラン戦争の本当の敗者は、原油高で笑っているように見えるロシアだと言えるのである。

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伊藤 隆太(いとう・りゅうた)

防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント

防衛大学校共同研究員、NovaPillar Advisory LLC戦略コンサルタント、博士(法学)。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科後期博士課程修了。慶應義塾大学・広島大学助教、日本国際問題研究所研究員等を経て今に至る。Co-Chairs of the IPSA Research Committees (RC12)、APSA Committee of Best International Security Article等を歴任。単著論文はInternational Affairs誌に‘Hybrid Balancing as Classical Realist Statecraft’ (2022)、‘Hubris Balancing’ (2023)、International Relations誌に‘A Neoclassical Realist Model of Overconfidence and the Japan–Soviet Neutrality Pact in 1941’ (2023)、‘Outrage Balancing’ (2026)、単著研究書は『進化政治学と国際政治理論』(芙蓉書房出版、2020)、『進化政治学と戦争』(芙蓉書房出版、2021)、『進化政治学と平和』(芙蓉書房出版、2022)、編著研究書に『インド太平洋をめぐる国際関係』(芙蓉書房出版、2024)等がある。

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(防衛大学校 共同研究員/戦略コンサルタント 伊藤 隆太)
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