※本稿は、山口周『コンテキスト・リーダーシップ』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■優れたリーダーと最高のリーダーの決定的違い
リーダーにとって不可欠なのは、いま自分が立っている「居場所」を単に空間的・組織的に理解することだけではありません。それがどのような歴史的文脈の延長線上にあり、どのような流れの中で形成されてきたものなのかを見極めることです。
歴史的なコンテキストを理解することによって初めて、自らの立場の制約や可能性が明確になり、どこに介入し、何を変えることができるのかが見えてきます。
さらに重要なのは、この歴史的コンテキストを「操作する」リテラシーです。過去を単に受け入れるのではなく、過去をどう語り直し、未来に向けた物語として提示するかによって、リーダーの行動の正当性や説得力が変わります。
歴史の流れを読み解き、それを意味づける力を持つ者だけが、組織や社会における自らの居場所を主体的に築き上げることができるのです。
優れたリーダーはマクロ・コンテキストを精密に読み取り、組織の舵取りをします。しかし最高のリーダーはマクロ・コンテキストを編集し、人々が奮い立つような物語を語ります。
そのようなリーダーの一人として、真っ先に思い出されるのは、第二次世界大戦において、ナチスドイツのファシズム全体主義と戦い、イギリス、ひいては自由主義世界を勝利に導いたウィンストン・チャーチルです。
■チャーチルが下した歴史的決断
時計の針を1940年に戻しましょう。
現在の私たちには、なかなか想像するのが難しいことですが、当時の英国国内では、ナチスドイツとは戦うよりも宥和を図るべきだという世論が圧倒的に優勢でした。理由は大きく三つあります。
一つ目の理由は、すでにヨーロッパ大陸のほとんどがヒトラーの軍門に降っていた、ということです。
オーストリアは2年前にナチスに占領され、チェコスロバキアは地図上から消滅し、ポーランドは粉砕、ノルウェー、オランダ、ベルギーはすでに降伏し、頼みのフランスはからっきし頼りにならず、前線の指揮官は信じられないようなペースで次々に白旗を掲げて、ドイツ軍はパリに向かって突進していました。要するにイギリスはヨーロッパで孤立無援になっていたのです。
■ナチスに頼るしかない空気
二つ目の理由は、イギリスは直前の第一次世界大戦で多くの犠牲を出していた、ということです。
第一次世界大戦が終了したのは1918年ですから、多くの家族は未だ、戦争によって家族を失ったという悲しみの最中にありました。特に、オックスフォードやケンブリッジのエリート学生を子に持つ親や親族は、彼らがそのエリート意識ゆえに戦況の厳しい激戦地へと送られて亡くなっていたことから、深い悲しみの中に沈んでいました。
そんな国民に、再びあのような悲惨を味わわせることはできない、というのは人間として当然の感情だったでしょう。
そして三つ目の理由が、ソ連の存在です。
当時の英国の上流階級エリートたちにとっては、ヒトラーよりも、共産党ボルシェビキの「富の再分配」というイデオロギーの方がはるかに深刻でした。
シンプソン夫人との「王冠をかけた恋」で知られるエドワード8世などは、あろうことかベルヒテスガーデンの山荘にヒトラーを訪れ、イギリスとナチスの仲良しぶりをアピールするためのプロパガンダにまんまと利用されています。
■ヒトラーが仕掛けた認知戦
つまり、これら三つの要因によって、当時のイギリスでは「開戦より宥和」という空気が圧倒的に優勢だったのです。この状況について、聡明なヒトラーはよく理解していました。だからこそ、彼はあれほど迅速にポーランドを併合し、フランスに攻め込んでいけたのです。
「価値観の混乱」という状況を引き起こし、その混乱に乗じるというのがヒトラーの戦略だったわけですが、このような、いうなれば「巧みな認知戦の仕掛け」は、まんまと上首尾に運んだわけです。
経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、その著書『隷属への道』の中で、当時のヨーロッパのインテリについて次のように慨嘆しています。
きわめて悲しむべきことだったのは、第二次大戦が勃発する以前に、民主主義国家が全体主義国家の独裁者たちに対して示した態度であった。彼らは、プロパガンダ活動と同様、自分たちの戦争目的が何であるかという議論においても、内心のおぼつかなさや迷いを露呈してしまった。それは、自らの理想が何なのか、また、自分たちが敵と対立する点はどういう性質のことなのか、はっきりと理解していなかったことを示している。
■議会の空気はヒトラーに宥和的だったが
ハイエクがここで言っている「内心のおぼつかなさや迷い」というのが、まさにヒトラーが仕掛けた認知戦の成果でした。
当時のイギリス国内において、ナチスドイツとの宥和を図るべきだという議論を主導していたのは、チャーチルと首相の座を争ったハリファックス卿でした。当時、ヒトラーは枢軸国であるイタリアを経由して、英国に対して宥和策を提案していました。このヒトラーの提案に対して、英国としてはこれを受け入れるか、あるいは突っぱねて開戦するかという、ギリギリの選択が迫られている状況だったのです。
外相であるハリファックス卿は宥和を主張します。ドイツとの宥和を勝ち取るその代償として、マルタ、ジブラルタル、スエズ運河などの資産をドイツに対して譲渡する、というのがハリファックス卿の落としどころでした。
チャーチルはハリファックス卿のこの提案に対して激怒しますが、議会の「空気」は宥和に傾いており、流れを変えられそうにありません。
■世論をガラっと変えた一世一代の演説
この状況で議論を続けることは得策ではないことを悟ったチャーチルは流れを変えるため、議論が膠着状態に陥った午後5時の段階で2時間の休憩を入れ、7時に再開することを宣言します。そして会議を再開するにあたり、チャーチルは論理による説得を放棄し、その場にいる人々の魂を揺さぶるような一世一代の演説を打ちます。
私はこの数日、自分にとって、あの男(ヒトラー)と交渉し、宥和を勝ち取ることが私の政治家としての使命なのか、ということについて熟考してきた。しかし、いま妥協して小さな平和を勝ち取ることで、徹底して戦い抜いた場合よりも、良い世界が待っている、という考え方に、私はどうしても同意できない。
長い歴史をもつ私たちの国が育んできた自由主義の伝統と価値をもし投げ捨てるのであるとすれば、それは安易な妥協によってではなく、喉に血を詰まらせて地に倒れ伏すまで、徹底的に敵と戦い抜いた後であるべきではないだろうか。
この演説のあと、閣議を再開すると、すでに議論は終わっていました。宥和に流れかけていた空気は一転して「開戦への覚悟」へと転換し、ハリファックス卿が議論を降りたからです。
■チャーチルが示した強い物語
チャーチルは単に「ヒトラーと戦うべきだ」という政策的主張をしているのではありません。彼は「長い歴史をもつ私たちの国が育んできた自由主義の伝統と価値」という表現を用い、イギリスという国家が数世紀にわたり積み上げてきた理念・価値観を持ち出しています。
つまり、いま目の前の利害(小さな平和を妥協で得るか、徹底して戦い抜くか)の問題を超えて、自分たちの歴史的使命とアイデンティティーに立ち返るよう、同僚の議員たちに呼びかけているのです。
ここで強調されているのは、宥和によって一時的に血を流さずに済む道を選んでも、それは「イギリス史」の本流である自由の伝統を自ら投げ捨てることになる、という危機感です。チャーチルは「私たちは歴史の一部であり、その歴史がいまの選択に責任を負わせている」という強い物語を示しました。
英国によるナチスドイツへの宣戦布告がなければ、当然のことながら「非干渉原則」のモンロー主義を掲げる米国による世界大戦への参戦はあり得ません。そうなればヒトラーとナチスドイツによるヨーロッパ支配はずっとのちになるまで、あるいは現在まで続いていた可能性もあります。
つまり、このときのチャーチルの決断がなければ、世界はいまとは随分と違ったものであった可能性が高いのです。
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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。
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(独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周)

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