患者にとって本当に必要な治療は何か。大阪けいさつ病院の竹政伊知朗さんと大森健さんは、大腸と胃のロボット手術分野において、日本を代表する二人の名手だ。
同じ消化器を専門としながら、性格、歩みは全く違う。しかし患者に対する治療への思いには共通点がある――。
※本稿は、大阪けいさつ病院広報誌『OIM∞』の一部を再編集したものです。
■反骨精神と医学部入学
竹政伊知朗を端的に表現するならば、反骨精神、人に恵まれながら道を切り拓いてきた男、だろうか。
竹政は1965年に広島県で生まれた。外科医だった父親の開業に合わせて大阪に移っている。高校からは横浜市にある桐蔭学園に進んだ。横浜に特に縁はなく、親許を離れて自分でいろいろやってみたかったと笑う。桐蔭学園は学力に合わせてクラス分けがされていた。
竹政のクラスは50人のうち半分が東京大学、残りは医学部という具合だった。そこで竹政の反骨精神がもたげる。「なんでみんな東大、東大って言うのって。
それが嫌でわざと受験しなかったんですよ」とうそぶく。
竹政が興味を持ったのは音楽と建築だった。高校卒業後は、友人の家に居候して渋谷にあるジャズクラブで働いた。2年ほど経ったころ、脳外科医だったその友人の父親に諭されて、大阪に戻ることになった。
帰宅してみると、受験をしなかったことを両親が咎めることはなかった。文句を言われれば東京に戻ろうと竹政は身構えていたという。両親の懐の深さに感じ入り、受験勉強に戻り、大阪医科大学に入学。
ただし、この時点では将来への展望はなかった。世界各地の建築を見て回り、バックパッカーとしてアフリカを一カ月かけて旅したこともあった。「成績は留年しないぐらいでぎりぎり。真面目な学生ではありませんでした」と頭を掻く。
■身体の中でカチッと音が鳴った
手塚治虫の漫画『ブラックジャック』に憧れていた竹政は、医師になるとすれば外科医と決めていた。
最終学年である6年生のとき、国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)へ手術見学に行った。そこで人生の師となる男に会う。
「6年生というのは医学のことは何も分かっていない。そんな自分でも吉川(宣輝)先生のメスのさばき方、手の動き、場をコントロールする雰囲気は別次元でした」
これこそ自分がやりたかったことだと、身体の中でカチッと音が鳴った気がしたという。国立大阪病院の外科は大阪大学医学部の関連病院だった。そこで大阪大学第二外科に入局。そこから医療の道にのめり込んで行く。
大腸がんの開腹手術では、執刀医がメスで切り、助手が電子メスで止血していく。最初のうち「お前の指(の動き)が遅いから赤血球が10個こぼれた」と叱られたという。
見えるはずないだろうと心の中で叫びながら、必死で吉川についていくしかなかった。やがて吉川の術式を研究し、先回りができるようになった。
「ぼくの身体には吉川先生の考えが染みついています。
しがみついて教わって良かったと今でも思います」
■「腹腔鏡手術できないね」と言われて
その後、秋田赤十字病院消化器センターに移り、「内視鏡の神様」と称された工藤進英の下についた。外科医も内視鏡の手技を習得したほうがいい。そのため工藤の技術を学びたいと考えたのだ。
一年後、大阪大学大学院に入学。論文を書き上げると奈良先端科学技術大学院大学に国内留学した。ここでヒトゲノム解析研究を牽引していた分子生物学者、松原謙一の教えを受けた。
2004年、大阪大学大学院の消化器外科に臨床医として戻ると、手術現場の景色が一変していた。腹腔鏡手術が主流となっていたのだ。腹腔鏡手術とは、腹部に直径5~10ミリ程度の小さな穴を5つ開けて、手術器具と腹腔鏡というカメラを入れて行う。
「それまでは偉大な外科医ほど大きな切開をする、と言われていました。腹腔鏡手術はその逆でした。ぼくは最初、腹腔鏡を受け入れられませんでした」
開腹手術の技術に自信があったことが裏目に出たのだ。
ある日、後輩から「竹政先輩は全然腹腔鏡手術できないね」と陰口をたたかれていることを知り、じゃあ、やってやろうじゃないかと奮起した。
竹政らしいのは、探究を積み重ねて周囲に追いつくだけでなく、さらに先へと進んだことだ。2009年、世界で初めて大腸がんの切除手術を腹腔鏡の単孔式で行なっている。
単孔式とは、通常5つの穴を開けて行う手術を1つの穴で行う術式だ。
「傷は小さければ小さいほど身体への負担が少ない。5つ開けるよりも1つのほうがいいという当たり前の考えです。当然、自由度は少なくなります。術中に合併症が起こる主たる原因は出血。狭い中、どうしたら血が出ないかを徹底的に考えなければならない」
■新しい技術を否定した人間は淘汰される
その直後、もう一つの転機が訪れる。手術支援ロボットの登場である。最初、竹政はロボット手術には懐疑的だった。
「ロボットは腹腔鏡よりも傷が大きくなる。
どうかなと思った。しかし、友人の医師がロボットはいいと言う。何がいいかと聞くと、早くて正確、再現性が高いと」
アメリカでのロボット手術視察の現場で、竹政の頭に浮かんだのは、腹腔鏡手術を始める前のことだった。自分は一度、開腹手術の技術にこだわって腹腔鏡手術を拒否した。
「新しい技術を否定した人は淘汰され、腹腔鏡をやっている人が中心になった。ロボットには可能性があると感じました。自分の指が曲がる方向は限られている。しかしロボットだと関節を360度、曲げることができる。手術の自由度、正確性が間違いなく高まる。新しい技術やコンセプトを毛嫌いしてはならない」
竹政は大阪大学に掛け合って、アメリカのインテュイティブ社の手術支援ロボット――ダビンチを日本で初めて導入してもらった。2012年のことだった。
■単孔式手術を可能とするロボットの開発を提案
ロボット手術では患者の体に直径8~12ミリほどの4つの穴を開け、そこからアームに取り付けたカメラと手術鉗子を挿入。
術者は、コンソールと呼ばれる操縦席に座り、3D画像を見ながらハンドルとペダルを操作して手術を行う。
持ち前の探究心と技術で竹政は日本初、世界初となる術例を数多く手がけた。大腸のロボット手術の第一人者となった竹政は世界のロボットメーカーから意見を求められるようになった。そこで彼は単孔式手術を可能とするロボットの開発を提案している。
これまで竹政が注力していた単孔式とロボットの融合だ。しかし、当初メーカー側は乗り気でなかったという。それでも後にこの意見が取り入れられ、一つのアームの先に柔軟性のある手術鉗子を4つ取り付けたダビンチSPが開発された。
そんな単孔式にこだわる竹政を心強く思った男がいた。大森 健である。
大森は1971年に京都で生まれた。大阪府の高槻高校から現役で大阪大学医学部に進んだ。竹政と大森は同じ消化器を専門とする外科医ではあるが、その歩みは対照的だ。大学卒業後は母校、大阪大学医学部附属病院第一外科に入局。
その後、日生病院、広島県の呉医療センターに移った。「呉は(大阪から)遠いので何人も断ったそうです。ぼくは受けざるを得なかった」と苦笑する。そして大手前病院、大阪大学医学部を経て、2007年に大阪警察病院に入っている。
「当時の警察病院は腹腔鏡が主流でした。膵臓がん以外、大腸、胃、ヘルニアを単孔式で手術をしていました」
■大切なのはみなができる術式を広めること
前述のように単孔式は細かな手技が必要となる。大森はこの技術を磨くことに専念した。先人のいない世界を切り拓こうとした動機は、竹政と同じだ。穴、つまり「傷」は少ないほうが患者の身体への負担が少ないからだ。
しかし――。
「2014年頃、学会で単孔式の新しい術式を発表しても、これは無理、できませんみたいな雰囲気になっていました。一つの傷ではできないから、二つぐらい足したり。一つの傷でやるのではなく、減らせばいいという流れでした」
わざわざ難しい技術を覚える必要はない、大切なのはみなができる術式を広めることだという、“均てん化”の流れである。
竹政と会ったのはそんな時期だった。
「一緒の医局なので面識はありました。しかし、深く関わることはなかった。ある会で、ぼくが胃、竹政先生が大腸でコラボしたんです。手術が上手くて、ぼくと同じことを考えている先生がいるんだと思いました」
■胃がんと大腸がん、二人の名手が揃う
大森は単孔式の腹腔鏡手術とロボット手術には共通点があるという。
「使える手が4本。そのため手術の展開が似ているので、ロボット手術で使っているような曲がる鉗子を腹腔鏡手術で試してみたこともありました」
鉗子は自分で工夫して作りました、いつでもロボットに対応できるような体制をとっていたんですと微笑む。
2014年、大森のいた大阪警察病院にダビンチが導入された。
「当時は使える鉗子が限られていたこともあって、最初の印象はやりにくいな、というものでした。これまで1個の傷でやっていたのに、4つも傷をつけるというのもどうかと感じていました。最初の1、2例は苦労しましたが、3例目から快適になった。当時ではびっくりするような短時間で手術を終えることができた」
ラーニングカーブ(学習曲線)が腹腔鏡手術よりも上がりやすい。これからはロボット手術だなと確信したという。
その後、大森は大阪府立成人病センター、大阪国際がんセンターを経て、2024年4月に大阪警察病院に戻ってき警察病院行きは希望だったんですかと尋ねると、ぼくは医局に言われたままに動いているだけですと冗談っぽく笑った。
その約半年後、札幌医科大学の教授になっていた竹政が合流した。警察病院に胃がんと大腸がん、二人の名手が揃ったことになる。
■いかに患者さんの負担が少ない手術を届けるか
手術看護師の岡村厚志は二人に共通しているのは、“術野”が綺麗なことだと言う。手術を行なっている部分の見通しがいいという意だ。
「スピーディーで、血が出ないので術野が綺麗。血が出ると電子メスで焼いて止血します。そうすると黒くなる。二人も焼くんですけれど、血が出ていないから焦げない。綺麗で早い」
つまり、どのような順番で手術を行うのか、どの場所を切れば出血が最小限で済むのかを考え抜いているのだ。
大森は竹政が開発に関わったダビンチSPを使いこなす術者でもある。
「食道の手術をするとき、ダビンチSPならばテニスボールぐらいの空間で綺麗に手術ができる。傷が一つで済みます。ダビンチSPを使えば腹腔鏡では難しかった手術が、均てん化できる」
かつて大森しかできないと言われていた手術が他の術者にも可能になる。ただし、単孔式のダビンチSPを導入している医療機関は限られている。
傷が少なければ少ないほど、手術の痛みは軽く、術後の回復も早い。手術支援ロボットを複数台導入できる医療機関ならば、1台は単孔式があってもいいと大森は考えている。
「ぼくたちはいかに患者さんの負担が少ない手術をお届けできるかを考えています。他の病院がやらないならば、安全を担保しながら、自分たちで切り拓いていく。それだけのポテンシャルがロボット手術にはあるんです」
さらにロボット手術にAI(人工知能)を取り入れた手術のナビゲーションシステムの開発に関わっている。
■現役で手術ができるのは、あと1000件
もう一人の名手、竹政もAIに可能性を見ている。
「腹腔鏡、ロボットに続く、次のイノベーションは間違いなくAIです」
ロボット手術では動画の録画、解析が進む。この流れは止まることはない。ただし、ダビンチを製造しているのはアメリカの企業だ。日本の術者の技術が吸い上げられることになる。いかにそれを守り、日本の患者に還元するか。
また、手術支援ロボットは、ほぼ独占状態にある。競合企業が限られているため、運用コストが高い。それをどう下げて、持続可能にしていくか。
そして、後進の指導にも力点を置く。
「ぼくが現役で手術ができるのは、あと1000件ぐらい。それ以外の患者さんにも貢献するため、自分のマインドを引き継いでくれる人をたくさん育てたい」
すべては患者のために――そう考える二人の名手の挑戦に終わりはない。

(大阪けいさつ病院広報誌 撮影=奥田真也 取材・文=田崎健太)
編集部おすすめ