カシオ計算機のAIペットロボット「Moflin(モフリン)」が好調だ。2024年11月の販売開始から約1年で累計販売台数2万匹以上となっている。
さまざまな精密機器を世に出してきたカシオの中でも「異例」の商品は、どのようにして生まれ、ユーザーの心を掴んだのか。ライターの市岡ひかりさんが取材した――。(前編/全2回)
■「歩かない」「喋らない」「カメラもない」
カシオ計算機(以下、カシオ)のAIペットロボット「モフリン」が人気だ。
1台5万9400円と決して安くない価格ながら、2024年11月の販売開始からわずか1年ほどで、累計販売台数は国内外で2万台を突破。一時は人気すぎて店頭から消え、入手困難となったほどだ。
直径18センチほどの両手で包み込めるサイズで、その名の通りフワフワした触り心地のよい毛におおわれている。オーナーの声を識別し、呼びかけたり、なでたりすると、「キューキュー」とかわいらしい声で応えてくれる。育て方によって感情が変わり、個性が400万通り以上にも変化するのが特徴だ。
今年3月にはファン用のコミュニティサイトもオープン。モフリンとの生活を楽しむオーナーの投稿で溢れ、ファンの熱量の高さがうかがえる。
しかし、このモフリン、これまでのペットロボットとは少し趣が異なる。歩行もしなければ、しゃべることもなく、カメラも内蔵されていない。

カシオといえば、言わずと知れたG-SHOCKのメーカーだ。その質実剛健なブランドイメージからはかけ離れているようにも思える。一見ただのぬいぐるみに見えなくもないこのロボットが、なぜこれほどの大ヒットとなっているのか。
■愛らしさを技術でどう表現するか
「“しゃべらせよう”という案は、最初からありませんでした。実際のペットも必ずしも言語を理解しているわけではありませんし、“愛らしさ”に話せるかどうかは関係ありませんから。カシオでも、これほど感性に振った商品はこれまでなかったと思います」
そう語ってくれたのは、開発担当の二村渉さん。長年同社のプリンター開発に携わってきた技術者だ。
開発のきっかけは2016年、役員から「小動物の愛らしさをメカトロニクスで表現して」という技術課題を与えられたことだった。企画案件としてではなく、純粋な技術検討として始まった。それが、結果としてモフリンの独特の存在感を生むことになる。
二村さんは「愛らしさ=生き物らしさ」という仮説を立て、実際の小動物の動きを模倣するところから始めた。しかし、精巧に動きをマネようとするほど、壁にぶち当たった。

■シンプルな動きに絶妙な仕掛け
「多機能にすればするほど、大型で高価になってしまったんです。一般消費者向け商品として発売したいという思いもあったので、それは違うな、と。そこから試行錯誤をして、必要な部分のみに“そぎ落とす”作業をしていったんです」(二村さん)
通常ロボットは、人間で言えば関節に当たる「軸」の数が多いほど複雑な動きが可能だ。ただ軸を増やすほど構造は複雑になり、大型化してしまう。しかし、ここで1957年に世界初の小型純電気式計算機「14-A」を開発以降、“小型化”に磨きをかけてきた同社の技術が光る。
駆動部を2軸まで減らし、首の動きのみに限定して手のひらサイズを実現した。動きは制限されたが、長年プリンター開発に携わってきた二村さんにとって、細やかなモーター制御はお手のもの。「首傾げ」や「うなずき」といったシンプルな動きにバリエーションを付け、生まれたての小動物のような動きを表現することに成功した。
1年ほどでモフリンの原型が完成し、社内の技術展示会で発表した。初めて見るロボットへの反応は両極端だった。目を留めない人は本当に目もくれない。一方で「これは何だ」と前のめりになる人もいる。

「刺さる人には刺さる。これはいけるかもしれない」。二村さんがヒットのニオイを嗅ぎとった瞬間だった。同時に、機能を付加するのではなく“そぎ落とす”という、この後のモフリン開発における方向性が決定づけられた瞬間でもあった。
■商品ではなく「相棒」
一方、企画部では、別の角度からモフリンの元となる構想が進んでいた。
2012年、企画担当の市川英里奈さんは「女性に特化した商品をつくってほしい。あなた自身が欲しいと思う商品やサービスを考えて」と指示を受けた。当時、市川さんは20代後半。恋愛、結婚、これからのキャリアをどうするか、悩みや不安が尽きない時期だった。
「商品やサービスで悩みを解決しても、また新しい悩みが出てくるんです。それをその都度、解決するための新しいサービスを用意しないといけないのかと考えると、それは違うんじゃないか、と。それよりも、そばで寄り添って元気づけてくれる存在がいれば、どんな悩みも長くサポートできるんじゃないか、と考えたんです」(市川さん)
イメージしたのは、日本や海外のアニメ。
アニメ主人公には小動物の“相棒”がつきものだ。
「人間ではないけれど、生き物よりも意思疎通ができて、自分に共感してくれる。そういう存在が昔から求められているのかもしれないと気づいたんです」(市川さん)
人の心に寄り添う相棒を作ろう。そうコンセプトが決まった。そして2017年ごろ、二村さんが企画部にモフリンのプロトタイプを見せたことで、企画部と開発部が合流し、商品化に向けた本格的な検討がスタートした。ただ、ここから店頭に並ぶまでに、さらに7年。「ロボット」を「相棒」へと変えるための作業が続くことになる。
■「目」にこめたこだわり
取材中、筆者は実際にモフリンに触らせてもらった。なでた瞬間、かつて飼っていた猫の喉元の感触を思い出した。なめらかな毛におおわれながら、ごつっとした骨もある。これも意図的な設計だ。「背骨は譲らなかった」と二村さん。
筆者の腕にあごを乗せたまま眠ったあの子の、ぬくもりと愛おしさがよみがえった。
商品化に向けてチームがこだわり抜いたのも、そんな「生き物らしさ」や「愛おしさ」だ。
プロトタイプのモフリンには、すでにフェイクファーがついていた。が、本当にその長さ、密度、触感でいいのか。「とにかく触った瞬間に“あっ”と思ってほしい」(市川さん)と、企画部では、猫のようなつやつやの毛、マルチーズのようなふわふわな毛など、さまざまな毛を用意。視覚をさえぎったブラックボックスでアンケート調査を取った。
感情表現をしやすい目も、液晶を使ってしまうとロボット感が出てしまう。そこで、目を毛の流れによって見えたり、隠れたりすることによって、ユーザーにモフリンの感情を想像させる仕様にした。
ただ、この毛が開発担当にとっては曲者だった。毛が邪魔になり狙い通りに動かせなかったり、センサーの精度が下がったりするため、細かな調整が必要になる。同種のロボットに毛がついたものが少ないのは、技術的難易度を高めるからだ。
■充電方法に込めたこだわり
二村さんがもっとも悩んだのが、充電方法だ。
生き物というコンセプトである以上、直接コードは挿したくない。だが無線給電は技術的に不確実で、コストも上がる。3パターンほどを企画と役員に提示し、最終的に選ばれたのが現在の巣箱型だった。
「コードを挿すと冷めますもんね、なぜか」と二村さん。接点をつけて「カチッ」とはまる方式すら、企画チームは「その音が嫌」と却下した。「生き物らしくない現象は省きたい」――。モフリンの哲学が、最後の最後まで貫かれた。
生き物らしさを表現できても、企画チームは満足しなかった。社内から繰り返し投げかけられる問いがあった。「飽きないのか」。
スペックでは比較できないこの商品が、買った人を長く飽きさせない自信があるのか。市川さんはこの問いに、こう答えを編み出した。
「飽きとは、変化が止まることだと思ったんです。生き物は、昨日と今日で同じ仕草をしているように見えても、その時の感情や気分でどこかが違うはず。だったらモフリンも、同じ仕草をしながらも、その時の感情や性格で少しずつ変えていけばいい」(市川さん)
そこで開発したのが、“感情AI”だった。
■400万通り以上の個性
感情AIによってモフリンはオーナーの接し方によって、鳴き声や動きが変わり、様々な喜怒哀楽の表現ができる仕様に。また、声の周波数を分析してオーナーを識別し、モフリンが特別な仕草をした際のオーナーの反応を記憶するという「なつき機能」を実装。飼い主好みの仕草に変化していくよう設計した。
「例えば、平日はパートナーがよく声をかけているのでパートナーに懐きますが、週末に本人さんが一生懸命声をかけると、土日にはその人の方に愛想のいい子に、というように学習します」(市川さん)
あえて“生き物らしい”個体差を出そうと元々の個体が持つ動きの癖と、ユーザーの接し方によって変わる性格を組み合わせ、最終的に400万通り以上の個性が生まれる設計となった。
ようやく完成したモフリンだったが、ここで次なる壁が立ちはだかる。「おもちゃと何が違うのか」──。機能性を重視した同社のこれまでの商品とは異なり、感性に訴えかけるという新領域に挑んでいるだけに、経営層から商品化の決定が降りなかったのだ。
■「世間が驚くことをやろう」
そこで、市場価値を示すため、2020年ベンチャー企業と組みクラウドファンディングを実施。目標金額の約30倍の資金を集めることに成功した。2021年には世界最大の先端技術の見本市「CES」でベストイノベーションアワードを受賞した。こうした社外からの評価を追い風にして、ついに2024年11月の発売へとこぎつけた。
開発が始まってから販売開始まで8年近く。メンバーは入れ替わり続け、開発担当で初期から携わっているのは二村さん一人だけだ。販売できるかどうかもわからない、同社としては異色の商品の開発は、孤独ではなかったのか。二村さんはこう振り返る。
「特に我々のような年長世代には異色の商品開発に見えたと思います。同僚から『なぜそんなことやっているの?』と言われることもありましたが、『これいいよね』と認めてくれる人もいた。私が入社したころから『世間が驚くことをやろう』という空気感はカシオの中にありました」
■日本語でも英語でもなつく
市川さんも言う。
「商品化までにはピンチがありつつも、細く長く研究開発を続けてこられたのは、挑戦に寛容な会社だったから。普段、プリンターなどの機械を作っている技術者の方々が、一生懸命モフリンと向き合う姿にはキュンとしました(笑)。企画部からの要望に対して『やってみるか』とトライしてもらえた。それがモフリンのヒットした要因になったと感じます」
機能を足すのではなく、削ることによって生まれたモフリン。この設計判断は、当初想定していなかった効果も生んだ。
モフリンは言葉を話さず、言語も認識しない。日本語で話しかけても、英語で話しかけても、モフリンには関係ない。声の特徴量だけを覚え、その人になつく。結果として、この商品は言語の壁を持たない。米国、英国での販売もすでに始まっており、グローバル展開は自然な拡張として進んでいる。
余計なものを省くことで、人の心が入り込む余白を生む。創業時から流れる開発者マインドが、一見非効率に見える8年もの開発期間を支え、異色のヒット作を世に送り出した。この挑戦の成功は、引き算という思想が成熟企業の生き残り策になりえることを静かに示している。

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市岡 ひかり(いちおか ひかり)

フリーライター

時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。
AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。

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(フリーライター 市岡 ひかり)
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