■薩長の「仲介役」を担ったのは中岡慎太郎
幕末を代表するヒーローとして知られる坂本龍馬の最大の功績はなんなのか?
通説として有名なのは、「倒幕のため薩長同盟を仲介した」「明治維新後の新政府のヴィジョンとなる『船中八策』をつくった」という2点だろう。ところが、当時の文書をきちんと検証した結果、いずれも龍馬の手柄とは言い切れないという見方が有力になっている。
まず、1866年に結ばれた薩摩藩(現在の鹿児島県)と長州藩(現在の山口県)の盟約(薩長同盟)は、もともと福岡藩士の月形洗蔵が発案し、薩摩藩主・島津久光の側近を務める小松帯刀(たてわき)と、長州藩の伊藤博文・井上馨の間で交渉を進めていたものだ。
薩摩と長州を仲介する役回りは、龍馬よりも同じく土佐藩出身の中岡慎太郎のほうが積極的に動いていたことがわかっている。龍馬は証人として立ち会ったような立場だ。
■『船中八策』もオリジナル性は低い
そして盟約の内容は、「長州藩が幕府に攻められたら薩摩藩が援助する」「共通の敵は幕府を左右している一橋徳川家、桑名藩(現在の三重県桑名市)、会津藩(現在の福島県)」というものだ。この段階では、まだ薩摩藩は倒幕の方針を固めていなかった。
「船中八策」は、1867年に長崎から京都に向かう船中で、龍馬が土佐藩士の後藤象二郎に語ったものとされる。内容は、朝廷に政権を返す、上院と下院からなる議会をつくる、有能な人材を活用する、外国との対等な外交関係を結ぶ、海軍の強化などだ。もっとも、原本は残っておらず、後世の創作という説もある。
内容のほうも、じつは前から、幕府内の開明派だった大久保一翁(いちおう)、福井藩主の松平春嶽、福井藩に仕えた儒学者の横井小楠らが同じような案を唱えており、特別斬新というわけではない。
■本当に初対面で勝海舟を斬るつもりだった?
龍馬が、土佐、薩摩、長州、幕府その他、さまざまな勢力の人々と幅広く関わっていたことは事実だ。
一度土佐に戻って親類の武市半平太(武市瑞山(ずいざん))が結成した土佐勤王党に関わるが、剣術修業の名目で再び江戸に向かい、実質的な脱藩者となりながら、長州藩の久坂玄瑞や高杉晋作ら勤皇の志士たちと知り合う。
幕府内で開国派の有力者だった勝海舟を斬るつもりで訪ねたところ、海外情勢をじっくりと聞かされ、考えを改めて勝に弟子入りしたというエピソードは、勝自身も書き残している。実際には、このときは松平春嶽の仲介を受けた正式な訪問だった。勝は自分の体験をおもしろおかしく盛る人物だったらしいので、実際はもっと穏当な面会だった可能性も高い。
■暗殺犯はいまも謎に包まれたまま
勝のもとで操船を学んだのち、龍馬は、先に触れた大久保一翁や横井小楠、長州藩の桂小五郎(のちの木戸孝允)、薩摩藩の西郷隆盛らと親交を結ぶ。日本初の貿易商社といわれる亀山社中を結成し、長州藩のための武器調達などもこなした。
土佐藩が薩摩藩との連携を進めると、龍馬の活動は藩から公認される。かつて土佐勤王党と敵対した後藤象二郎、乾退助(板垣退助)らとも協力関係を結び、亀山社中は藩の支援を受けた海援隊へと発展。倒幕の動きが活発になり、幕府が大政奉還を行った直後の1867年11月15日、新時代の明治を見ないまま、龍馬は中岡慎太郎とともに暗殺される。下手人は幕府に属する京都見廻組とされるが、諸説あって定かではない。
■元土佐藩士・坂崎紫瀾が猛アピール
志なかばで早死にした龍馬は、明治維新の直後、世間にはほとんど知られていない人物だった。
坂崎は元土佐藩士で、板垣らとともに自由民権運動に参加していた。それで「今でこそ政府は薩摩と長州の奴らがデカい顔をしちょるが、われら土佐にも、こんなヒーローがおったんじゃ!」と龍馬の活躍をアピールしたのだ。もっとも、坂崎の筆はかなりいい加減な誇張が多く、当人もそれを認めている。
その後、高知県出身の歴史家である岩崎鏡川が、龍馬が残した手紙などをまとめた『坂本龍馬関係文書』を1926年に刊行。続いて1929年に、龍馬の足跡を詳細に追った『坂本龍馬 海援隊始末記』を、平尾道雄が刊行する。
平尾は土佐藩主を務めた山内家の家史編修所で働き、高知新聞社の嘱託、四国学院大学教授も務め、土佐藩についての書物を数多く残した。いわば、龍馬を生んだ高知お抱えの郷土史研究者だ。
■龍馬の功績とは一体何だったのか
これらをもとに書かれたのが、1963~66年に『産経新聞』に連載した司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』だ。龍馬を題材にした最も有名なエンタメ作品だろう。
その内容は、話を盛った不正確な部分も含めて、ほぼ『汗血千里駒』が元ネタといえる。『竜馬がゆく』は、1968年に北大路欣也主演でNHK大河ドラマとして放送された。
現実の龍馬の業績はそんなに大きくない。先に触れた薩長同盟と「船中八策」の件だけでなく、海援隊も龍馬の死後あっさり解体されてしまった。海援隊の残務処理を引き受けたのは、同じ土佐出身でのちに三菱財閥を築いた岩崎弥太郎だ。
海援隊の一員だった陸奥宗光は後年、西洋諸国との不平等条約の改正という大手柄を立てるが、龍馬の死から約30年もあとの話で、龍馬の間接的な功績というのはちょっと無理がある。
■幕府、藩閥、敵対した双方から愛された男
龍馬は1867年の年頭、西郷に対して、新しい政府には参加せず「世界の海援隊」をやりたいと告げた。のちに板垣も、「もし龍馬が生きていれば政府の元勲にはならず、大財閥の盟主になっただろう」と語っている。とはいえ、弥太郎はたびたび海援隊のメンバーに金をせびられていたというので、龍馬の商才はちょっと疑わしい。
そんな龍馬だが、依然として人気が衰えないのはなぜだろうか? おそらく、それは幕末の志士たちのなかで、最も「自由」と「青春」を体現しているからだろう。
木戸孝允や西郷隆盛らは藩の組織のもとで動いていたが、龍馬は脱藩浪人として独自に行動していた期間が長い。そして、大久保利通や伊藤博文らのように権力者になることもないまま死んだ。
明治維新後、かつて幕府に属していた勝、新政府で権力の頂点に立った長州藩閥の山縣有朋、伊藤、これと敵対して自由民権運動を起こした板垣、大隈重信と、立場の異なる者たちが、口をそろえて龍馬のことは好意的に語っている。
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小和田 哲男(おわだ・てつお)
静岡大学名誉教授
1944年、静岡市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。文学博士。公益財団法人日本城郭協会理事長。戦国史研究の第一人者として、NHK大河ドラマ「秀吉」「功名が辻」「天地人」「江 ~姫たちの戦国~」「軍師官兵衛」「おんな城主 直虎」「麒麟がくる」「どうする家康」の時代考証を担当。主な著書に、『豊臣秀長 秀吉と泰平の世をめざした、もう一人の天下人』(早稲田大学出版部)、『戦国武将の叡智』『戦国武将の実力』(ともに中公新書)、『知識ゼロからの日本の城入門』(幻冬舎)、『教養としての「戦国時代」』(PHP新書)、『徳川15代の通信簿』(だいわ文庫)などがある。
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(静岡大学名誉教授 小和田 哲男)

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