音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組『J-POP LEGEND FORUM』。 

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。
2020年3月の特集は、1969年2月に設立され50周年を迎えた会員制レコードクラブ、URC。田家秀樹が選曲した3枚組ベストアルバム『URC 50th ベスト・青春の遺産』の全曲紹介をしながらURCの歩みを振り返っていく5週間。第1週目となる今回は、DISC 1の1曲目から10曲目まで解説する。

こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、斎藤哲夫さん「悩み多き者よ」。先月発売になりましたURC50周年3枚組ベスト『URC 50th ベスト・青春の遺産』からお聴きいただいております。今月の前テーマはこの曲です。

・斎藤哲夫「悩み多き者よ」

「J-POP LEGEND FORUM」。J-POPの歴史の中の様々な伝説を改めて紐解いていこうという60分です。伝説のアーティスト、伝説のアルバム、伝説のライブ、そして伝説のムーブメント。1つのテーマ、1人のアーティストを1カ月にわたって特集しようという最近のラジオの中では贅沢な時間の使い方をしております。
当時をご存知の方には懐かしく、ご存知ない方たちには発見に満ちている。そんな時間、場所になればと思っております。

あの頃青春だった人たちがどんなふうに自分の生き方を歌ってきたか

今月2020年3月の特集はURC50周年「青春の遺産」と題してお送りします。URCの話はこれまでも何度か特集しておりますね。1969年に発足した自主レーベル。アンダーグラウンドレコードクラブ、通称アングラレコードクラブ。この頭文字を取ったのがURC。去年から今年が50周年イヤーということで、いろいろな企画が準備されています。それに先駆けて先月発売になりました3枚組ベストアルバムが『URC 50th ベスト・青春の遺産』。こういうタイトルがついています。これを全曲特集しようと思っています(笑)。卒業シーズンですからね。
1人1人が自分の進路とか今後を考えることの増える季節でもあります。

URC50周年3枚組ベストを5週に渡り全曲紹介、あの頃青春だった人たちの遺産を聴く


URCのアルバムの中の曲は、そういう人生の岐路とか世の中と自分とか、これからどう生きていくかみたいなテーマがいろんな形で歌われています。しかも、URCのアーティストは当時、10代後半から20代なんですね。まさに今、卒業シーズンを迎えているあなたたちと本当に同世代なんです。あの頃青春だった人たちがどんなふうに自分の生き方を歌ってきたか。そんな特集でもあります。

「青春の遺産」というタイトルにはもう一つ意味があるんですね。今月ご紹介するアーティストの多くが鬼籍に入られてしまった。お亡くなりになってしまった。でも曲は残されている。彼らの想いや気持ちは伝わる。そんな意味もあっての特集=遺産です。
どんなアーティストが登場するかというと、岡林信康さん、加川良さん、高田渡さん、斎藤哲夫さん、ザ・フォーク・クルセダーズ、金延幸子さん、中川五郎さん、三上寛さん、ザ・ディランⅡ、休みの国、シバ、友部正人さん、五つの赤い風船遠藤賢司さん、柳田ヒロさん、なぎらけんいちさん、早川義夫さん、といった人たちです。この番組では何度も特集したり、取り上げたり、ゲストに来ていただいた方も、あまりご紹介してこなかった方もいろいろいます。2、3月にかけて、その人たちのオリジナルアルバムも復刻されています。ということで3枚組51曲、5週間にわたって特集します。

最重要人物岡林信康と、最重要バンドはっぴいえんど

この3枚にはそれぞれテーマがあるんですね。単に代表曲が並んでいるというわけではないです。どういうテーマを歌っていたかが伝わりやすくするようにコンセプトがあります。今日ご紹介するのはDISC1「人生と暮らしの歌」。まずはDISC1の1曲目からお聴きいただきます。岡林信康さんで、「ゆきどまりのどっちらけ」。

・岡林信康「ゆきどまりのどっちらけ」

岡林信康さんはURCの発足にあたって、とても関係が深いんですね。URCが発足した主旨は商業主義に乗らない歌を自分たちの手で世の中に送ろうという、その一点。
岡林さんの「がいこつの唄」、ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が発売中止になりました。それがきっかけだったんですね。そういう意味では岡林さんがいてURCが始まったといって過言ではないでしょう。URCから岡林さんのオリジナルアルバム『わたしを断罪せよ』、『見るまえに跳べ』、『俺らいちぬけた』3枚出ているんですね。これは3枚目に入っている曲です。フォークの神様と祭り上げられてしまって、彼は京都の山中に引っ込んでしまった。その心境を歌っていますね。バックは柳田ヒログループです。岡林さんがこれを書いたのは、25歳のとき。みんな若かったんです。

・はっぴいえんど「春よ来い」

1曲目が先ほどの岡林信康さんの「ゆきどまりのどっちらけ」、2曲目がこのはっぴいえんどの「春よ来い」。これでなければいけないという始まりなんですよ。
最重要人物と、最重要バンド。はっぴいえんどは、大滝詠一さん、細野晴臣さん、鈴木茂さん、松本隆さん。元祖日本語のロックですね。1970年にデビューアルバム『はっぴいえんど』が出ました。その1曲目です。はっぴいえんどは岡林信康さんのバックバンドでプロになりました。はっぴいえんどと岡林さんを結びつけたのが、当時URCの音楽出版会社アート音楽出版の社員だった音楽評論家の小倉エージさんであります。この「春よ来い」はなんで日本語のロックの元祖と言われるかというと、いろいろな根拠があります。この歌の中には「お正月」「こたつ」「除夜の鐘」が出てくるわけですね。日本の年末、大晦日からお正月の風景が歌われている。コタツにみかんですからね。そしてドロップアウトしているんですよ。
家族と一緒にお正月を過ごしていないんですね。当時のバンドだけではなくて、当時の若い人たちの、大袈裟に言うと生き様。年末の過ごし方が顕著に歌われていたりする。こういう日本の生活感のあるロックというのは、それまでのグループサウンズにはなかった。彼らが日本のロックの元祖と呼ばれたりしている所以でもあるんですね。大晦日をこうやって過ごしている若者たち、いっぱいいるでしょ? あまり行くところがなくて、家にも帰れなくて、コタツでみかん食べながら俺たち明日からどうするみたいなことを話している。中には来年バンドで絶対に成功しようと言っている人たちもいるでしょう。そういう人たちに向けてお送りしている、聴いてほしいというのが、この『URC 50th ベスト・青春の遺産』でもあります。

自分たちの歌える歌はここにはないということからURCがはじまった、加川良

・加川良「大晦日」

加川良さんの1973年のアルバム『やぁ。』の中の曲です。加川さんがこの曲を書いたときは23歳ですね。さっきのはっぴいえんどの「春よ来い」がロックのスタイルの大晦日の歌い方だとしたら、これはフォークの大晦日。これはこじつけかもしれません(笑)。でも明日が見えないっていう意味では、ロックバンドをやっている人たちもこうやって1人で自分の歌を歌っているシンガー・ソングライターもあまり変わりはない。それは今も50年前もそんなに大きな違いはないような気がしています。

加川良さんはURCと切っても切れない関係だった。さっき話した楽曲の権利を扱う音楽出版社というのがありました。アート音楽出版。加川良さんはその社員だったんですね。そして1970年のフォークジャンボリーに飛び入りで参加して「教訓I」を歌っています。「教訓I」もこの51曲の中に当然入っています。当時の世の中の状況、社会の姿というのがURCにはとっても色濃く反映してます。どういうことかと言うと、若い人たちの過ごし方が、その前の世代と明らかに違っていたんです。世の中自体がそうなっていた。今、流行っている歌に俺たちの歌はないよな、自分たちの歌える歌はここにはないということからURCがはじまったんですね。なにが1番の違いかというと、とっても個人的なんです。自分のことを歌っている。自分の歌なんですね。加川さんもそんな自分の歌を歌い続けた人です。もう1曲、72年のアルバム『親愛なるQに捧ぐ』から「下宿屋」です。

・加川良「下宿屋」

「下宿屋」っていう言葉は今どれくらい使われているんでしょうね? 死語になりかけているんじゃないかと思うんですが、下宿とアパートの違いってお分かりになりますか? 日本語と英語とかそういう違いじゃないんですよ。例えば、食事。下宿と言うのは、まかないというのがありまして、ご飯が出てくるんです。つまり、今下宿させてもらっているというのは、どなたかのお宅の家に部屋を借りて、そこでご飯も作ってもらったりするところから始まった。薄汚いカーテンと裸電球とインスタントラーメンっていうのが歌の中に出てくる下宿部屋ですね。これは実際の下宿の話です。京都の高田渡さんの下宿ですね。「うつむきかげんの 彼を見つけたかったんです」と最初に歌っていた「彼」というのは高田渡さんですね。この下宿にいろんな人たちが集まっていた。岡林信康さん、シバ、そういう人たちが集まって、俺たちの音楽はこうじゃないといけないんじゃないかとか、そういう話をしていた。もしあの頃と今の違いの話をするのなら、議論でしょうね。口角泡を飛ばすっていう。今のご時世あまり泡は飛ばしちゃいけませんけどね、マスクをしないといけませんが、若い人たちがそうやって自分たちの明日、自分たちの生き方を議論していた。高田渡さんと加川良さんもそういう議論をしていた。歌の最後に「彼の親父が酔いどれ詩人だったことを知り」とあります。加川良さんは、高田渡さんのお父さんが労働詩人、お金もなくて詩を書き続けた詩人だったということを下宿で知ったんでしょう。そして、次の曲に、この人でなければいけないという人が登場します。高田渡さんで「ゼニがなけりゃ」。

鉱夫の悲しみとか辛さとか、それがお偉いさんたちにわかるんだろうか、高田渡

・高田渡「ゼニがなけりゃ」

URCは最初、会員制の自主販売組織として始まったんですね。1回目の配布アルバムというのがありまして、片面が高田渡さんで、片面が五つの赤い風船という変則アルバムだったんです。このアルバムはその後に出た69年の最初のフルアルバム『汽車が田舎を通るそのとき』に入っております。この曲を書いたとき、高田渡さん、いくつだったと思いますか? 20歳。先月発売になりました3枚組ベスト『URC 50th ベスト・青春の遺産』全曲紹介。DISC1の5曲目、高田渡さん「ゼニがなけりゃ」でした。

・高田渡「鉱夫の祈り」

DISC-1「人生と暮らしの歌」6曲目、高田渡さん「鉱夫の祈り」。鉱夫というのもこれまた最近聞かない言葉でしょう。地面の下に石炭を掘りに潜る人たちのことですね。戦後の日本の高度経済成長を支えたのが石炭というエネルギーだった。体を張って炭鉱の坑道という洞穴を通ってずっと地下に潜って行って体を張って汗まみれ、泥まみれになって、石炭を掘り当てて、それを地上に持ってくるんですね。サラリーマンも働く人ですが、労働者という意味では、これこそが労働者という仕事をしている人たちですね。高田渡さんは「鉱夫の祈り」、鉱夫の悲しみとか辛さとか、それがお偉いさんたちにわかるんだろうかと。高田渡さんは最後までそういうところから離れなかった。そういう人たちの気持ちをずっと歌い続けた人でありますね。この曲も先ほどご紹介した高田渡さんの1stフルアルバム『汽車が田舎を通るそのとき』に入っていたんですが、このとき高田渡さん20歳なんですね。渡さんも2005年に亡くなってしまいました。次の曲は、彼が、この曲を書いたのは19歳でした。

悩み多きすべての若者に贈る歌、斎藤哲夫、ザ・フォーク・クルセダーズ

・斎藤哲夫「悩み多き者よ」

1972 年に発売になった1stアルバム『君は英雄なんかじゃない』の中にこのバージョンが入っています。オリジナルのシングルは70年2月に出たんですけど、それとは歌い方も変わったりしていますね。今日はアルバムバージョンをお聴きいただいております。これを書いたのが19歳のときですよ。19歳のときにこんなふうに世の中のことを見ていた。今の19歳はどうなんでしょうね。中にはもっと先に進んで、もっといろいろなことをわかって勉強したり活動したりしている人もいるんでしょうが、多くの人たちはまだ先のことが見えないで、これから自分はどうなっていくんだろうというのを思いながら勉強をしたり、部活をしたりしているんじゃないかと思います。

URCというのはもともとザ・フォーク・クルセダーズとか岡林信康さんも所属していた高石音楽事務所というのが中心だったんですね。そういうところに集まっているのは関西系のミュージシャンの人が多かった。関西フォークの拠点と言われていましたからね。斎藤哲夫さんは東京なんです。大田区の大森というところの大衆食堂の息子さんなんですね。どこか先入観もあるんでしょうが、斎藤哲夫さんの明るい感じが東京の下町の食堂って感じがあったりします。でも、ポール・マッカートニーとかギルバート・オサリバンに影響された19歳でのメロディメーカー的なセンスというのは今聴いてもとても瑞々しいものがあります。1950年生まれで今も元気に歌っています。4月11日には下北沢の440、25日には武蔵野公会堂で歌うようですね。それでは、この悩み多きすべての若者に贈る歌。ザ・フォーク・クルセダーズで「悲しくてやりきれない」。

・ザ・フォーク・クルセダーズ「悲しくてやりきれない」

ザ・フォーク・クルセダーズの1969年の曲「悲しくてやりきれない」。これは69年の「イムジン河」が中止になって変わりに発売された曲です。加藤和彦さんが「イムジン河」の音符を反対側から辿って15分で書いたという伝説の曲。作詞がサトウハチローさんです。フォークルはURCではなくて東芝EMIだったんですね。「イムジン河」も東芝EMIから出る予定で出なかったわけですが、「帰って来たヨッパライ」は東芝から出て、この「悲しくてやりきれない」のシングルも東芝から出た。そして解散コンサートというのも東芝から出ているんです。『フォークルさよならコンサート』というライヴアルバムがあるんですね。それは東京での解散コンサートがアルバムになっているんです。今日お聴きいただいたのは大阪のコンサート。東京でやった後に、最後の最後だっていうことで大阪でやったのがこのライヴの模様なんですね。最初に北山(修)さんが「また、会いましょう」と言った時に「きゃー」と言ったのはそれですね。本当にもうこれで終わりなんだというのが「きゃー」に込められていますね。今回3枚組と同時に、このときのフェアウェル・コンサートのライヴアルバムも発売になっております。こういう再発ものには、それなりに新しいもの、レアだったものが目玉企画として入っていたりするんですが、次の人もそんな1人です。金延幸子さんの「み空」。

いかに女性シンガー・ソングライターとして早かったか、金延幸子

・金延幸子「み空」

この金延幸子さんという名前はご存知ないという方のほうが多いでしょうね。実は私もお会いしたことがないんです。72年にアルバムが出てすぐアメリカに行ってしまって、日本から離れた。日本のシーンからいなくなってしまったんですね。結婚して向こうに行ってしまったんですが、そういう意味では70年代でいろいろ語られていく中にこの人のことは抜けていることが多かった。そこに出てくることもなかったという女性ですね。72年9月に出た1stアルバムのタイトル曲です。URCは、これもお聴きいただくとわかるんですけど、男ばかりなんですよ(笑)。これは当時自分たちの歌をギターを弾いて歌おうという思考を持っている、よく言えばアグレッシブというか。悪く言えば生意気なはみ出した人たちはやっぱり男が多かったということなんだと思います。女性はそこまで思い切ることもできなかったでしょうし、家庭とか家とか家族とか、縛られていないにしても、それを気にして生きていかざるを得なかった。男のほうが跳ね返りが多かった。いや俺は勝手にやるんだといって、こういう歌を歌っていたりしたというのが女性の少なかった一つの要因でしょうね。彼女は69年に「愚」というグループでデビューしたんですね。このグループが瀬尾一三さん、中川イサトさん、松田幸一さんというな名うての人たち、サイケデリックなフォークバンドだったんです。そういうところで揉まれながらやっていた。金延さんは去年コンサートをやりまして、瀬尾さんはちゃんとお会いしに行ってましたね。そういう金延さんのアルバムも今回の再発の中に入っております。今日最後の曲はDISC1の10曲目。もう一曲金延さんが選ばれております。「時にまかせて」。

・金延幸子「時にまかせて」

この曲は1971年にビクターからシングルも出ているんですね。シングルのプロデュースが大滝詠一さんです。今お聴きいただいているのは、72年9月に出た1stアルバムで、アルバムのほうは細野晴臣さんがこの曲をプロデュースしているんですね。大滝さんと細野さんがシングルとアルバムそれぞれでプロデュースしている女性アーティストはたぶんこの人だけじゃないかな。それだけ当時、女性アーティストがまだいなかったということもあるでしょうし、女性の中で彼女が光っていたという現れでもありますね。ちなみに71年7月というのはまだユーミンはデビューしていませんからね。五輪真弓もいません。そうやって考えると、いかに女性シンガー・ソングライターとして早かったかが年表的にお分かりいただけるんじゃないかと思います。早かったということと、ポール・ウィリアムズというアメリカの音楽評論家と結婚して向こうに行ってしまった。いなくなってしまった。時代のいたずらというんですかね。「時にまかせて」というのが今の曲のタイトルでしたが、時のいたずらというんでしょうか。もしあのときこうなっていたら、この人はこうなんじゃないかとか、いろんな仮説が成り立つんですが、それは時が経ったから言えることですね。

日の当たらないところで悩んでいる若い人へ

竹内まりや「静かな伝説(レジェンド)」

「J-POP LEGEND FORUM」URC50周年『青春の遺産』パート1、日本で最初の大規模なインディーズレーベルURCの50周年を記念して発売された3枚組ベストアルバム『青春の遺産』の全曲紹介。今週はパート1、DISC1の10曲目までお送りしました。流れているのは、この番組の後テーマ竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

実はというほどのことではないんですが、この3枚組の51曲は私が選曲しているんです。去年の夏前ぐらいに「URC50周年なのでベストアルバムを作りたいので選曲してもらえませんか」と言われたんですが、最初は僕にはというので遠慮したんです。なぜなら、さっき名前が出た小倉エージさんとか、当事者がまだたくさんいらっしゃるわけで、僕は同じ時代にはいましたけど、そこに当事者として関わったことはないし、マニアだったこともないんですね。今だから正直に申し上げると、同時代同世代的には共感できるけど、違うところに行きたいと思っていたところがありました。もっとメジャーなものとか、派手なものとか、強いものとか、っていう音楽に惹かれていた。ただ、今回当事者じゃない方に選んでいただきたいと言われて、再発されるアルバムを改めて聴きなおしたら、僕はひょっとして大切な何かを置き忘れてきたんじゃないかと思ったんですね。あの頃ちゃんと目を向けなかったことがいっぱいあったなと。それを今の若い人たちに伝えたいなと思って、こういう選曲になっております。当時、これ地味すぎないかなと思った曲がいっぱい入ってます。ですから、あの頃みんな若かった、あの頃の僕らは熱かったという話を伝えようとしているわけではないんです。日の当たらないところで悩んでいる若い人、たくさんいるでしょうし、そこから離れたい、逃げたい、脱したい、出ていきたいと思っている人もいるでしょうが、そういう方達にこそ聴いていただきたいという3枚組でもあります。去年、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』という、80年以上前に出た本が話題となってベストセラーになりました。そういう人たちに届けばいいなという5週間です。来週はDISC1の11曲目からDISC2の3曲目までお送りします。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210
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