日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年9月の特集は「大江千里」。
1982年、関西学院大学2回生の時にCBS・ソニーオーディションの最優秀賞を受賞し、1983年にピアノを弾いて歌う男性シンガー・ソングライターの新星としてデビューした大江千里。80年代キャンパスカルチャーのシンボルとしてキャリアをスタートさせたその後もソングライターとして数々のヒット曲を残してきた。そんな彼をゲストに招き、「今だから語りたいマイ・ソング」をテーマに自薦した楽曲の制作秘話や思い出のエピソードを赤裸々に語っていく。パート4ではパーソナリティの田家秀樹とともに初のシングル・コレクションから1998年から2007年までの楽曲を振り返る。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。
今流れているのは大江千里さんの最新アルバム『Letter to N.Y.』から「Love」。

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田家:「Love」というのは、タイトルがあって作られた曲なんですか?

大江:いや、後から付けたんですけど、コロナに勝つ負けるじゃないけど、何とかこの暗黒の時代から抜け出そうっていう感じだったと思うんです。よく観光のスタンドにあるニューヨークのモノクロの写真のポストカードのイメージに向けて「Love」って叫ぶっていう。もう1回この街で生きさせてください!みたいに叫んでいる。そんな愛をニューヨークに向けて躊躇なく叫んでいる感じのイメージですね。

田家:今週は最終週で、年代で言うと1998年から2007年、10年間ありますね。


大江:そうかあ、渡米までですね。

田家:Disc1から3は5年ごとなんですけど、今回は10年。98年にエピックでの最後のアルバム『ROOM 802』が出て、その後にご自分のレーベルを発足させてアルバムを作られた。先週の最後の曲が「軍配はどっちにあがる」で、軍配を自分で上げようとした時期。

大江:そうですね。自分でレーベルって言ったってどうやってやればいいのか全くわからないから谷村新司さんが自身のレーベルをやっているっていうのを読んで、お話を伺いにいって、何をやるべきで、なにに気をつけた方がいいとかっていうのを教えていただいて。
そうやって自分の「Station Kids Records」ってレーベルを立ち上げて『Solitude』っていうアルバムを出しましたね。

田家:今週はそこから2008年に日本を離れるまでということになります。今日の1曲目「ビルボード」。

ビルボード / 大江千里

田家:2000年8月に発売になったシングル『ビルボード』。アルバムは2000年9月の『Solitude』。ご自分のレーベル「Station Kids Records」からの発売ですね。


大江:40歳です。いろいろ覚えてますね。東京グローブ座のクリスマスコンサートを開始して、もう1回仕切り直しというか。ちょっと前に奥田美和子さんの「しずく」っていうデビュー曲を一緒にやった担当の戸倉さんって方と組んで、セピアだったりモノクロだったりする自分の色をしっかりと見つけて絵を描いていく気持ちで作ったと思いますね。あの頃の引き出しを開けて、生き残るためにもう1回まだ使ってない言葉を磨いて無我夢中に曲を書いて歌っていましたね。

田家:このアルバムに収められてるシングルの曲の中で一番情報量が多いでしょう?

大江:そうなんですよね(笑)。
400字詰めのマス目を無視して1200字ぐらいあって。

田家:それだけやっぱり使いたい言葉がたくさんあったと。

大江:戸倉さんって人が淡々としてて情熱家で優しい。もう1回僕自身を探してくれみたいな気持ちで彼は寝ないで作ってましたね。

田家:谷村さんはどういうアドバイスをしてくれたんですか。

大江:ディストリビューションはどことか、お店はどことか、そういう話とか。
今までいろんな人がやってくれていたことを全部自分たちでやるって大変は大変な時期でしたよね。

田家:アルバムのタイトルは『Solitude』、孤独という意味です。

大江:でも『Solitude』ってつけているってことは、守られているんですよね。周りに仲間がいるからこそ、自分の中にむき出しを皿の上に乗っけるっていう。そのとき僕は走り出してるわけですよね。次に向けて。

田家:千里さんが選ばれた今日の2曲目。98年5月発売のシングル『碧の蹉跌』。アルバムは98年の『ROOM 802』です。

大江:さっきの「ビルボード」とか『Solitude』の前なんですけど、『ROOM 802』をマンションの802号室で、内田光一さんって方と一緒に作ったんです。内田さんはギターリストで、PERSONZの近いところにいまして。彼のスタジオが802号室で、そこで歌も録ったり。ちょうど大村さんが亡くなった時期ですね。だからこの曲を聞いていただくとわかると思うんですけど、言葉もエッジーで、「嘘を自分について 歩くぼくを許さないで」みたいな感じで、強くなくていい、憂いを離れて眠っておけみたいに、気絶しながら書いたみたいな。

田家:CDを聞いていて一瞬音が止まったみたいなところがあったんで、えっと思ったりしたんですけど。

大江:一瞬どうしたんだって言うぐらいブレイクが入って。

田家:あれは意図的に?

大江:そうですね。リズムがずれるギリギリぐらいまで離して。

田家:どういう効果を狙ったといいますか意図があるというか。

大江:「碧の蹉跌」は大村さんに捧げる1曲にしようっていうのがあって、自分を奮い立たせてエッジーに立たせないととても歌えないって感覚を折り込んでいったんだと思いますね。大村さんには言葉だけじゃなく本当に教わったことがいっぱいあって。背中を見て生きざまを見て教わった。いつか天国で会えたときに、どうでしたかってちゃんと聞ける物にしたいって思いながら作ってました。僕、ジャズをやり始めてから、大村さんのお墓に行って、お水かけてしばらくいたんですけど、昼寝をしちゃって。ぱっと目覚めたら目の前でアゲハチョウがバタバタ飛んでいた。それを見たときに、「大村さん!」と言って。ぱたぱたぱたって周りを嬉しそうにね飛んでいてびっくりしましたね。

田家:98年3月発売のシングル「TWO OF US」。さっきの話を伺った後だと、大村さんと千里さんが重ね合ったりもしましたけど。

大江:本当に重なりますね。とてもよく似てるというか、1を聞くと10わかってくださって。

田家:「碧の蹉跌」の中に「理由を聞く碧さ 笑えばいい」って歌詞があって、これが大人の優しさだなと思ったんですよ。

大江:笑えばいいってね、すごい短いけどストレートで。

田家:『ROOM 802』はエピック最後のアルバムで。

大江:一緒に作ってた内田さんも、そしてさっきの戸倉さんも亡くなっちゃって。一緒に生き尽くしたスタジオの中で仲間だったから、それぞれ語ることは山ほどありますね。

秋唄 / 大江千里

大江:これは夜明けまでラジオを聞いているのがテーマというか。僕はずっとラジオ少年で、本当にいっぱいお便りを出して上岡龍太郎さんとかに何度も読まれたりとかね。ペンネーム「河内の貴公子」って(笑)。そんなラジオ少年だったときに、布団をかぶってラジオを入れて、酸欠になりながらラジオを聞くっていう、そういう自分を歌ってるんですよ。

田家:唱歌みたいな感じありますもんね。

大江:そうですね。日本の古き良きメロディっていうか、本当に秋の雲とか季節が寒くなっていく切ない感じ。自分がまた一つ歳を重ねていくことを他の季節より何倍も感じてしまう感覚を書き残したいって。

田家:それはまだ開けてなかった引き出しになるんですかね。

大江:そうですね。これはね「格好悪いふられ方」みたいに歌詞とメロディがぱっと出てきて。「秋みだれし日」って出たときに、これだって強いものがあったんで、それに引っ張られて自分のことを書きました。

田家:40歳になる前、38歳のときの曲でありました。

Let it be, SWEET / 大江千里

田家:2002年7月に発売になったシングル「Let it be, SWEET」。2003年がデビュー20周年だったんですね。

大江:時代は2000年でミレニアムから次のフェーズに入って。この曲は自分の中でまだモヤモヤした中、始めるんだっていう決意を歌っている。今聞くとわかる部分がすごくあって。2002年は、一緒に故郷から出てきた仲間、キーボードをやっていた仲間が亡くなったり、飼っていた犬が次々亡くなったり、母が亡くなったり、365日中360日長い手紙のやりとりをメールでしてた友達が亡くなって。40代を始めるために何か喪失だったり、モヤモヤする霧の中をかき分けながら始めるんだって方向に向かって既に歌い始めてるんじゃんって。そのままじゃ駄目なのかいっていいながら、自分を許すために何かを始めるっていうか。

田家:Disc4を聞いてて、歌い方がちょっと変わってるかなっていう感じがしましたけど。

大江:そうですかね。なんかぶっきらぼうっていう感じですかね?

田家:それは自分で意識されてるわけではなくて?

大江:曲調もあると思いますね。

田家:ニューヨークに行ったとき、ボイストレーナーの方に歌い方をかなりいろいろ言われたというのをどっかで読みましたけど。

大江:「To be easy」って言われて、それがわかんなかったんです。そんなに焦って急いでがんばらなくて、ちょっと深呼吸しようかって言われて。僕はその深呼吸ができなかったというか。深呼吸をしている間に時間が過ぎていくからって。それがまず1点と、もう1点は Deep Breath、お腹で息をしようと言われたんですけど、大江千里歌唱法はチェストボイスなんです。彼女のトレーニングが舌を震わせるチャーチ的でゴスペル的な感じだった。そこと自分の音楽がうまく交差しないって結果を自分の中で理解していた部分もあるんだと思います。ポケットの中で手と手が触れ合ってギュって握手するようなドキドキするポップソングと飛距離ができてきて、フィクションでいくのか、なりきりでいくのか、私小説でいくのかを30代のときは果敢にチャレンジして。サウンド的にもあらゆるアプローチをやって。40代になったときは、今まさに田家さんがおっしゃったように、投げるように歌ってるっていうのは、どっかでもう答えが出ていたような感覚がありますね。この曲を書いたのは42歳だったと聞いてちょっと今驚いてて。もうちょっと後だったと思っていました。

田家:生き急いでいたっていうことなんでしょうね。

静寂の場所 / 大江千里

田家:大江千里さんの初のシングル・コレクション『Senri Oe Singles~Special Limited Edition~』Disc1から Disc4オリジナルの曲の最後の54曲目がこれです。2007年9月発売「静寂の場所」。

大江:これ『WHITE MEXICO』っていう映画の主演をして、その中で流れるっていうのがあったんで、そういうフィルターを通して書けたっていう。自分の思う理想のポップスの究極の形が、白い楽譜だったって感じだったと思うんですよね。リスナーの人たちとか、同じ時代に出会ったスタッフとか仲間とか、本当にコンサートに来てくれた人、 CDやレコードを聞いてくれた人たちのことをまず思った。ただ一つ、やっぱり自分の人生で、1回ちょっとわがままというか、自分が最高の大江千里のリスナーでいるために音楽を作れる場所に行こうって感覚だったなって思います。

田家:これを描いたときにはもう日本は離れてニューヨークに行くんだって決めてらした?

大江:決めていました。ちょうど大学に受かって、TOEFLをとって合格してっていうときにちょうど映画をやっていた後ぐらいに、関学の入学生たちのために先輩として語りにキャンパスに帰ったんです。経済学部に寄って内申書をもらってそれをアメリカに送るみたいな(笑)。僕は全てに別れを告げながらって感覚で1個1個準備をしてて。信じられるものはただ一つじゃないけども、自分が見られる中で何かそういうものがないと向かっていけないなって。それはきっとあのときに置き忘れたジャズで。『WAKU WAKU』とか『Pleasure』はジャズのスタンダード進行の曲が多いし、一番多感なときの自分のやり忘れたことに向かってもう1回勉強し直そうっていう感じだったんですよね。

田家:「静寂の場所」は映画というフィルターがありながら、ご自分の覚悟の遺書みたいな感じもあったんですね。

大江:ただ、僕が全てに別れを告げてって言っても、アメリカ人の友人がこう言ったんですよね。リスナーの人は意識してないんじゃないの?って。だから、どこかでまた会うんじゃないだろうかって。そんな未来が来るんだろうかって学生のときは思っていたけど、こうやって40周年っていう記念行事をやれて、こうして音楽が繋がっていくという、自分の中で自分が仕舞い込んでたものが紐解かれていくというか、そういう感じですね。

田家:シングル・コレクション『Senri Oe Singles~Special Limited Edition~』の曲は先ほどの曲で終わりで、最後は新作アルバムの曲で終わりたいと思います。『Letter to N.Y.』から「Out of Chaos」。

田家:大江千里さん7枚目のジャズアルバム『Letter to N.Y.』から「Out of Chaos」。

大江:まさにコロナ禍はカオスで、ニューヨークがなくなるような感覚が僕の中でありましたね。だけど、やっぱり底力を感じたというか。今町中は歯抜けだらけですけどエネルギーはやっぱりある。僕は街に教えてもらったり育ててもらっているんだけど、街に恩返しできてないっていうのもあるし、この街で踏ん張るぞっていうね。カオスの中で、しっかりと目を見開いていくぞっていう表明のような曲なんですよね。

田家:これだけジャズアルバムをお作りになって、ジャズかポップスかみたいなことって、もう全然問題にはないわけでしょ?

大江:やっぱりジャズは大好きですし、僕は人生の8、9割ぐらいをポップスのシンガー・ソングライターとして真剣にやってきたので、その両方の経験は本当にかけがえのないもので、それが今自分の中でマージするっていうか、重なり合うっていう感覚があって。

田家:今月は4週間いろいろお話を伺って、時間も削り、体も削り、精神も削りながら、詩を書いてきた言葉っていうのは今どんなふうに思ってらっしゃるんですか?

大江:やっぱりいい言葉は重要で。言葉があるから粘りが生まれる。言葉の形を借りて心の中にあるモヤモヤしたものを引っ張り上げてくれるツリーとのような感覚をフックしてくれる。それで引っかかってきたことを通して伝えたい思いっていうのは常に作者の中にあって。それは瞬間のもので、ポップミュージックの美しいところ。僕は今スタンダードを探していく年齢に入ってると思うんですけど、ジャズの現場だろうがポップの現場だろうが、全然キャリアとか関係ない誰かに会ったときに、僕の曲を歌いたいんだって言ってもらえるようなことが起こり始めるといいなってビジョンを描きながら曲を書いていて。来年、本当の40周年のゴールに向けて、いい音楽アルバムを作りたいなって。ずいぶん時間は流れてるのかもしれないけど、音楽を始めたときワクワクしたのがそのまま続いてる感じですよね。

田家:ポップアーティスト大江千里という意味では、これから幅広くいろんな形で活動が広がるって思っていいんでしょうか。

大江:それは僕はちょっとわかんないんですけど、いろんな人と出会うっていうことも最近多々あるし、ニューヨークって不思議な場所で、年齢が関係ないんですよね。ジャンルも関係ない。常に好きなものってやっぱり三つ子の魂で変わらないんですよね。それをどう引っ張り上げてくるのかっていう。自分1人じゃないところに向かっていくような気はするんですよね。

田家:これから楽しみですね。

大江:楽しみです。本当に。

田家:「FM COCOLO J-POP LEGEND FORUM」、デビュー40周年、大江千里さんの日本での活動をたどる4週間、「今だから語りたいマイ・ソング」と題してお送りしております。6月に発売になった初めてのシングル・コレクション『Senri Oe Singles ~Special Limited Edition~』のご紹介です。今週はDisc4からお送りしました。流れているのはこの番組のテーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

千里さんの40年、いかがでしたでしょう。ニューヨークに渡ったミュージシャンは数多いですが、ジャズピアニストに転身したシンガー・ソングライターっていうのは彼だけでしょうね。シンガー・ソングライターは言葉とメロディと歌ですから。いま言葉がない音楽を彼は作って自分で演奏してるわけで。

今回のアルバムを聞いて改めて思ったことがあって。ジャズって、ポップスを好きな人はどっか身構えたりするわけですけど、そういう身構え方を全然感じさせない、本当に繊細なタッチのピアノと、とっても気持ちいいグルーヴやリフ、メロディがある。これはやっぱりポップスのシンガー・ソングライターだから書けるジャズアルバムなんだなと思ったんですね。

実はこの番組の台本を書くときにも、ずっとBGMで聞いていたんですけど、すごく気持ちいいんですね。僕ら子供だった60年代当時は、ジャズもポップスも歌謡曲もみんな一緒でしたから。オスカー・ピーターソン・トリオとかジョージ・シアリングという、そのぐらいの名前しか知らないんですけど、そういう人たちの音楽が身近にあったんですね。イージーリスニングジャズってカテゴライズされてたんですけど、そういうアルバムとして聞くと本当に気持ちのいいアルバムだと思ったんです。アメリカのジャズミュージシャンは演奏するだけで、曲を書く人はあまりいませんから。しかも日本人ならではのタッチでデリケートな軽い爽やかな清潔な音でアルバムが作られている。これは可能性があるなと思ったりもしました。ポップスアルバムとして聞いた方がですね、みんな馴染みがあるんではないかと思ったりするんですね。千里さんのここからの活動がとっても楽しみになるそんな4週間でありました。大江千里さんの60代、楽しみにしたいと思います。また日本でポップスのアーティストとして活動するときが来るんではないかと思いながら終わろうと思います。

大江千里だから書けるジャズアルバム、1998年から渡米までと現在を語る


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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