孔子平和賞はノーベル平和賞に対抗して設けられた賞だ。第1回目の受賞者は、中国国民党の連戦名誉主席とした。連名誉主席は受賞を拒否した。そして孔子平和賞の迷走が始まった。
孔子平和賞を主催する団体の「中国郷土文化保護部」は2011年、同賞を取りやめて解散することを発表した。すると今度は、中華社会文化発展基金会なる団体が10月になり「孔子世界平和賞」の創設を発表。ところが同団体は同日中に「孔子世界平和賞」を含むすべての活動を停止すると発表。
さすがの孔子平和賞も「息の根が絶えた」に思われた。ところが11月には香港に孔子平和研究センターという団体が出現し、孔子平和賞を継承すると表明した。
同年の受賞者はロシアのプーチン首相(当時)。
孔子平和賞はその後、コフィ・アナン国連事務総長、農業関連研究者の袁隆平氏、中国仏教会長の釈一誠氏、キューバのフィデル・カストロ氏を受賞者に選んだ。しかし中国人2人を除いては、だれも授賞式に参加していない。要するに、皆が孔子平和賞を「シカト」したわけだ。
中国メディアの環球時報は28日「孔子平和賞は中国社会の主流の声ではない」と題する論説を発表。ノーベル平和賞には政治的要素が多いという中国側の従来からの主張は継承したが、中国には世界的な影響力を持つ平和賞を営む実力はないと指摘。
さらに、孔子平和賞が選んだ受賞者の大部分が「西側が好まない政治上の人物」と指摘し、ムガベ大統領を受賞者にしたことにも、厳しい異議が相次いだと論じた。
そして、孔子平和賞に対する「中国社会主流の承認度は高くない」と主張。国が関与している賞ではないので、挫折しても国が責任をとる必要もなく、西側社会にもある、社会の主流とは関係のない賞にすぎないと主張した。
考えてみれば、孔子平和賞には大きな矛盾がある。ノーベル平和賞の受賞者選定が「政治的すぎる」との批判により発足したのに、みずからが極めて政治的だ。しかも、世界からは相手にされないということで、中国人もしらけてしまった。
ここまで書いて、論語のこんな言葉が浮かんだ。「子曰わく、その身正しければ、令せざれども行わる。その身正しからざれば、令すといえども従わず」(子路・第十三)。つまり「自らが正しければ、強制しなくても人は実行する。正しくなければ、強制しても人は従わない」ということだ。
従う者を見つけにくい孔子平和賞。孔子の名を冠しつづけるのは「いかがなものか」と思う。
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◆解説◆
発足当初の「ドタバタ劇」を見ると、孔子平和賞の背景に、中国上層部の権力争いが関係している可能性が浮かび上がる。支持する勢力と、反対する勢力の対立だ。しかし、その後も低迷の状態が続いていることからは、孔子平和賞には肯定するも否定するも政治的価値はなくなったと考えてよい。あるとすれば、もともと後押しをした勢力の「面子(メンツ)」の問題だけとなる。
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