ぼくは現在、アメリカのシアトルにあるテック企業でプロダクトマネージャー(PM)として働いています。シアトルといえば、年中どんよりとした曇り空が広がる街ですが、最近はそれ以上に、地元のテックワーカーたちの表情が曇っているように見えます。

仕事終わりに同僚たちと近くのカフェに立ち寄り、ぼくはお酒を飲まないので炭酸水のボトルを傾けながら彼らの雑談に耳を傾けていると、最近の会話のトーンが、かつてのような「次はどのスタートアップが上場するか」といった華やかなものから、もっと重苦しく、どこか哲学的な不安を孕んだものに変わってきていることに気づきます。

それは他人事ではなく、PMとして日々AIツールと向き合っているぼく自身、背筋が寒くなるような恐怖をリアルに感じているからでもあります。

資産30億の「AI貴族」と、年収5000万の「永久下層階級」

いま、アメリカのテック業界を静かに揺るがしている、ある不穏な論争があります。

それは、年収5000万円を超えるような、一般水準から見れば紛れもないエリートたちが、真顔で「自分たちは永久下層階級(Permanent Underclass)」になるのではないかと恐れているという現象です。

ことの発端は、シリコンバレーの高名なベンチャーキャピタルであるメンロー・ベンチャーズのパートナー、ディーディ・ダス氏がSNSに投稿した一枚の考察でした。

彼は、ここ数年のAIブームによって、OpenAIやアンソロピック、NVIDIAといった最前線のAI企業に初期からいたわずか1万人ほどの人間が、資産2000万ドル(約30億円)を突破して一瞬でリタイア富裕層へ駆け上がったと指摘しました。

一方で、その輪の外側にいる「年収35万ドルから50万ドル(約5000万~7500万円)を稼ぐ、それ以外の優秀なエンジニアやPMたち」の間に、深い無力感と憂鬱(マレーズ)が広がっているというのです。

これは、シリコンバレーの金持ちの贅沢な悩みではありません。むしろ、日本のホワイトカラーがこれから直面する未来の先行上映なのです。

かつてアメリカでは、年収50万ドルというのは「人生クリア」に近い数字でした。良い家に住み、子どもを私立校に通わせ、株式報酬を積み上げながら、静かに富裕層へ移行していく。少なくとも、そういう未来が約束されている階級だったはずです。

しかし今、その階級そのものが「使い捨ての高給労働者」に変わり始めている。
どれだけ稼いでいようが、彼らは、自分たちもまた、いつでも代替可能な側に回りうるのだという感覚に怯えているのです。

「年収5000万円でも安心できない」AI時代に絶望する米国の...の画像はこちら >>

元Googleのトップが浴びた、卒業生からのブーイング

このニュースがメディアで報じられると、当然ながらアメリカのネット上は大炎上しました。

一般的な感覚からすれば、年収5000万円を稼ぎながら「下層階級」を自称するなど、傲慢の極みであり、ただの贅沢な愚痴にしか聞こえないからです。SNSには手厳しい批判や皮肉が溢れかえりました。

しかし、ぼくがシアトルの職場で同僚たちの姿を見て、そして自分自身の仕事の進め方の変化を実感するにつれて感じるのは、彼らの恐怖は単なる妄想ではなく、肌で感じているシビアな地殻変動に基づいているということです。

この雇用の先行きに対する若者たちのリアルな反発を象徴する事件が、2026年5月に起きました。元Google CEOのエリック・シュミット氏がアリゾナ大学の卒業式に登壇し、これからのAI時代について熱弁を振るった際、卒業生たちからブーイング(野次)が起きたのです。

シュミット氏はスピーチで、「これからはAIエージェントのチームを自ら率いて仕事をするようになり、AIはすべての仕事のやり方を変える」と語りましたが、これから社会に出る学生たちにとって、それは「自分の労働価値が奪われ、自動化される未来」の同義語でしかありませんでした。

会場からのブーイングに対し、シュミット氏はそのリアクションを受け止めるように、「君たちの世代には、機械がやってきて仕事が蒸発(evaporating)してしまうという恐怖がある。その恐怖は合理的だ」と語りました。現場の労働者が最も恐れていた未来が、いま「仕事の蒸発」という冷徹な言葉とともに、現実のものとして迫っています。

現に、アメリカのテック業界では、業績が良い企業であっても容赦ない人員削減が続いています。ゴールドマン・サックスのレポートによると、AIの影響で解雇されたテック労働者は再就職までに通常より1ヶ月以上長くかかり、しかも再就職時の給与が数パーセント下がっているというデータが出ているようです。


シアトルのオフィスでも、会議室で「この作業、もうAIで良くない?」という言葉が飛び交う頻度が明らかに増えました。

以前なら半日かけて悩みながら書いていた仕様書が、AIを使えば1時間で形になります。もちろん便利です。便利なのですが、速く書けるようになるほど、自分が長年積み上げてきた「考える」という行為そのものが、少しずつ機械へ外部化されていくような感覚があるのです。必死にキャリアの階段を登っているはずなのに、そのビル自体が取り壊し予定になっているような、静かな恐怖がそこにはあります。

誰もがトップエリートとして勝ち組の席に座っていると信じ込んでいたのに、「高給であること」と「安全であること」が完全に切り離されてしまった。これが、年収5000万円のエリートたちが抱き、実はいまのぼく自身も日々直面している、ディープな絶望の正体なのです。

努力のゴールデンルールが書き換わる日

ぼくたちがこの現象から学び、考えるべきなのは、「金持ちの奇妙な心理」ではありません。

彼らの絶望は、私たちが当たり前のように信じてきた「20世紀型の努力のゴールデンルール」が、完全に終わりを迎えたことを示しているという点です。

これまで、日本のビジネス社会でも、「英語を話せるようになろう」「プログラミングスキルを身につけよう」「資格を取って市場価値を上げよう」といったアドバイスが繰り返されてきました。努力して個人のスキルを高めれば、より高い給与と安定した生活が手に入るはずだ、と。

しかし、アメリカの最先端で起きているのは、世界最高峰のコードを書き、流暢な英語で複雑なプロジェクトを回せる人間ですら、「資本(AIシステムやプラットフォーム)を持つ側」に回れなければ、いつでも代替可能な存在になってしまうという現実です。

どれだけ個人の生産性を高めても、その果実にレバレッジがかかるのはシステムを所有する超ごく少数の勝者だけであり、労働者には「さらなる効率化の要求」と「レイオフに震える日々」だけが残される。


もちろん、AI税のような再分配の議論も避けられないでしょう。ただ、それ以上にぼくたち一人ひとりが問われているのは、「会社に選ばれること」を人生の中心に置き続けていいのか、ということです。そうしなければ、中間層の労働者がどれだけ必死にリスキリングを重ねても、社会全体の富は縮小し、一握りのAI貴族と、それ以外の「永久下層階級」への二極化が止まらなくなるからです。

「AIに負けない」を目指してはいけない

これは、日本のオフィスで働くホワイトカラーにとっても、決して他人事ではない未来の縮図です。

日本でもAIツールの導入が急速に進んでいますが、現場では若手が「自分がスキルを学ぶ前に、その仕事が自動化されるのではないか」という漠然とした不安を抱え始めています。Slackの返信速度とドキュメント処理量だけが、毎月のように改善されていく。その数字の上昇と引き換えに、私たちの「頭脳」の価値が少しずつ削り取られていく。

ぼくたちがこれから目指すべきなのは、おそらく「AIに負けないスキルを身につけること」ではありません。そんな競争は、最初から勝負がついているからです。

むしろ、どれだけ優秀な労働者になっても逃れられないこの構造を理解した上で、「会社組織の梯子を上る」というゲームとは別の場所で、自分自身の価値や、日々の生活の充実感をいかに定義し直すか。

数年前まで、この街では「どの会社に入るか」が人生を決めると信じられていた気がします。でも今、ぼくらが本当に問われ始めているのは、「どの会社にいるか」ではなく、「会社というゲームが壊れたあと、自分は何を支えに生きるのか」なのかもしれません。


少なくとも、シアトルの曇り空の下で炭酸水を飲みながら同僚たちの会話を聞いていると、そんなことを考えずにはいられないのです。<文/福原たまねぎ>

【福原たまねぎ】
シアトル在住。外資系IT米国本社のシニアPM。ワシントン大学MBAメンター(キャリア・アドバイザー)。大学卒業後にベンチャー企業を経て2016年に外資系IT企業の日本支社に入社。2022年にアメリカ本社に転籍し現職。noteでは仕事術やキャリア論など記事を多数発表。初著書『世界の一流が休むためにやっていること』(朝日新聞出版)が発売中。X:@fukutamanegi
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