東京女子プロレス

上福ゆきインタビュー 前編

 東京女子プロレスにおいて、唯一無二の存在感を放ち続ける上福ゆき。173cmの長身から繰り出される美しい蹴り技と、物事を俯瞰で見つめるクールな知性。

そして誰よりも熱いプロレスへの情熱を併せ持つ彼女は、いかにして形成されたのか。

 6月7日、後楽園ホールでの最高峰・プリンセス・オブ・プリンセス王座初挑戦を控えた彼女に、波乱万丈の生い立ちからプロレスデビュー、知られざる「フリーランス時代の仕事術」までを聞いた。

【女子プロレス】上福ゆきが振り返る壮絶なアメリカ生活と、"巣...の画像はこちら >>

【「おてんば娘」がアメリカで手に入れたタフネス】

――小さい頃は、どんなお子さんでしたか?

上福 ひと言で言えば「おてんば娘」でしたね。当時から集団行動がとにかく苦手で、勝手にひとりで行動しているような子供でした。近所の犬を触りにいったり、川で草をむしったりするのが好きだったので、アウトドア寄りの性格だったのかもしれません。

――中学2年から高校3年の途中までの約3年半は、アメリカで生活しましたね。

上福 父の転勤によるもので、本当に行きたくなくてギリギリまで逃げ回っていました。当時の仲間と離れるのがとにかく嫌だった。最終的には親に捕まって、「行くぞ!」と強制連行される形になりました。出発の前日に、ようやく「どうでもいいや」と適当に荷物をスーツケースに詰め込んだんですが、ずっと反抗していました。

――多感な時期に言葉も通じない異国へ行くのは、相当な苦労があったと思います。

上福 オハイオ州の小さな地域だったので、現地の人は「日本人なんて見たことがない」という状態。だから、日本人というだけでひどい言葉を投げつけられたり、馬鹿にされたりすることは日常茶飯事でした。

――アメリカでの生活で、役に立っている部分はありますか?

上福 一番は"とりあえず、虚勢でもいいから強気でいく"というマインドですね。たとえば、海外の空港のイミグレーション(出入国審査)って、ちょっと言葉がしゃべれないだけで気後れして弱気になりがちじゃないですか。でも、私はめちゃくちゃ平然とした態度で臨めます。

――メンタル面が徹底的に鍛えられたわけですね。

上福 できないことは「できない」とはっきり言う。嘘をつかず、等身大の自分でいることを恐れない姿勢は、すべてアメリカでの生活で培った気がします。

【帰国後、"巣鴨のレディー・ガガ"に】

――帰国したのは、高校3年生の途中ですね。

上福 「どうしても日本の高校生を経験してみたい」と父親に無理を言って、少し早めに帰国しました。数カ月間だけでも日本の高校生活を味わってみたくて。ただ、いざ編入したのが進学校で、周りは勉強を頑張る真面目な子ばかり。私のようなタイプはひとりもいなくて、「あ、選択をトチったな」と(笑)。

――その後、東洋大学に進学します。

上福 大学時代はすごく地味で、友達はふたりだけ。

サークルにも入りませんでした。新入生勧誘の時、先輩たちを「親の仕送りで生きているのに、人生を悟ったような顔をしている」と冷めた目で見てしまい、つまらなくなっちゃったんです。

――アメリカでの経験を経て、物事を俯瞰で見る視点が養われていたのでしょうか。

上福 アメリカには、本当にいろんな人がいましたから。大豪邸に住む女の子がいる一方で、その家の駐車場にテントを張って暮らしている同級生もいた。日本では見たこともない境遇で生活する人、障害を持つ人が身近にたくさんいました。

右腕がない先生が普通にパソコンを教えていたり、当時の日本で"イレギュラー"に見られていたことが、向こうでは"当たり前"だったんです。もちろん差別もありましたけど、多様で複雑な環境を生きてきたから、ちょっとやそっとの日常の出来事では動じない、引かないという感覚は身につきましたね。

――大学時代は、巣鴨に住んでいたそうですね。

上福 大学が近かったので。当時は、暇さえあればパチスロをしてました(笑)。ある日、目押しができず困っていたお婆ちゃんを助けたのを機に、巣鴨の商店街で有名人になったんです。

世間ではレディー・ガガが流行っていて、私も高いヒールを履いていたので、「レディー・ガガみたいだね」って言われていました(笑)。

 大学のミスコンに出場する時、商店街のおじいちゃんやおばあちゃんたちが会場まで応援に駆けつけてくれたんです。その組織票のおかげで、準ミスに選ばれました。

――その受賞が未来を開くきっかけに?

上福 芸能事務所への所属が転機になって、東京女子プロレスに出会いました。

【流されるように辿り着いたプロレスのリング】

――芸能界は想像どおりでしたか?

上福 よくも悪くも想像どおりで、人脈で成り立つ世界だなと感じました。

――そこから、どのような経緯で東京女子プロレスに?

上福 グラビアで芽が出ず、マネージャーに「パンチが効いていて、努力が成果になるものをやりたい」と相談して、髙木さん(=髙木三四郎/当時はDDTプロレス社長)を紹介されました。面談するとトントン拍子に話が進み、裏ではデビューの計画が進んでいたみたいです(笑)。練習見学の初日からいきなり前転をさせられ、流されるまま片足を突っ込んでいました。

――格闘技経験がないなかで、恐怖心はありませんでしたか?

上福 恐怖というか、「絶対に無理だろう」と(笑)。でも、周りからは「デビューが近いんだから危機感を持て」と言われました。一瞬、お婆ちゃんがいる鹿児島あたりに逃亡しようかと考えたんですけど、「遠すぎるな......」と諦めて、腹を括りました。

――デビュー戦(2017年8月26日、のの子&瑞希戦)の記憶はありますか?

上福 ざっくりとは覚えていますけど、当時はとにかく必死でした。ただ、隣に頼もしいパートナーのまなせ(ゆうな)さんがいてくれたので、「先輩の技をしっかり受けることだけは全うしよう」と。

プロレスのオーディションを受けている感覚でした。

【自ら掴み取ったバイク誌の表紙。そしてフリーへ転身】

――2019年3月、まなせ選手とのタッグで王座初挑戦した当時、ベルトへの欲はありましたか?

上福 まったくなかったです。チャンスを与えられて挑むスタンスだったので、ベルトという"形"よりも、まなせさんと一緒に目標に向かって頑張る過程に意味を感じていました。

――2021年6月に芸能事務所をやめてフリーランスになった理由は?

上福 所属の有無が活動に関係ないと思ったからです。ひとつ目の事務所も本音をぶつけて円満退所しましたが、ふたつ目の事務所はコロナ禍で「自分の力を試したい」とやめました。

 当然心配されたので、口先だけでなく実績を作ってから辞めようと。書店で見たバイク雑誌を見て「私のほうが格好よく乗れる」と直感し、アポなしで出版社に直談判したんです。「アメリカのギャングみたいに、最高にクレイジーで格好いいスタイルでバイクに乗れます!」と。そのアピールのおかげで、一発目で表紙に起用されました。

 その一度で終わらせないため、中型・大型免許を取得してバイクも購入して「本当にバイク乗りになった」と追い込みをかけ、再度表紙を獲得しました。東京女子の両国国技館大会(2022年3月)でも、バイク雑誌の協力でバイクに乗って入場シーンを撮影することもできたんです。

その実績を引っ提げて「自分で仕事を取れるので」と伝え、やはり円満退所しました(笑)。

(後編:王者・荒井優希との対戦で「美しさの境地」を見せる アジアの頂点を経て、東京女子のシングル王座奪還へ>>)

【プロフィール】

上福ゆき(かみふく・ゆき)

神奈川県藤沢市出身。173cmの長身と抜群のプロポーションを武器に、レースクイーンやグラビアアイドルとして活躍後、2017年8月に東京女子プロレスでデビュー。型破りなキャラクターと、長い脚から繰り出される強烈なビッグブーツやドロップキックを武器に頭角を現す。2020年にはインターナショナル・プリンセス王座を戴冠。近年はアジア諸国への遠征を敢行し、SPW認定クイーン・オブ・アジア王座、VPW認定女子王座を獲得して「アジア二冠王」に輝く。2025年には上原わかなとのコンビでプリンセスタッグ王座を奪取、さらに同年の「Max Heartトーナメント」を現役王者のまま制覇するという史上初の快挙を成し遂げた。東京女子プロレスが誇る、唯一無二の"美しき実力者"である。

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