―[東大卒作家・布施川天馬の教育キャリア通信]―

「窓が大きな声で歌った」
「飛行機は犬でできている」

 みなさんはこれらの文は「意味が通る」と思いますか。それとも「違和感を感じた」でしょうか。


 もしかしたら、今ちょうど「ん?」と思われたかもしれませんね。「違和感」は「生じる」あるいは「抱く」ものであって、「~感を”感じる”」だと表現が重複してしまっています。

 OECDによる国際学習到達度調査では、国語や算数など様々な分野において、91か国の15歳、およそ76万人を対象とした学力調査が行われます。

 日本は読解力が3位から4位に転落するなどありつつ、OECD加盟38か国に限れば「読解力」「科学的応用力」「数学的応用力」のいずれもが1位になったそうです。

 喜ばしいことかもしれませんが、一方で、SNSではまたもや若者の学力低下を嘆く声が上がっています。

 冒頭に示した「窓が大きな声で歌った」「飛行機は犬でできている」などが「意味の通る文章」か問う問題では、正答率が90%を切ったというのです。

 確かに「飛行機は犬でできている」わけがありません。だからこそ、声を上げたくなる気持ちもわかります。ただ、個人的には問題自体に不備があるようにも感じます。「馬鹿の烙印を押された10%の真意」を考えます。

「飛行機は犬でできている」に「はい」と答えたら“読解力不足”...の画像はこちら >>

言語学で有名な例題から考える

 “Colorless green ideas sleep furiously”というフレーズをご存じでしょうか。

 日本語に直訳すれば、「色のない緑の考えが、猛烈に眠る」とでもなるこの文は、一見すれば全く意味がない馬鹿げた文字列に見えます。

 しかし、これを考え出したのは、ノーム・チョムスキーという世界的に有名な言語学の第一人者でした。


 彼がこの文章で言いたかったのは、おそらく「文章例を集めたくても、誰かが使ったものしかそこにないならば、誰も使わないような文はそこに含まれなくて『非文(文章として成り立っていない文字列)』と同じ扱いを受けてしまう」ということ。

 文章を検討する際には、どうしても「過去にたくさん使用例があるものほど文法的に正しい」と思われがちです。

 しかし、実際には「支離滅裂すぎて、どう考えても、一度も使われたことがないけれど、文法的には正しい」ものが存在します。

 チョムスキーは、「過去の用例ばかりに頼りすぎると、こういう文を作れる可能性を見落としてしまう」と指摘したのです。

 それまでは「人間の言語能力は、過去の言葉の積み重ねによる」という考えがありましたが、これにより、我々の言葉は「過去の用例の積み重ね」以外にも可能性を秘めていることがわかりました。

 そして、この提示は、彼の話題からは少しずれますが、大事なことを同時に示してくれました。「意味が通らなくても、文として成立する文章はある」ことです。

一般常識で考えれば解けるはずの問題

「飛行機は犬でできている」に「はい」と答えたら“読解力不足”?15歳対象の学力テストに「頭のいい子ほど悩む」と感じたワケ
※画像はイメージです
 さて、「飛行機は犬でできている」は、意味が通らなくても、文として成立はしています。

 日本語の文法的にも不自然な点はありませんので、「飛行機が、犬でできているわけがない」という常識力チェックの点でこの問題は機能させるべきでした。

 確かに、読解力と呼ばれる能力には、一定の常識力が必要です。「一般常識」と呼ばれる予備知識群を適切に作用させて、必要なもの同士を結び付け、それらによって得られる新たな意味体系を受け取って咀嚼する。

「理解」とは、「目の前の情報群を、手持ちの情報群によって精査して、吸収したり齟齬をチェックしたりする運動」を指します。

 となれば、「飛行機が犬でできているわけないじゃないか!」と考えて、「飛行機は犬でできている」を否定するのは自然な流れでしょう。


 表現の幅として、特に子供向けファンタジーなどならあり得ると考えられたかもしれませんが、実際は設問の前に例題として「飛行機は犬でできている」は意味が通らないことが明示されていたようでした。

 そうして出題されたのが「窓が大きな声で歌った」。確かに、「飛行機が犬でできていない」なら「窓が大きな声で歌わない」と考えるのが自然です。

 ただし、今回は聞き方に若干の難があるような気もしています。

「意味が通る」の意味に悩む可能性

「意味が通る」を「文章の意味を解釈可能な状態にあるか」と捉えた場合、「飛行機が犬でできている」が否定される意味が分からなかった可能性があります。

「確かに荒唐無稽だけれど、文法的にはおかしいところがないから、”意味は分かる”じゃないか」と。

 英語の設問では「意味が通る」ではなく“if the sentence makes sense”と書かれていましたが、この場合は「何を言ってるかわからないけど、文法的にはOK」なだけでは“make sense”の要件を満たしません。

 その場合は“grammatically correct”(文法的に正確)であり、“make sense”とは言えないのです。

 だからこそ、英語版の設問ならば“Airplanes are made of dogs.(飛行機は犬でできている)”に対する答えはNoでした。

 しかし、日本語版の問いにある「意味が通る」は、一見して「“意味”を解釈してほしい」のか「文法的にOKか聞いているのか」がわかりません。

 それを防ぐための例題であったので、読解力を働かせてほしい意図があったのでしょうが、むしろ読解力のある子ほど「これはどっちだ?」と迷ってしまう気がします。

忖度という尺度は学力に関係ないはず

 実際に、私ならば必ず「これはどっちを答えるべきか?」と悩みます。きっと、少し悩んだ後で「まぁ、窓がでかい声で歌うわけがないし、そういう答えを大人が“読解力”の試験で聞いてくるわけもないから、答えてほしいのは“いいえ”だろう」と忖度して「いいえ」を選ぶでしょう。


 ただ、同時に「こんな曖昧な部分を残したまま出題して、答える側を学力以外で試すような真似をするのはやめてほしい」とも思います。

 試験後には、必ず先生など身近な大人に「あれは納得がいかなかった」と話しますし、もしここで「普通に考えてあり得ない」と「はい」を全く考慮しないまま切り捨てる態度を取られたら、「今後は、この人に話を聞きに来ても無駄だろう」と見切りを付けます。

 学力テスト本来の意義は、学力を測ることにあり、忖度できるか否かを試すことには無いはずです。そして、学力測定であれば、学力のある子ほどスラスラ迷いなく解けるように作られているべきだとも考えます。

 しかし、実際には、「学力があるからこそ迷ってしまう」問題が散見されます。

 そうした問題を間違えたときに限って「あいつは大したことが無い」と世間の人々は嘲笑する。考慮する変数が多すぎるからこそ、逆に混乱させられるケースもあるというのに、それがあまり騒がれていない気がします。

 世間では、この結果に「飛行機が犬でできていると思っている若者がいる」「読解力不足が深刻だ」と鬼の首を取ったかのように騒ぐ方もいらっしゃるようです。

 ただ、データとにらめっこばかりして、世相や人相を読む力が無くなっては、本末転倒。私はむしろ、この結果を叩く人にこそ、読解力テストが必要なのではないかと思ってしまいました。

<文・布施川天馬>

―[東大卒作家・布施川天馬の教育キャリア通信]―

【布施川天馬】
著述家、教育ライター。 教育メディア「未来図」副編集長。
一般財団法人「ドラゴン桜財団」評議員。 1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を編み出し、一浪の末東大合格を果たす。著書に最小コストで結果を出すノウハウを体系化した『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』など。株式会社カルペ・ディエムにて、お金と時間をかけない「省エネスタイルの勉強法」などを伝える。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)
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