現在、球団の最多タイ93セーブの記録を持つ角三男は、「11」を巡って不思議な変遷をたどっている。
76年ドラフト3位指名を受け、翌77年の都市対抗終了後に入団。
78年、キャンプは「11」で参加したが、3月後半に大洋からジョン・シピンが金銭トレードで加入。シピンが大洋時代につけていた「11」を角は譲ることになり、「45」に変更した。
この年、角は60試合に登板し5勝7セーブで新人王に輝く。この年の7セーブが、22年に大勢が超えるまで球団の新人最多セーブ記録だった。
しかし翌79年、制球力が定まらなくなりオフの伊東キャンプからサイドスローに転向する。80年限りでシピンが退団すると同時に、背番号も「11」に戻った。変則的なフォームで左打者のタイミングを外すことに成功し、81年には8勝20セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど、4年ぶりのリーグ優勝の立役者となった。
89年のシーズン途中、日本ハムに無償トレードされるまで、12年間での登板数は517。球団3位の数字を誇る。