関東圏の大学リーグに進んだ球児たちの「今」を紹介する「白球を追う」。第2回は公立進学校・旭川東から東京六大学の慶大に進学したリードオフマン・今津慶介外野手(3年)だ。

「北海道プライド」を胸に、部員214人の大所帯でレギュラーをつかんだ背景や、故郷への熱き思いを語った。(取材・構成=加藤 弘士)

 旭川で培ったスピードとパワーで、神宮の杜(もり)を席巻している。今春から慶大の「1番・右翼」に定着した今津は、闘志全開のプレーで陸の王者をリードする。立大2回戦の8回には右翼席へリーグ戦初本塁打となる2ランをたたき込むと、東大1回戦でも5回に先制の右越え2号2ラン。応援席へ拳を突き上げた。

 「僕が喜びを表すことでチームに火をつけたいし、スタンドで応援してくれる部員のみんなに一番喜びを伝えたい。一緒に喜びを共有したかったんです」

 旭川東では「1番・遊撃」を担い、主将として3年夏の北北海道大会で53年ぶりの準優勝に導いた。決勝では旭川大高に1―7で敗れたが、旭川明成、帯広大谷、滝川西などの強豪校を撃破した。あの夏の経験は、東京六大学で強敵と戦う上でもプラスになっている。

 「強敵と戦う上でのメンタリティーの部分です。明治も早稲田も強いんですが、向かっていく気持ちは負けずに、やれることをしっかりやろうと。後は正しい努力をすれば、結果が出るということを学びました」

 部員214人の慶大野球部。

地方公立校出身者がレギュラーをつかむのは至難の業だ。誰もが認める練習の虫。慣れ親しんだ内野から外野へのコンバートにも、前向きに取り組んだ。

 「3年春にスタメンなんて、考えたこともありませんでした。でもどこかでチャンスは来るはずだと、ガムシャラに練習へ取り組みました。つらい時に努力をやめなかったから、今があると思っています。打撃が一番の持ち味なので、チャンスをもらうためにはどこでも守ると」

 開幕前のオープン戦では、最速154キロを誇る東洋大の今秋ドラフト上位候補右腕・島田舜也(4年)から2安打を放つなど、勝負所での一打でアピール。名将・堀井哲也監督(63)の信頼を勝ち取った。

 「堀井監督の目指す野球は『うまい選手ではなく、勝てる選手を使う』というもの。野球のうまさなら負けるかもしれませんが、ここぞの一本を生み出す集中力なら、負けない自信がありました。監督の考え方と、僕の強みがフィットした結果だと思います」

 今春のリーグ戦ではここまで全8試合でトップバッターを務め、31打数10安打の打率3割2分3厘と結果を残す。17日からは法大戦。

31日からは華の早慶戦。たたき上げの今津が塁に出れば、ベンチも客席も活気づく。

 「心の中には『北海道プライド』があります。田舎のあまり有名じゃない公立校から出てきても、ここまでやれるんだと思わせたい。そんな気持ちが原動力になっています。僕が輝くことで、北海道からでも東京六大学でやれるんだ、と思ってもらえる存在になれればうれしいです。道民のみなさんから応援していただけることを力に変えて、頑張っていきたいですね」

 戦前から伝わる旭川東の学校標語で、妥協せずベストを尽くす精神という意味の「シマレガンバレ」を具現化したかのような若武者。そのバットで、明るいニュースを故郷に届ける。

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 【取材後記】今津と慶大は不思議な“球縁”で結ばれている。旭川東の3年夏、北北海道大会決勝で敗退した時には、一般受験で都内の私大を受験しようと考えていた。

 しかしちょうどその夏から、慶大野球部が旭川で夏合宿を行うことになった。練習参加し「先輩の人間性もプレーもかっこ良かった」と「エンジョイ・ベースボール」に魅了された。

総合政策学部にAO入試があると知り、志望校を変更。見事に難関を突破した。

 もしあの夏、慶大野球部が旭川に来なかったら…。男の運命なんて一寸先はどうなるかわからない。「ホントにいいチームなんです。思い入れ、めちゃくちゃ強いんですよ」と言い切る。

 「先輩が特に良くて。何度失敗しても『お前はやれる』って、何げない風呂場とかで応援してくれたから、頑張れた。このチームで絶対に優勝したいんです」

 名前に「慶」が入るのは「運命だったのかな」と今津。活力あふれる二十歳はいつの間にか、「KEIO」のユニホームがよく似合っていた。

 ◆今津 慶介(いまず・けいすけ)2004年11月3日、旭川市生まれ。20歳。

小1時に旭稜野球少年団で野球を始める。中学では旭川北稜シニアでプレー。旭川東では1年秋に初めてベンチ入りし2年秋から主将。慶大では2年春にリーグ戦初出場。リーグ戦通算10試合出場で、35打数11安打の打率3割1分4厘、2本塁打、5打点。176センチ、74キロ。右投両打。父・寛介氏は旭川市長。

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