◆パ・リーグ 楽天2―1日本ハム(24日・楽天モバイル)

 楽天・浅村栄斗内野手(34)が24日、日本ハム戦の初回に山崎から決勝点となる先制の右前適時打を放ち、史上56人目となる通算2000安打を達成した。17年目、平成生まれでは初の名球会入りとなる。

楽天在籍選手が到達するのは、15年の松井稼頭央以来2人目で大阪桐蔭出身者では初だ。西武時代の先輩・中島宏之氏を理想に掲げ成長。パ・リーグ歴代1位の連続試合出場は1346試合で途切れたが、快挙にお立ち台で男泣きした。2回には通算2001安打目で新たな一歩も踏み出した。

 これまでの長い道のりが走馬灯のように浅村の脳裏を駆け巡った。平成生まれ初の2000安打。晴れのお立ち台で普段はクールな男の目から涙がこぼれた。「(人前で)泣いたことないんで。泣くなんて想像していなかったんですけど、今までのことがバッと出てきて…。(涙を)止められなかった」。

 1回1死二塁。山崎の外角変化球を合わせた打球は決して会心の当たりではなかったが理想とする右前に運ぶ、浅村らしい一打だった。

敵味方など関係ない。日本ハムナインもベンチの外に出て快挙を祝ってくれた。球場を包み込んだファンの拍手にヘルメットを高々と上げて応えた。

 生みの苦しみを味わった。残り9本から自己ワーストの35打席連続無安打。あと2本からも17打席連続無安打と調子が上がらず、20日の西武戦でついに、パ・リーグトップで歴代4位の連続試合出場が1346試合で止まった。2000安打が近づくにつれ「うれしい気持ちのはずなんですけど、いつの間にか苦しいに変わった。それだけ偉大な記録なんだと感じた」。1本の安打の重みを感じながらようやく、快挙の時を迎えた。

 高卒2年目の10年3月31日のソフトバンク戦(西武D)、代打で岩崎から左翼線二塁打でプロ初安打。「今でも覚えています。すごく緊張して、すごい歓声の中、打席に立って、初めてスタートラインに立った」。

そして先輩との出会いがプロ人生を変えた。大阪桐蔭では主に1番を打っていたこともあり、当時は長打にこだわりはなかった。それが西武時代の同僚で先輩・中島宏之の自主トレに参加して考えが一変した。「右方向にすごいホームランを打っていて『こういう選手になりたい』とスタイルも試行錯誤してやってきたのが今の僕。あの人(中島)との出会いが自分の理想の選手像とマッチした」

 3年目の11年、コーチとなった土井正博さんとの出会いも転機だった。清原和博(西武など)を育てた名伯楽に「3年が勝負やぞ」と言われて特訓が始まった。左半身に防具をつけ、球をぶつけられながら左肩が開かないようにする厳しい練習を繰り返した。5年目の13年に27本塁打と開花し、110打点でタイトルを獲得。本塁打王にも2度輝いた。今や浅村の代名詞ともいえる右方向弾は、301本のうち約3分の1を占める。土井さんは清原氏との共通点を「右(方向)に押し込み、左には体の回転でいける」と評した。

 けがとの闘いもあったが「痛みの中でどれぐらいできるかはコントロールできる。

それに応じて打ち方、意識を変えたりしながらやってきた」。西武、そしてFA移籍で19年から在籍する楽天で、痛む体と向き合いながら試合に出続けてきた。

 第2打席にはすぐさま2001安打目となる左前打をマークした。試合はメモリアル安打が決勝打となり、1点差勝ち。偉業に花を添えた。それでも「もっとできると思っているし、もっとやらないといけない。まずは自分の成績を上げること」。打率2割4分7厘、4本塁打、18打点は本来の数字ではない。偉業を通過点にして、チームのためにギアを上げていく。(有吉 広紀)

 ◆浅村 栄斗(あさむら・ひでと)1990年11月12日、大阪府出身。34歳。大阪桐蔭で08年に夏の甲子園に出場し「1番・遊撃」で打率5割5分2厘、2本塁打で優勝に貢献。

同年ドラフト3位で西武入団。2019年にFAで楽天移籍。本塁打王2度、打点王2度、ベストナインを一塁手で1度、二塁手で7度の計8度、ゴールデン・グラブ賞を一塁、二塁でそれぞれ1度。182センチ、90キロ。右投右打。今季年俸5億円(金額は推定)。

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