早大出身の名内野手で監督も務めた三原修(脩)から始まり、藤田元司、堀内恒夫が1年目につけて新人王に輝いた「21」。03年にも木佐貫洋が10勝を挙げて新人王となった番号でもあるが、宮本和知が「13」から昇格を果たしたときに「光栄」と感激し、現在「97」の井上温大も「あこがれ」と熱望する「21」は、左腕のエース番号というニュアンスが強い。
そのイメージを作ったのが高橋一三だ。65年に入団し2年間は「46」だったが、67年から「21」となり、69年に22勝5敗で最多勝、最高勝率、沢村賞を獲得。同年から5年連続で2ケタ勝利を挙げ、73年も23勝で2度目の沢村賞に輝いた。
特に同年10月22日の甲子園での阪神戦。勝った方が優勝というシーズン最終戦に先発し、9―0の完封勝利でV9達成という劇的なマウンドに立っていたのが高橋だった。
この試合を始めシーズン4度、日本シリーズ4度、計8度の胴上げ投手は日本記録。V9時代、1歳下の堀内が右のエース、高橋は左のエースと称された。