シドニー五輪柔道男子100キロ級金メダリストの井上康生さん(47)は、幼少の頃から長嶋茂雄さん(享年89)と親交があった。一目で心を奪われた出会い、尊敬する“ミスタープロ野球”の人柄などを、2回にわたって語り尽くした。

(取材・構成=南 公良)

 今から三十数年前。康生少年は初めて長嶋さんに会った。光を放つような存在感、温かい言葉の数々。懐かしく、夢のような出来事だ。

 「小学校5年か6年でした。父(明さん、享年75)が通っていた地元・宮崎の『夕顔寿し』で店の大将(松田芳夫さん)を介してお目にかかりました。長嶋さんは宮崎キャンプに来ていた。私のような子供に対しても非常に優しく接してくれました。巨人は憧れのチームですし、長嶋さんはスターの中のスター。温かく包み込んでくださるような方で、独特な話し方にもひかれました。何と言ってもオーラがすごかった」

 すっかり長嶋さんのとりこになった康生さんは、その後も食事や激励会で何度となく会う機会があった。

 「大スターなのに気配りがすごく、誰からも愛されるゆえんだったと思います。

常に『対人』を強烈に意識した上で、生きてきたのかな。現役時代もいかにダイナミックな野球を見せるか、いかに自分の長所を生かすか。投げ方一つにしても、帽子の落とし方一つにしても、バットの振り方一つにしても、非常に工夫を重ねたと聞きました。どうしたら皆が喜んでくれるのか、楽しんでくれるのか、野球を愛してくれるのか。常に考えているという点は勉強になりました」

 「食事の時も、まず周りの方々に(料理を)配る。習慣づけられたことなんでしょう。最初の頃に食事をともした時、長嶋さんから『1回試合を見においで』とお誘いを受けたんですが、父が『私はあんまり野球に興味がなくて』なんて言うもんだから、その場の雰囲気が一瞬凍ったのを覚えています。長嶋さんは、にこやかにしていました」

 長嶋巨人が優勝マジック2で迎えた2000年9月21日。康生さんは自身初の五輪となるシドニー大会に挑み、5試合オール一本勝ちで金メダルを獲得した【注1】。

 「優勝がかかっている大事な時に、巨人の勝利ではなく『井上くんに(新聞の)1面を譲ってくれ』と長嶋さんが言ってくれました。非常にありがたく、うれしかったです。本当に温かい心を持った優しい方。

五輪前には、谷亮子さんとともに激励会を開いていただいた。勝負に対する考え方もうかがいましたが、それ以上に我々をリラックスさせようとしていた。長嶋さんとは、ご一緒するだけで緊張してしまいますが(笑)」

 プロとアマの違いはあるが、同じアスリートとしてミスターの言動をお手本にしている。(つづく)

 【注1】2000年9月21日、優勝マジック2とした巨人は工藤が右ふくらはぎ痛で先発を回避。急きょ三沢を立てた試合は、3回に清水の3ランなどで4点を先制。三沢は4回を1失点で切り抜け、その後は小刻み継投で逃げ切った。中日が横浜に勝ち、マジックは1つ減って1に。一方、シドニー五輪柔道男子100キロ級に初出場の康生さんは、初戦の2回戦を開始18秒大内刈りで倒すと、5試合オール一本勝ちで金メダル。表彰式では1999年に亡くなった母・かず子さん(享年51)の遺影を掲げ、ともに優勝を喜んだ。

 ◆井上 康生(いのうえ・こうせい)1978年5月15日、宮崎・都城市生まれ。47歳。東海大相模高、東海大を経てALSOK入り。

五輪は100キロ級で2000年シドニー大会金、04年アテネ大会2回戦敗退。世界選手権は99年から3連覇。08年に現役引退。12年11月に男子代表監督。16年リオ五輪で金2個を含む全7階級メダル獲得へ導く。東海大体育学部教授。ジャパンエレベーターサービス柔道部GM。家族は妻でタレントの東原亜希と1男3女。

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