全世界発行部数2億7000万部の人気漫画「名探偵コナン」(小学館)の作者・青山剛昌さん(62)は、小学生の頃から長嶋茂雄さん(享年89)の大ファン。同姓同名の高校球児・長島茂雄が奮闘する野球漫画「4番サード」を描いた。

ミスターに魅了されてとった行動が、漫画家としての原点になった経験を初めて告白した。(取材・構成=水野 佑紀)

 鳥取・大栄町(現・北栄町)の大栄小学校に通っていた頃、テレビの中の長嶋さんに釘付けになった。ある日、大敗していた巨人の投手が交代を告げられたが、リリーフ投手がマウンドに出てこない。

 「球場がワーっと騒ぎになって、『早くピッチャー出せ』という声までマイクが拾っていた。すごいヤジだった。すると、長嶋がマウンドで投げ始めた。『長嶋投げるんか!』って、球場がすごい盛り上がって。あれは良かった」

 もちろん、長嶋さんが投げるはずはない。それでも、暗い球場の雰囲気を吹き飛ばしたヒーローの姿を見て、青山少年は心を躍らせた。

 「次の日、友達と話そうとしたら、みんな見ていない。巨人が負けていたから、みんなの家はチャンネルを変えていたけど、うちは父がアンチ巨人だから、ずっと見ていられた。『長嶋がピッチャーやったの?』と聞かれて『ううん』と答えると、『つまんねえ』って言われた。

あの感動が伝えられなくて、悔しかった」

 学校から帰宅した後、青山さんが用意したのは作文用紙と鉛筆。「長嶋がサードからやってきた、いやニコニコしながらやってきた」と夢中で書きつづった。「誰にも話さず、自己満足。でも、これがいまのマンガに役に立っていると思います。どう面白おかしく脚色できるか」。これが漫画家としての出発点になった。

 大人になってから、今度は漫画で「ナガシマ」を描いた。週刊少年サンデー増刊号「4番サード」(91~93年、全6話)を不定期連載した。主人公の名前は「長島茂雄」。当時の長嶋さんはいわゆる浪人期間だったが、「一番分かりやすい名前」として拝借。守備のシーンでは、長嶋さんのグラブさばきを、打撃のシーンでは、元西武、巨人、オリックスの清原和博氏(57)を参考にした。

 大好きな野球を題材としたが、生みの苦しみも味わった。

第1話のネーム(コマ割り、セリフなどを大まかに描いた下描き)が、なかなか通らなかった。「あんなに直したネームはなかったかもしれない。8回くらい描いたかな」と全身全霊で机に向かった。93年2月号で完結。青山氏にとって初めて最終回を迎えた作品になり、「自信がつきました」と振り返った。

 同作を経て、94年から「名探偵コナン」の連載が始まった。「どうせすぐ終わる。『YAIBA』(88~93年)続編を用意しておかないといけないと思っていた。まさかこんなに続くとは」。コナン13巻収録「怪獣ゴメラの悲劇」では、会話の中に長嶋さんが登場。43~44巻では、「4番サード」の長島が甲子園の決勝戦に挑む場面を描いた。「長島君は描ききった。

甲子園の決勝もどちらが勝ったか濁したい」。それ以来、長島を描くことはなかった。完全燃焼した。

 長嶋さんの悲報は、ニュースで知った。体調が悪いことは小耳に挟んでいたが、強い喪失感に包まれたという。12年前に購入し、大切にしまっておいた「長嶋茂雄ドリーム・トレジャーズ・ブック」(産経新聞社)を開封。「コナン」のお祝いでもらったシャンパンを飲みながら、読み進めた。長嶋さんとライバルの阪神・村山実さんの1500奪三振を巡る秘話に「かっこいい~!」と童心に返って興奮したという。

 長嶋さんは生前、「ファンあってのプロ野球」と言い続けた。担当編集者から「青山さんのファンサービスのスタンスと同じ」と共通点を指摘されると、「それはちょっとうれしいかもしれない」。長嶋さんと会って話せなかったことは、心残りだという。「僕なんかと会うために苦労をかけたらいけないと思っていましたから。

『4番サード読みましたか?』って漫画家としては聞いてみたかった。恥ずかしいけど。あと、『マウンドに上がったの覚えていますか?』と」

 ◆青山 剛昌(あおやま・ごうしょう)1963年6月21日、鳥取県生まれ。62歳。86年、「ちょっとまってて」が小学館新人コミック大賞少年部門入賞。主な代表作は「まじっく快斗」(87年~)、「YAIBA」(88~93年)。94年、「名探偵コナン」の連載を開始。2017年、藤本賞受賞。23年、劇場版の26作目となる「名探偵コナン 黒鉄の魚影」がシリーズ史上初の国内興行収入100億円を突破した。

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