巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第9回は元広島、巨人の川口和久さん(66)だ。

広島時代には「巨人キラー」として球団最多の通算33勝。FAで移籍した巨人ではリリーフに転向し、1996年の「メークドラマ」を完結させる胴上げ投手にもなった。幼少期から大ファンで、巨人在籍時の監督だった長嶋茂雄さんとの思い出や、引退寸前からの復活劇まで「喜怒哀楽」の記憶を掘り起こした。(取材・構成=太田 倫)

 「巨人キラー」の原点は、プロ3年目の1983年6月24日、広島市民球場だった。先発したその試合で鮮明に覚えているシーンがある。

 初回に原辰徳さんに2ランを浴びて、先手を取られた。古葉竹識監督が、ベンチの端っこに座っている僕のところへやってきた。怒られるのかな? と思っていたら、違った。「この試合は最後までお前一人で投げきりなさい。勝とうが負けようが関係ない」。古葉さんの座右の銘は「耐えて勝つ」。先のことを考えて、僕を育てるために耐えてるんだな…と思った。

長嶋さんが75年に巨人の監督になって、打たれても打たれても新浦寿夫さんに投げさせていた時期があるよね【注1】。その2人の姿に、古葉さんと自分が重なったものだ。

 意気に感じて、6安打3失点で完投。「この先は巨人を中心にローテーションを回すから頑張れ」と告げられた。これが巨人戦33勝の、最初の1勝だった。

 子供の頃から巨人ファンで、長嶋さんが大好きだった。投手で言えば堀内恒夫さんや倉田誠さん、新浦さん…投げ方をマネしているうちに球が速くなった。いろんなものを、テレビで見る巨人の選手から吸収させてもらった。

 高校3年時の77年ドラフトでロッテから6位指名を受けたが、巨人からも声をかけてもらっていた。「本当に成功できるのか? 巨人の一員にふさわしいのか?」と自問自答した。高卒選手の成功は簡単ではないと考えて、最終的に社会人野球のデュプロに進んだ。悔いはなかったけど、結論までにはすごく悩んだ。

 僕は巨人ファンに「川口は嫌い」って言われていた。でもそうやって覚えてくれているのは、「川口が出てきたら勝てない」というイメージを植え付けられていた、ということでもある。

 巨人戦は日本全国の人が見ているから、やっぱり下手なピッチングはできない。打たれる時もある。でも、実は負けても爽やかな気持ちなんだ。なぜかというと、巨人ファンだから(笑)。投手としての僕は、巨人に勝ったら、もちろんよかった。負けても、ファンの僕としては、巨人が勝ったからよかった。勝っても負けてもうれしい。心のどこかに、そんな感覚があったんだよ。

 【注1】長嶋監督の就任1年目の75年には2勝11敗だった新浦だったが、76、77年は先発に救援にと大車輪でともに11勝を挙げ、リーグ連覇に貢献。

 ◆川口 和久(かわぐち・かずひさ)1959年7月8日、鳥取県生まれ。

66歳。鳥取城北からデュプロを経て、80年ドラフト1位で広島入団。86年から6年連続2ケタ勝利。87、89、91年に最多奪三振のタイトル獲得。94年オフにFAで巨人に移籍後は主にリリーフとして活躍。通算成績は435試合で139勝135敗、2092奪三振、防御率3.38。引退後は巨人で投手コーチを務めた。左投両打。

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