「ルパン三世」ミュージックの生みの親で、映画「犬神家の一族」の音楽などで知られる作曲家でジャズピアニストの大野雄二(おおの・ゆうじ)さんが4日午前6時8分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。84歳だった。

葬儀・告別式は近親者で執り行った。後日、お別れの会を予定している。

 大野さんが率いるルパンバンドによる今月30日のプロデュースライブ(ビルボード東京)は予定通り開催する。

 高校野球のブラスバンドの応援曲として知られ、誰もが一度は耳にしたことのある「ルパン三世のテーマ」。同曲を始め、数々の名曲を手がけてきた大野さんが逝った。

 大野さんは1941年、静岡・熱海市に生まれた。小学生の時にピアノを始め、慶応高校1年の時、秋の文化祭で先輩や同級生の演奏するモダンジャズに刺激を受け、バンドサークルを結成。この時に独学でジャズを学んだ。

 慶大在学中の63年に「藤家虹二クインテット」に参加し、ジャズピアニストとして活動。64年に朝丘雪路のシングル「別れのスナック」の伴奏を行い、レコーディングに初参加した。

 65年に「白木秀雄クインテット」に参加し、68年の脱退後はフリーとして活動。ラジオCMやテレビCMの音楽を制作し、70年のNHK「ナタを追え」で初めてテレビ音楽を手がけた。

71年に石立鉄男さん主演の日本テレビ系「おひかえあそばせ」でコメディー作品の音楽に初挑戦。これが、音楽人生の転機になった。

 制作スタッフの無理難題に全て応える姿に、「プロデューサーが僕を全面的に信頼してくれたんだ」(大野さん)。その後も「パパと呼ばないで」などの石立さん主演の同局系ドラマシリーズ、同局系「火曜日の女」シリーズの音楽を担当。このプロデューサーがテレビアニメ「ルパン三世」も担当していた縁で、大野さんは77年の2ndシリーズからルパンミュージックに携わることに。スケールの大きな独特のサウンドは、日本のフュージョン全盛の先駆けになり、代表作「ルパン三世」「大追跡」のサントラは、70年代後半の話題をさらった。

 多くの人から末永く親しまれるように―。ルパンミュージックで目指したのは「『最先端』より、アレンジが変わっても古くさくならない骨太な曲」だった。歌詞を付けず、インストゥルメンタルにしたのは、制作サイドのリクエストから。スポーツ報知のインタビューでは「当時36歳かな。見たくない人は見なくてもいい、みたいな思いきりはあったね(笑い)」と懐古。「アニメーションというと、どうしても子供を意識して作らなければいけない。

ルパンに関しては大人も楽しめる内容だから、インストでガチッとしたものをと思ったんだ」と語っている。

 「犬神家の一族」(76年、市川崑監督)や「人間の証明」(77年、佐藤純彌監督)などの映画音楽でも、数多くの名曲を生み出してきた。製作総指揮の角川春樹氏とは出版(原作)、映画(映像)、音楽の三位一体を実現。画期的なメディアミックスとして話題を呼んだ。

 近年は、作曲活動としては「ルパン三世」とNHK「小さな旅」に絞り、再びプレーヤーとして活動を開始。その意欲は衰えず、80歳を過ぎてもステージに立ち続けた。22年1月のコンサート「映画『ルパン三世 カリオストロの城』シネマ・コンサート!and大野雄二・ベスト・ヒット・ライブ!」(東京・東京国際フォーラム)ではピアノ演奏を披露したが、その数か月後に体調不良のため入院。当面療養に専念するとして、その年の4月と6月のコンサートを中止し、最近は表舞台に立つことを控えていた。

 24年5月30日の83歳の誕生日に、大野さんが率いる“ルパンバンド”こと「Lupintic Six with Fujikochans」が2年ぶりに復活。大野さんのオンステージこそなかったが、完全プロデュースによるバンドのパフォーマンスが東京・ビルボードライブ東京で披露された。

 ◆大野 雄二(おおの・ゆうじ)1941年5月30日、静岡・熱海市生まれ。慶大在学中に名門ビッグバンド「ライト・ミュージック・ソサエティ」、モダンジャズサークル「ファイブ・ブラザーズ」に所属。

近年は大野雄二トリオでの活動に加え、2006年に「Yuji Ohno&Lupintic Five」結成。16年に「―&Lupintic Six」結成。都内ジャズクラブから全国のライブハウスまで、精力的にライブを行った。

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