信州大学特任教授の山口真由氏は「ファクトチェックを怠った事実は言うに及ばず、『天国から~』の部分は読者の手を借りて情動に訴えたと言わざるを得ない」と指摘する(以下、山口氏の寄稿)。
沖縄タイムス炎上で露呈した“情動優先”の危うさ
「天国から二人の声が聞こえてくる。『誹謗中傷にめげず、抗議行動を続けてほしい』と」同志社国際高校の女子生徒さんを含む2人が亡くなった辺野古沖での転覆事故。1日付で沖縄タイムス朝刊オピニオン面に掲載された読者投稿の末尾の文言に批判が殺到している。女子生徒の遺族は「基地をめぐる抗議活動に参加していたわけではない。誤った認識が拡散するのを防ぎたい」とnoteに綴っていた。今回の投稿はその記述に真っ向から反する不適切な断定であり、SNSが荒れるのは当然だろう。加えて、この投稿者は、どうやら過去に相当頻度で沖縄タイムスに採用されてきたようで、彼が実在するかどうかを含めて苛烈な非難が続いている。
SNSによって情報が民主化された現在、左派系の新聞はしばしば守勢に回る。だが、かつては逆サイドに立っていたのだ。フランス革命に続く18世紀末、貴族のサロンに独占されていた政治的な議論を広く民衆に開いたのは、当時、急速に普及した新聞だった。なかでもマラーの『人民の友』は、事実の正確性よりも大衆の怒りを煽る過激な手法で、ときにギロチンすら動かした。
新聞はSNS時代に何を武器に生き残るべきか
逆に、記者クラブ制度などの特権により“報道貴族”と揶揄される現代の新聞が、大衆よりも特定のコミュニティを囲い込むさまは、かつてのサロン化のようにも見受けられる。それならば、情報の鮮度で日刊新聞に勝てなくなってなお、当時のサロンが保っていた存在意義から学ぶべきところがあるのではないか。まず、サロンでの議論が共有するエチケットは、現代の報道倫理にも通じうる。例えば、辺野古沖の事故では亡くなった女子生徒を実名報道すべきかに関して沖縄タイムスも基準を明示している。こういう現代の新聞の共通基盤は評価できると私は思う。
一方、アジテーションに特化した当時の新聞に対し、サロンはキュレーション能力に秀でていた。それが今回の沖縄タイムスの投稿ではどうだろう。ファクトチェックを怠った事実は言うに及ばず、「天国から~」の部分は読者の手を借りて情動に訴えたと言わざるを得ない。
そして、もし今後の新聞においてサロン的なコミュニティが重要になってくるなら、何度も投稿していた忠実な貢献者を「内容は極めて不適切」と切り捨てた事実は後々響いてくるだろう。サロンに人が集まったのは、つまるところ、自らを価値ある人間と感じさせてくれる主宰者の包容力ゆえで、それはきっと今も昔も変わらないのだ。
【山口真由】
1983年、北海道生まれ。
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