日本レコード大賞を受賞した「今日でお別れ」や「知りたくないの」などのヒット曲で知られる歌手の菅原洋一(すがわら・よういち)さんが5月31日午前9時26分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。92歳だった。

2日、日本歌手協会が発表した。本人、遺族の希望で6月1日に家族葬で執り行われた。喪主は妻・アケミさん。「お別れの会」は予定しないという。

 柔らかく伸びやかな声量と、マイルドな歌声で親しまれた菅原さんが逝った。日本歌手協会によると今年5月20日に東京・練馬文化センターで「春のコンサート」を開催する予定だったが、その数日前に体調を崩して入院。ベッドの上で「早くお客様の前で歌いたい」と、6月24日、25日に開催される「日本歌手協会 夏まつり唄まつり 2026」や、93歳を迎える8月21日の「菅原洋一 93才バースディーコンサート」に向けてリハビリに励んでいたという。

 直近のステージは4月6日に東京・上野で行ったコンサート。代表曲の「知りたくないの」「忘れな草をあなたに」をはじめ、シャンソンの「さよなら」「マイ・ウェイ」など11曲を力強く歌い上げており、生涯現役を貫いた。

 菅原さんは国立音楽大在学中は声楽科でオペラ歌手を目指し、卒業後、58年にタンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の専属歌手としてキャリアをスタートさせた。62年にポリドールからレコードデビュー。数年間はヒットに恵まれず、下積みを経験した。

 転機は65年に発売した「知りたくないの」。米国のレス・ポール&メリー・フォードらが歌ったヒット曲で、日本では「たそがれのワルツ」の曲名で知られていたナンバーに、なかにし礼さん(20年死去、享年82)が日本語詞を付けた。元々は越路吹雪、岸洋子と競作した「恋心」のB面曲だったが、ジワジワと人気に火が付き、2年後の67年に80万枚の大ヒットを記録。一躍トップ歌手の仲間入りをした。

 人気を不動のものにしたのが、67年に発売された「今日でお別れ」(作詞・なかにし礼、作曲・宇井あきら)。当初は「知りたくないの」のロングヒットに隠れ、日の目を見なかったが、69年12月に「君といつまでも」「ブルー・シャトウ」の作曲家・森岡賢一郎さん(2018年死去)のアレンジで再発売。8分の6拍子だったテンポを4分の3拍子に変更すると、これがウケた。「マンドリンの音色が入って、切なく悲しげな心に残る曲調になった。乗れるリズムで自分の歌を心おきなく表現できた」(菅原さん)。60万枚を売り上げ、70年の日本レコード大賞に輝いた。

 音楽番組「夜のヒットスタジオ」の常連になると、その愛嬌(あいきょう)ある笑いじわから、司会の前田武彦さんに「3日前のハンバーグ」と名付けられ、「ハンバーグ」の愛称で親しまれた。アットホームな雰囲気が買われ、1970年からTBS系料理番組「キッチンパパ」(75年まで)、71年にNHK「歌の祭典」の司会を担当。

歌手活動以外にも、活躍の場を広げた。

 2000年以降は、生の歌声と生音の演奏をベースとしたニュークラシカルコンサートを開催。ライフワークとなった。18年9月に行った本紙のインタビューで、菅原さんは「今はいろいろな歌がある中で、僕を選んで聴いてくれる人に感謝することが大事。引退は考えてない。『今日が最後だ』という気持ちで歌い続けると次につながるんです」と語っていた。

 ◆菅原 洋一(すがわら・よういち)1933年8月21日、兵庫・加古川市出身。国立音楽大学声楽専攻科卒業。62年ポリドールからレコードデビュー。67年「知りたくないの」がヒット。「今日でお別れ」で70年の日本レコード大賞を受賞した。NHK紅白歌合戦は67年から88年まで22回連続出場。

代表曲は「誰もいない」「忘れな草をあなたに」など。82年シルヴィアとのデュエット曲「アマン」がヒット。92年加古川市民文化賞。2019年文化庁長官表彰。

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