毎年、9月17日が来ると思い出す光景がある。韓国の蚕室(チャムシル)総合運動場―1988年ソウル五輪のメインスタジアムとなった場所だ。

記者が初めて取材した夏季五輪。記者歴わずか1年5か月で五輪取材に派遣してもらった期待に応えようと毎日、走り回った。17日は、その五輪開会式が行われた日だ。

 まだ強い日差しが残る中、サブグラウンドには続々と各国選手団が集まった。記者は正門から入ると、ものすごい人だかりが。何と、陸上界のスーパースター、カール・ルイス(米国)がファンに囲まれてもみくちゃになっている。4年前のロス五輪で男子百メートル、二百メートル、走り幅跳び、四百メートルリレーの4種目で金メダルを獲得。とりわけ、ベン・ジョンソン(カナダ)との百メートル対決には世界中の視線が集まっていた。選手村には泊まらず近くのホテルに滞在し、タクシーで競技場に移動していたため、集合場所を探すのに手こずっていたらしい。その押しくらまんじゅうの輪に記者も加わったが、サブグラウンドを目指して、右へ、左へ…。それにつられるファンと記者…。

 ようやくルイスを見送って、競技場に入ろうとすると日陰に座って、手で風を送りながら涼んでいる女性がいた。

どこの国の選手かな?と近づいたら、何とテニスのシュティフィ・グラフ(当時西ドイツ)だった。他の選手はサブグラウンドで残暑の中を待っているのに、一人涼しげに日陰に座っていたシーンも忘れられない。

 さて、そのスタジアムでは1週間後の9月24日、陸上の男子百メートル決勝が行われた。ルイス対ジョンソンの注目の一戦。ロケットスタートが代名詞のジョンソンがピストル音とともに一気に飛び出す。最初の20メートルでルイスに約1メートルの差を付けた。ここに面白いデータがある。2人の百メートルのラップタイムだ。高野進、伊東浩司らを育てた宮川千秋さんの協力で2人のタイムを比較。30メートル地点でルイス3秒90、ジョンソン3秒80と0秒10の差がついたが、50メートルほどでスピードのピークをもってくるルイスは60メートル6秒48、ジョンソン6秒33。ルイスが加速したため2人のラップの差は広がらず、残り10メートルでジョンソンの8秒89に対してルイスは9秒04。9秒92でフィニッシュしたルイスに対し、ジョンソンは9秒79の驚異的なタイムだったが、90メートルから100メートルのラップは0秒11と縮んでいた。

 「失望はしていない。僕はベストを尽くしたし、素晴らしいレースだった」と敗れたルイスは潔く、新王者に敬意を表した。後にジョンソンが禁止薬物を使用したことで記録は取り消され、ルイスが世界記録として金メダルを手にしたが、ライバルの不正を必要以上に非難することはしなかった。むしろ、後にジョンソンが公聴会で不正を認めた時、その場にいたルイスはジョンソンの資格停止処分があけた時について聞かれると「彼が望むなら再戦してもいい」とまで言った。ルイスはソウル五輪で百メートルと走り幅跳びで連覇を果たした。9月17日が来るたびに、そんなフェアなアスリートが“迷子”でちょっぴり困った顔を見せた光景を思い出す。(記者コラム・谷口隆俊)

編集部おすすめ