◆報知プレミアムボクシング 後楽園ホールのヒーローたち 第37回 リック吉村

 元日本ライト級チャンピオンのリック吉村(61)は、現役時代に全階級を通じて最多となる22度の防衛に成功した。5年10か月という期間ベルトを守り返上すると、2001年2月には待望の世界へと挑んだ。

WBA世界ライト級チャンピオンの畑山隆則(51)と拳を交えた一戦は、三者三様のドロー。世界戦での引き分けという結果は、王者は防衛成功でも、挑戦者には王座獲得失敗という無情の結末が待っている。リックは9回にホールディングで減点「1」となり、仮にこの減点がなければ2―1の判定で王座を手にしていた。失った1ポイントを埋められるものは何か。試合から四半世紀以上がたった今でも探し続けている。(取材・構成=近藤英一、敬称略)

 リックがプロボクサーを育てるために「Ringside Fitness Gym」をオープンしたのは13年前。かつての職場だった東京都福生市の米軍横田基地の目の前に居を構えている。基地で働く米国人、会社帰りのサラリーマン、そしてチャンピオンを目指すプロボクサーが集まり、それぞれの目標に向かい汗を流している。日本語と英語が交錯するジム内の扉には、畑山が中央に大きく写り、その横にリックが並ぶ、25年前の世界戦ポスターが大事に飾られている。

 「世界戦? 懐かしい。本当に夢のような舞台だった。大きな会場でジミー・レノン(リングアナウンサー)の声で紹介されて、さっそうとリングへ上がったのを覚えている」

 ちらりとポスターに視線を向けると声が弾んだ。

今でもはっきりと覚えている。控室でのウォーミングアップ、入場、リングイン。どれも色あせることのない誇らしい思い出だ。そして間を置き、核心に触れた。

 「9ラウンド。あの1ポイント。今でも悲しく、苦しい。あ~、1ポイント」

 言葉は続かず、目頭を押さえた。リックはあの減点を、時には強がり「今は何とも思っていない」「昔のこと」と口にするが、本音はずっと引きずっている。

 1983年の18歳の時にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでプロデビュー(判定負け)した。2年後に米国空軍に入隊し、青森の三沢基地に配属され、八戸帝拳ジムに入門。92年に横田基地に異動になり、石川ジムに移籍した。

世界戦のチャンスはプロ45戦目、36歳での千載一遇のチャンスだった。

 「中盤まではプラン通りにできた。左(ジャブ)を突いて(リングを)回る。相手が近づいてきたらクリンチして、再開後にまた回る。畑山を相手にインファイトはしないと決めていた。アウトボクシングをしないと絶対に負けると思っていたから」

 不用意に打ち合うことを避けた。畑山がスーパーフェザー級時代に激闘を繰り広げた崔龍洙(韓国)との世界戦を見て直感した。

 「畑山と正面から殴り合っても勝てない。すごい馬力があるし、自分が勝つにはアウトボクシングしかない」

 持ち味は左ジャブを打ちながら足を使いリングを回るスタイル。本人の言葉通り、開始のゴングが鳴ると左ジャブを突き、リングを回った。畑山は打ち合いに持ち込もうと、ひたすら前に出て距離を詰めてきた。距離が詰まるとクリンチで王者の前進を止め、レフェリーの森田健が割って入った。

リックは思惑通り、逆に畑山にはもどかしい展開が続いた。そして9回。度重なるクリンチはホールディングと判断され、リックに減点「1」が言い渡される。試合前のルールミーティング。王者陣営は先手を打っていた。「リックのクリンチには留意してほしい。ホールドなら減点を」とレフェリーの森田に念を押していた。

 リックはおおむねプラン通りにできたというが、誤算もあった。「(畑山の)パンチの強さはあまり感じなかったが、本当にタフな相手だった。ハートの強さと底なしのスタミナ。これは自分の予想をはるかに超えていた」という。11回、リックは猛然と前に出てくる王者に対し、心の中で叫んでいた。

「まだ来るの! まだ来る! もう勘弁して」。最終12回。ラスト20秒。左フックが王者のアゴを捕らえ、畑山の膝が一瞬ぐらつく。「チャンスと思って攻めようとしたが、下がるどころかまた打ち返してきた。本当にびっくりした」。すさまじい圧力を真っ正面から受け、嫌でも後退を強いられた。「悪かったことはロープを背負いすぎたこと。相手のプレッシャーにロープに詰まる場面が多くなり、そうなるとクリンチで動きを止めるしかなくなった。もっと足を使って回れば良かった。そうすればロープを背にすることも減った」と悔やみ、そうさせなかった王者の実力を認めた。

 「12ラウンドが終わって勝ったと思った。

結果的にあの1ポイントがなければ。もし、世界チャンピオンになっていたら、人生が…」。失った「1ポイント」には人生を変えるチャンスが詰まっていたかもしれない。最初で最後の世界戦だからこそ、リックはそう言いたかった。当時、日本ボクシング界に所属する外国人ボクサーたちは、強くなればなるほど厳しい現実に直面した。日本、東洋太平洋王者となり、「さぁ世界」と宣言しても、なかなか実現しなかった。人気面からスポンサーが集まらずに厳しい金銭事情を突きつけられるからだ。22連続防衛は、今後破られることはないだろうと言われるが、防衛を続けざるを得ない事情があったからこその大記録でもあった。(23日に続く)

 ◆リック吉村(本名フレデリック・ロバーツ) 1965年2月12日、米ニューヨーク生まれ。85年に米軍三沢基地勤務となり、87年に八戸帝拳ジムから日本デビュー。90年に日本スーパーライト級王者となるが、2度の防衛後に王座陥落。92年に横田基地に転勤となり石川ジムに移籍。

95年に2度目の日本ライト級王座を獲得すると連続防衛記録となる22度の防衛に成功。プロ戦績は47戦38勝(20KO)7敗2分け。身長175センチの右ボクサーファイター。

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