馬トク報知で過去の名勝負を当時の記事から振り返る【競走伝】。今回はオルフェーヴルが2着に敗れた2012年の凱旋門賞を取り上げる。

大外から一気に突き抜けた直線は間違いなく、日本競馬の悲願に最も近づいた瞬間だった。それでも2着。レース後のスミヨン騎手は思わぬ敗因を口にした。

 絶対的な強さが勝利という“結果”を奪ったのかもしれない。レース後の記者会見。スミヨンはオルフェーヴルとのコンタクトをこう振り返った。「他にもっと強い馬がいなかったので、簡単に先頭に立ってしまった。そのぶん、最後まで頑張れなかったのかもしれません」。

 後方追走のまま、ジッと我慢を利かせ、大外へ持ち出された最後の直線。極上の瞬発力は世界の舞台でも確かな輝きを放った。スミヨンが手綱を動かすと、手応えに余裕を残したまま、内の馬群をアッという間にのみ込んだ。残り300メートルで先頭へ立つと、内に切れ込みながらも、200メートル地点では後続を3馬身も突き放す。

日本の悲願へセーフティリードと思えたが…。

 しかし、思わぬ落とし穴が待っていた。完全な独走状態がオルフェーヴルから集中力を奪ったのだ。ラスト1ハロンすぎあたりから脚いろが徐々に鈍っていくと、追いかけてくるソレミアとの差は見る見る縮まり、最後は3着を7馬身も引き離しながら、首差の2着。「あっさり先頭に立って、最後まで集中できなかったのかもしれない。デインドリームやナサニエルのような馬がいれば別のレースになっていた」とスミヨンは“強敵不在”が敗因と指摘。極上の瞬発力は他馬と併せ馬になる時間を許さなかった。もう一段上の強敵に抵抗され、叩き合いにでもなっていれば…。直前で続々と有力馬が回避したことが皮肉にもアダとなってしまった。

 あと一歩で届かなかった頂点の座。しかしスミヨンはフォワ賞、そして凱旋門賞で体感した日本最強馬に最大級の賛辞を惜しまなかった。「ボクが今まで乗ってきた中で最高の馬だと思う。

来年も凱旋門賞に来てもらいたい」。過去にこのレースを制したダラカニ、ザルカヴァを超える評価。これこそ、世界の舞台で最も強いレースをした証し。日本競馬の悲願はもう、手の届くところにある。

 その翌年は大阪杯(当時はG2)を快勝したが、宝塚記念は肺出血のために回避。凱旋門賞を目指す方針は変わらず、前哨戦のフォワ賞を完勝した。本番では直線で一気に抜け出したトレヴについていけず、前年と同じ2着ではあったが、着差は5馬身の完敗。日本競馬の悲願は再び遠く離れていった。

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