巨人の新監督に就任した球団OBの松井秀喜氏(52)=ヤンキースGM付特別アドバイザー=が23日、都内のホテルで会見を行った。 

 松井新監督の就任会見一問一答は以下。

 ー打診されたとき心境。

 「正直やはりうれしかったです。やはりジャイアンツというのは私にとってはどこにいても心の中にジャイアンツはあったんです。昨年長嶋監督が亡くなられて、本当は長嶋監督にもこの姿を見ていただきたかったという気持ちは正直あったんですが、でもここで受けなくちゃいけないと。実際引き受ける時は悩みました。やはりまず生活がアメリカにあります。家族も向こうにいます。やはり何よりも大切なのは家族ですので、家族の後押しがないとここに来ることはできなかったと思います。しかしその後押しを受けて、ここで自分自身立ち上がりたかったという気持ちです。今はただ前を向いて、今後のジャイアンツの力になりたい、しっかり自分自身働くんだ、という気持ちであります」

 ー長嶋さんとの約束。それは巨人の監督?

 「私はですね、あの時長嶋さんのお亡くなりになられて、弔問に行った直後だったんですよね、自分自身そんなこと言うつもり全くなかったんですけど、いろいろな憶測が飛び、当時のチームにすごい迷惑かけたと思います。言うべきじゃなかったなと思ってます。

私の中では自主撤回しておりまして(笑い)。みなさんがご自由に考察してください。これが答えかもしれないし、答えじゃないかもしれないし。これは言うべきじゃなかったと。私と長嶋さんだけのものだったというところに戻っております」

 ードラフト指名の選手へ 。

 「私も昨日テレビ中継で見ていたんですが、私は全くどの選手を指名するか知りませんでした。びっくりしまして自分も。それが正直なところですね。そして高校生の将来豊かな選手たち、大学生も2人ですか、とったと思います。私は来年から1軍監督ですが、来年の戦力という意味ではお構いなしに育成に全振りして、とっても清々しい気持ちでございます。ですが世界一のピッチャーになる可能性のある選手と、もしかして契約できるかもしれないというチャンスを頂いた。久しぶりにドラフト会議を見ててジャイアンツでゾクっとしました。

その中にどのように私が携わるかわかりませんけども、数年後に素晴らしいドラフトだったという形になるよう、それは私にもこれから責任があると思います 」

 -背番号は90番。

 「長嶋監督が引退直後に選手から監督になられ、つけた番号だと承知しております。おそらく昭和50年だったと思います。その第一次長嶋監督時代、6年間日本一になられていないと思います。おそらく「選手長嶋」がいない巨人軍で大変苦労され、またその反面、大きな情熱で若い選手たちと向き合ったと思っております。私もその気持ちをもちろん継いでいきたいというのが一番です。そして長嶋監督が昨年89歳でお亡くなりになられました。今年90歳のはずです。その年に90をつける、それもひとつの理由です。 私の現役時代の番号は55番でありました。 私の中では55番をつけてしまうと自分自身も、当時を知るジャイアンツファンも皆さんも、昔のノスタルジーに浸ったりそういう感じになってしまうんじゃないかと、そういう気持ちがありました。 実は現役最後の時代アメリカですけど35番をつけてたんですね。

足すと90だなと思って。これから新たなスタートを切るには90番が一番ふさわしいなと思って、いくつかの要素で選ばせていただきました」

 

 -長嶋さんの監督として見習いたい部分、理想 。

 「無理です! 私は長嶋茂雄にはなれません。まずそのことを自分自身理解しないといけないと思います。やっぱり長嶋さんは長嶋さんなんです。自分は自分のできることにしっかり集中してやっていきたいと思います」

 -選手の心構え、どうしてもらいたい 。

 「もうまっさらな気持ちでこれからみんなでジャイアンツを作り上げていこうという気持ちで待っていて欲しいと思います 」

 -どこにいてもジャイアンツが心の中にあったと。20年余りどう見ていた 。

 「それは基本的にただ応援していただけです。やっぱり自分がいたチームですし、ジャイアンツに対する愛というのはずっと変わらず持っていました。そして一緒にプレーした選手たち、監督コーチはもちろん、みな同じ時期にユニホームを着ていた方々がおられましたので、ただ応援して勝ってほしいなという気持ちでした。それだけです」

 -いま長嶋さんからエールを送ってもらえるとしたら 。

 「『遅いよ!』じゃないですかね。へへへ(笑) 。おそらくね、誰よりもこの瞬間を楽しみにしてくださっていたと思います。ただいつまでもその楽しみな気持ちで楽しみを生き甲斐にしていつまでも元気でいてほしいという気持ちも反面ありました。『遅いよ』ですね」

 -メジャーの経験を生かす 。

 「少し育成システムという意味ではね、違いがあると思ってます。やはり向こうは選手のピラミッドが大きいですので、私はその大きい下の方の選手とよく接しておりましたが、やはり手厚い指導というわけではないですね。やはり試合で結果を出して生き残るという姿を日々見ていました。ただ単純にその厳しさというものは常に見ていました。指導という意味では私が影響を受けた監督さんというのはもちろん、長嶋監督、そしてヤンキースのトーリ監督、とても大きな影響を受けております。そしてこれなら私が監督を務める中でその中から自分なりのヒントが出てくると思ってます。ただ引退後にヤンキースのマイナーリーグシステムでマイナーリーグの指導者たちとも一緒に仕事をしました。

彼たちは朝早くから選手に付き合って、試合をしっかり見て試合やって、そして試合後にしっかりした食事というわけではないんですけど、選手全員のリポートを書きそれをあげるんですよね。朝から晩までその仕事をして、そしてまた選手たちと一緒にバスに乗って次の場所に揺られていくという、そういう姿を見ていました。その姿にも影響を受けています。私が同じことをやれといわれたら多分できないと思います。でもあの姿を見て自分も働かなくちゃいけない、彼たちも指導者の中のピラミッドで戦っているんだというのを目の当たりにして、そこはこれからの自分の仕事のエネルギーとしてこれから進んでいきたいと思います 」

 -トップアスリートがNPBを経ずに米国に行く流れが 。

 「私は長嶋監督ほどの社会的に影響力はあるとは思っていません、正直。私が今任されている仕事はジャイアンツの選手とともに汗を流すことです。その姿を見てまたジャイアンツを応援したい少年たち、野球を始めたい少年少女たちが出たらうれしいですけど、私にその力があるとは思っていません 」

 -家族の後押し 。

 「まああんまり家族のことは詳しくいうのはアレなので、まあとにかく背中を押してくれました。それだけです。それがないとここにはいません」

 -覚悟が決まった瞬間は 。

 「それは今の質問と似てるかもしれないですけどね、やはりそれがないとここには来れなかったですし、やはりジャイアンツに対する愛が最後はすべてを上回ったと思います」

 -ドラフト1位の織田にどんな言葉かけたい?

 「うーん…やっぱりジャイアンツにはね、ジャイアンツにしかない素晴らしい環境があると思います。

おそらく球団の方がもしジャイアンツに入団した場合、いろんなプランを考え、彼にとって一番いいものを考えていくと思います。私は今はそれ以上申し上げることはなかなかできないですね」

 -織田との交渉をする上で力になることは 。

 「それも球団の方に相談してになると思います。私がいくことによって逆にもしかして迷惑になる場合もあるかもしれないので、そこは慎重に彼の気持ちを第一に考えていきたいと思います 」

 -コーチについては。

 「これも球団の方とこれから話し合って決めたいと思います。一番最初の大事な作業だと思っています。現時点で1人だけ声をかけています。それだけです。それ以外まだ何も決まっていません」

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年6月12日、石川県生まれ。52歳。星稜時代に甲子園に4度出場。高校通算60本塁打。92年ドラフト1位で巨人入団。リーグMVP3度、首位打者1度、本塁打王、打点王各3度獲得。2003年にヤンキースにFA移籍。09年ワールドシリーズで3本塁打を放ち同MVP。エンゼルス、アスレチックス、レイズを経て12年限りで現役引退。13年に恩師の巨人・長嶋茂雄終身名誉監督とともに国民栄誉賞受賞。日米通算2504試合、打率2割9分3厘、507本塁打、1649打点。

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