TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『アナと雪の女王2』(2019年11月22日公開)。

宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『アナと雪の女王2』。世界中で社会現象を巻き起こし、日本でも歴代三位となる興行収入を記録したディズニーアニメーション『アナと雪の女王』の続編。雪と氷に覆われたアレンデール王国の女王エルサと王女アナの姉妹は、エルサの魔法の力の秘密を解き明かすため、オラフや仲間たちと冒険に出る、ということですね。主な声の出演は前作に引き続き、イディナ・メンゼルとクリスティン・ベル。日本語吹き替え版では松たか子神田沙也加。監督は前作のクリス・バックとジェニファー・リーが続投しております。

ということで、現在も大ヒット中なんでしょうね。この『アナと雪の女王2』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、まあ当然と言いましょうか、「多め」でございます。

賛否の比率は……そうなんですよ。今回、褒める意見が全体の3割。否定的意見がそれよりちょっと多め。賛否両論はっきりと分かれているという。やっぱり一作目のファンが多いでしょうからね、なかなかのハードルだと思いますが。

褒めてる人の主な意見は「前作のファンとして納得の内容」「先祖の罪の贖いやプリンセスストーリーとしてのアップデートなど、テーマの追求もお見事」「エルサが自分自身の謎に迫っていくストーリーが良かった」「CGの表現がとにかくすごい」などがございました。一方、否定的な意見は「脚本が致命的にダメ。説明不足で散漫でキャラクターの感情の動きも理解できない」「前作の主題歌『ありのままで(Let It Go)』を超える楽曲がなかった」などがございました。

■「主人公エルサが自分と向き合って、自身を知り受け入れる。そんな個人のための物語だと感じました」(byリスナー)
代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「なべ」さん。女性の方。

初投稿だそうです。「宇多丸さん、こんにちは。初投稿です。『アナ雪2』、見てきましたよ。鑑賞後に心が喜びで満ちあふれる素敵な作品でした。前作は他者と向き合い、相手を受け入れていく・受け入れられていくという物語だったと思います。しかし今作は主人公エルサが自分と向き合って、自身を知り受け入れる。そんな個人のための物語だと感じました。

不思議な力を持つがゆえに、ぬぐえない孤独を抱えてきたエルサが自身に隠された秘密にたどり着くシーンでは、力強く嬉しそうに駆けていく姿に、胸がわくわく高鳴ると同時に涙があふれてしまいました。映画というとつい作品が我々や現実に与える影響を考えがちですが、この作品には不思議と物語に出てくるキャラクターたちの幸せだけを願わされました」という、なべさんのご意見でございました。

一方ですね、ラジオネーム「スナッチ」さん。35歳男性。

「はっきり否定派です。まず今作は『アナ雪1』の欠点を覆い隠していた“Let It Go”ほどのキラーチューンがない。“イントゥ・ジ・アンノウン(Into the Unknown)”ではちょっと弱いため、その結果ただマズい映画になってしまったと思います。何よりダメなのは脚本です。端的に言うと、どうでもいいところが説明過多なのに、肝心なところが説明不足です。『五種類の精霊がいる』だのという新情報を噛み砕く暇もなくぶち込んでくるわりに、『じゃあ精霊に何の意味があるの?』というあたりの浮かんだ疑問に答えてくれません。

その後もなぜエルサが自分の生い立ちを知ることがアレンデールを救うことになるのかなど、説明が足りないために目的と進行しているストーリーが一致せず、結果的に作品全体の印象を難解なものにしてしまっていると思います。また最終的にテーマが明らかになり、先住民の犠牲によって成り立っている快適な生活とそれを捨てる……いわゆる開拓者が落とし前をつける話になるのかなと思いきや、その問題提起に対する踏み込みも中途半端に終わってしまいます」という。

で、いろいろと書いていただいてね。あと、今回のそのディズニーの『アナ雪2』にまつわるステルスマーケティングについても怒りを感じる、というようなことを書いていただいております。ありがとうございます。ちなみに、これちょっとネタバレになるからあれかもしれないけど。

オチに関しては、あのドーンと来るやつがそのままドーンといっちゃって……っていう方向の、ブラッシュアップの途中では、そういう方向の案もあったみたいですよ。

あともう1個。ラジオネーム「ふとかし」さん。これ、女性の方。「ディズニーパークでバイトするほどディズニーが大好きな日本のアニメーターです。よくこちらに出演されている井上俊之氏のお向かいの席に座ってるというご縁もあり、いつも楽しく拝聴しております」という。すごいですね。現役バリバリ。で、この方はいろいろと書いていただいて。「……アニメーターとして今回特筆すべきはやはり、エフェクト表現です。木の葉が舞ったり、ノックに跨るエルサが颯爽と切る風は通常のスクリーンなのに4DXかと錯覚し、思わず目を閉じてしまうほど。

特に物語のキーとなる水の表現。

ピノキオを彷彿とさせる気の遠くなるほど繊細な波のアウトラインはもはやリアルを超えたリアル。人が空想の中で思い描く美しくも恐ろしい水の姿を見事に描き出していました。そしてエンディングが流れると同時に『さて、2Dにこだわる日本のアニメーターたちよ。お前はいま、2Dの表現をもって何ができる?』と問いかけられてるような気になり、その明確な答えを提示できなかった私は人生で初めて映画を見て悔し泣きをしました」という。これちょっとなかなか強烈だったのでご紹介いたしました。さすがね、本当にプロ目線。
宇多丸、『アナと雪の女王2』を語る!【映画評書き起こし】の画像はこちら >>

■当初は悪役の予定だったエルサを180度転換させた圧倒的名曲「Let It Go」。抑圧から解放されるためのシンボルに。
ということで、行ってみましょう。『アナと雪の女王2』、私もTOHOシネマズ日比谷でIMAX字幕、TOHOシネマズ六本木で吹き替え、バルト9で字幕を見てまいりました。ということで、言わずと知れた「Let It Go」の大ヒットとともに、社会現象となったと言ってよかろう、本当にスーパーメガヒット作『アナと雪の女王(原題:Frozen)』の続編。で、その前の第一作目は、2013年11月にアメリカで公開されて、2014年3月に日本公開。
僕は前の番組、ウィークエンド・シャッフル時代の2014年3月29日に、リアルタイムでの時評をしました。

で、その後もいろいろともう、語りつくされた感がある作品ではありますが、改めて僕なりにサクッと、作品としての位置付け的なことを確認しておきますと……アンデルセンの『雪の女王』を一応、原作にしているですね。ちなみに今回の『2』で、アナとエルサのお父さんの子供時代に読んでいた本が一応、そのアンデルセン原作というのをなんとなくほのめかしていたりもします。なんですがまあ、大幅にアレンジというか、ほぼほぼもう別物になっている、という感じですね。

監督は、あのジョン・ラセターが「もうディズニーに戻ってこいよ」という感じで、このために呼び戻してきた、『サーフズ・アップ』などの監督クリス・バックさんと、脚本を書いたジェニファー・リーさん、これが共同監督というね。ジェニファー・リーさんは、この時点ではかなりの新鋭という感じで、『シュガー・ラッシュ』なんかも手がけられてらっしゃいましたけどね。で、その大きなアレンジをしたという、大きく変える、最も重要な要因となったのは……当初はストレートにヴィランとして描かれるはずだったエルサというキャラクターが、制作過程でほとんど180度変貌していった、という部分だということですね。

これ、僕は評をした後から知ったんですけど、メイキング番組でジョン・ラセターが語っているところによると、ジョン・ラセターの息子さんが難病にかかっていて。で、彼のその姿を見ていて、その「魔法を使う」という、生まれ持った何かがあるからといって悪役扱いをするというのはどうなのか、という気がしてきたという。そこでその楽曲制作のクリステン・アンダーソン=ロペスさんとロバート・ロペスさんの夫妻に、「エルサの内面に寄り添うような曲を書けないか?」という風に依頼をして。それで出来上がってきたのが、まさにご存知「Let It Go」、「レリゴー♪」だったという。

で、そのリアルタイムの評の中でも言いましたけども、実際、制作途中の絵コンテだと、エルサはかなりね、ヴィラン風に描かれているんですよ。最初は怖めで。ちょっと意地悪そうに描かれている。要は昔のディズニーの「悪い魔女」寄りの顔をまだしているわけですね。もっと言えば、出来上がった現状の作品でも、よく見ると「Let It Go」の場面は、特に歌の歌い終わりのあたり、バタンと扉を閉める前後あたりはチョイ悪な表情、ちょっと不遜な表情、みたいなのが残っていたりします。

まあとにかく映画の中盤、物語的には、エルサが完全な孤独の中に閉じこもってしまうという、むしろ悲壮なニュアンスの強い場面のはずなんだけども。普通なら全然そういう風になりそうなところを、やっぱりこの「Let It Go」の圧倒的な名曲ぶり、そしてそれを見事に歌いこなすイディナ・メンゼルさん、あるいは日本語版なら松たか子さんの、圧倒的な歌唱力。そしてもちろん、アニメーションならではの、爆発的感情表現ですね。などなど全てが相まって、要は生まれついて持った人との違い、社会的に差別されたりしがちな資質……まあ、このエルサの氷の魔法というものは、それのメタファーでもあるわけですね。

だからこそ、エルサというのがたとえば、LGBTQのみなさんのシンボル的に解釈されたりなんていう、そういう流れもありましたけども。なので、その長年抑圧されてきた、あるいは自分自身を押し隠してきた、その本当の自分というものを、一気に解放する喜び、力強さに満ちた、本当に感動的な名シーンとなっていた……というのはもうみなさん、ご存知の通りっていうことですよね。本当に、まさにこれは歌とセリフが混然一体となった、ミュージカルなのではの……要するに、状況とかそのものは悲しいのに、歌のエモーションがアゲに行くという、これは本当にもうミュージカルならでは。

そしてその爆発的感情表現というのができる、ミュージカル・アニメーションならではの、やはり歴史的名場面だったというのは、これはもう異論はないところだと思います。

■『アナと雪の女王』は他にも名曲揃い。歌劇としての魅力がただ事じゃない

というところで、エルサはそのヴィラン扱いからもう1人の主役、ディズニー初のダブルプリンセスの1人になった。で、もう一方のその妹・アナの物語もですね、これはあの2009年の『プリンセスと魔法のキス』、2010年の『塔の上のラプンツェル』に続く、まあ二度目のというべきかな、ディズニー・ルネッサンスの流れでですね……。

要は昔ながらのディズニープリンセスのように、「素敵な王子様に受動的に見初められ、結婚することが幸せのゴール」というわけでは、かならずしもないですよね、という。つまり定型のひっくり返しというのを、この妹・アナサイドのエピソードがやっているという。そういう意味で価値観のアップデートというのも非常にわかりやすくやっていたし……ということですね。

あとはやっぱりですね、さっき言った「Let It Go」だけではなく、「Do you want to build a snowman?(雪だるまつくろう)」とか「For The First Time in Forever(生まれてはじめて)」といった粒ぞろいの名曲たち。本当にもう、見直してもこの名曲のつるべ打ちっぷり、やっぱり一作目はただ事じゃない。マジックが起こりすぎだと思いますね。

しかもそれがですね、それらが単に名曲として単体である訳じゃなくて、いわゆる「ライトモチーフ」ですね。何か決まったものを表現する時にかならずその旋律が出てくる、というライトモチーフとして、ストーリーテリングと絶妙に絡み合い、出入りする。その歌劇としての魅力が、やっぱり『アナと雪の女王』は、ただ事じゃないんですよ。だから最後に、「めでたし、めでたし」の後で、ドーンと「雪だるまつくろう♪」が流れると、それは「うわーっ!(号泣)」ってなっちゃう、ということなんですよね。はい。

で、結果、その新時代ディズニーの集大成にして、決定版的な一作となった。そしてなにより、多くの人に愛され続ける一作となった、ということでございます。

■一作目の達成を踏まえた上で、それをさらに発展的に補完する続編

ということで、その後はスピンオフ短編を2つ挟んでの今回の続編、ということなんですけども。やはり一作目がですね、これだけ存在として大きくなってしまったからこそ、その、商業的要請を超えて説得力ある内容にするっていうのはこれ、なかなかできない。正直僕も事前には、懐疑的な気分の方がちょっと大きかったですけども。

これ、ちょっと意見が分かれるのを前提で、これは私の見方でございますが、結論を言ってしまえば……本作はですね、まず、単なる続編というよりは、一作目の物語がどのように人々に受容され、意義を持ったのか。たとえばそれこそLGBTQのみなさんのシンボルとして、そしてその解放のシンボルとして解釈されたとか、そういうような諸々を分析し、考え抜いた先に、「ん?……だとすると、一作目のこの話、ここで終わらせていいのかな?」という問いを、改めて引き出している。

具体的に言えば、こういうことですね……エルサはたしかに一作目の結末、当然ハッピーエンドですから、氷の魔法の能力というそのマイノリティー的な存在、資質っていうのは、アレンデール王国の人々に受け入れられて、なんなら社会貢献にもなって、めでたしめでたし、ってなっているわけですけども。さっき言ったようなですね、その周囲の人々や社会との違いっていうものをずっと抱えてきたような人がですね、こうして社会の中に丸く回収されていくっていうこと、「だけ」が理想的な着地となってしまっていいのか?っていうことですよね。

実際、エルサ、彼女の孤独は、実はこれだと本質的には解消されてないじゃないか?っていうことに、僕ははっきり言って正直、一作目を見終わって、ちょっとそこは感じたんですよね。「これ、でも彼女自身は、ここにいても結局、彼女の存在としての孤独っていうところは、受け入れてはもらっているけど、優しくしてはもらっているけど……孤独の解消になっているのかな?」っていう風に、ちょっと思ったところではあるんですね。だからこそ、あの氷の城に閉じ込もる場面の方が、なんか喜びにあふれているようにも見えてしまう、という問題があるわけですよ。

そういう問いを、しっかり引き出している。しかも、一作目の作り手自身が、自分たちの作った「名作」と言われているものを、もう一回問い直して。「ひょっとしたら足りてないんじゃないか?」というところまで引き出している。そこから、前作では特に説明がなかったそのエルサの能力のそもそもの理由とか、そしてあの両親の死……つまり、あの両親たちがエルサの能力を恐れ、持て余し、抑圧したことがそもそも一作目のトラブルのすべての原因じゃないですか? という風にも一作目では見えかねなかったところ、などなどを、掘り下げる方向で行くという。

要はですね、一作目の達成を踏まえた上で、それをさらに、発展的に補完するという。言ってみれば、「続き」というよりは、二作セットでより物語的な完成度が上がる、というような。なんなら「二部作」的に扱っていいんじゃないか、というくらいの置き位置になっている。で、僕はその意味において、すごくよく考え抜かれた『2』だな、という風に思ったんですね。そんじょそこらの「続けなければよかったのに」的なもの、要するに後に接ぎ木をしていくというのよりは、一作目を補完的にやる、というか。そういう話という風に思いました。

■最初はやや飲み込みづらいが、映画を見終わってから振り返るとやはりよく出来ている導入部

まあ、ちょっと順を追っていきますけど。まずですね、会社の、ディズニーとかのクレジットの上に乗るように、前作同様、あの「ナーナーナー、ヘイヤー、ヘイヤー♪」というような、いわゆるチャントっていうやつですかね。フレーズが乗りますよね。今回、しかもこのチャントのルーツ、一作目では何の説明もなかったですが、あのチャントのルーツも劇中、明かされていく、というのがありました。で、そこからアバンタイトル。前作冒頭よりたぶん、もうちょい前の、もうちょい幼い段階のアナ、エルサ姉妹に、お父さんであるそのアグナル国王が、その魔法の森をめぐる昔話を……しかもこれがですね、「あんた、そこまで話したなら、もうちょっと詳しく話せば、後々またトラブルが起きないんじゃないの?」みたいな絶妙なぼやかし加減でですね(笑)、その昔話をするわけですね。

まあ、アレンデール王国と、森の民であるノーサルドラ人との対立という。ちなみにですね、このアレンデール、『アナと雪の女王』の世界観は、ノルウェーとかフィンランドとかアイスランドにリサーチして作られていて、このノーサルドラの人々も、北欧の先住民族である「サーミ」の人々。これ、『サーミの血』というスウェーデン映画、僕は以前の番組でちょろっとお話しましたけども。『サーミの血』をご覧になった方もいると思いますが、サーミ人たちに取材して造形されていった、ということですね。

これ僕ね、この、先住民のこの感じが出てくるのが、後で出てくるあのアース・ジャイアント、岩でできた精霊がいますよね。あの造形も込みで、僕は「ああ、なんか(高畑勲、宮崎駿らの若き日の仕事として知られる)『太陽の王子 ホルスの大冒険』みたいだな」っていう風に思ったり……「というか、そもそもエルサってヒルダっぽいよね?」とか、そういうことを改めて思ったりなんかもした次第でございます。

まあ、とにかくそのアレンデールとノーサルドラの、いかにも怪しい……つまり、背景には明らかに、何らかの政治的陰謀があるでしょう、これ?っていう、民族間・国家間対立があるという。まあ世界のさまざまな状況に置き換え可能であるだろう話が、お父さんから語られる。

で、続けてお母さんが、「なんで? なんで?」っていうその全ての謎を解くという伝説の川、アートハランの子守唄「All Is Found」。これを歌うわけですね。幼い姉妹に歌って聞かせるわけです。というところからタイトルが出て。そして、その歌を現在のエルサが受け取って、歌い終わると……というところまでがオープニングになっているわけですね。で、それが終わって、さあ、日常的な暮らしになるのかと思ったら、ノルウェーの歌手だというオーロラさんという方の、「アアー、アアー♪」っていう。これ、昔話の中でも1フレーズ、出てきましたし、要所要所で、「アアー、アアー♪」っていう、この声に惹かれていく。

全編でキー的に使われる、いわゆる「遙かなる山の呼び声」というやつですね(笑)。遙かなる山の呼び声を聞く、という、ここまでが一応オープニングのセッティングなんですけども。一作目のオープニングが、あれは本当に惚れ惚れするような、手際のよい、簡潔な語り口だったんですよね。本当に一作目のオープニングの語り口のスピーディーさ、それだけで僕は、涙が出てくるぐらい見事だと思いますけども。今回は、なにしろちょっと、一作目のシンプルさに対するさらに問い直し、というものがさっき言ったように根本の狙いでもあるということもあって、若干話が入りくんでいて……説明的なわりに、少なくとも最初はやや飲み込みづらいところが、正直あります。「なんか今回、入りくんでるな」っていう感じがする。

ただですね、しかし映画を見終わってから振り返ってみると、まずここで暗示されるそのノーサルドラとの因縁のその真相は……というのが、映画全体を一種ミステリー要素的に、要するに今回のストーリーを直線的に推進する、大きな力となっているわけですね。で、「その謎を解くために、母の子守唄にあったアートハランを目指すのだ。道のりは厳しいし、そこで目の当たりにする真実は恐ろしいかもしれないけど……」という物語の流れ。要するに、この後に来るであろう物語の流れっていうものが、歌詞でも暗示されてるし。

しかも、それに導かれて行くのは、エルサその人なんだ、(というのを示す意味で)エルサひとりがそれ(歌の続き)を受け取る、というというところで、実はやはりとても効率よく、これから語る話の方向性と、どういうことになっていくかという、話の推進力、ミステリー要素というものが、実はやっぱりすごくね、効率良く配されている。1回見てから思い返すと、「ああ、あそこはやっぱよくできてたわ」っていう風に思ったりする、という。

■「Let It Go」の成熟版、爆発的感動を宿している「Show Yourself」

特にですね、先ほど一作目に関してですね、「楽曲のライトモチーフ的な使い方が見事」というようなことを言いましたけども、今回はよりそれが、お話の根本に埋め込まれているわけです。さっき話した「All Is Found」。お母さんの子守唄であるとか。

あるいは「アアー♪」っていう、この遥かなる山の呼び声が、ここぞというところで……ということですね。あるキャラクターとの対話とか、あるいは謎解きとして、その時々の歌やストーリーとビシーッと合致して、ちょっと鳥肌が立つような、極上の効果を上げていると思います。たとえば、さっき言ったようにですね、オープニングで早くも、ここではないどこかからのその呼び声を聞いてしまった、その母が歌い聞かせてくれたアートハランの子守唄とともに、(そのメッセージを)受け取ってしまうエルサ。

彼女は、さっき言ったようにですね、作り手が提示する問題提起として、やっぱりその周囲との違和感、孤独を抱えながら、表向きは平穏に暮らそうとしている。で、そこからそのアナとかオラフ、クリストフとか町の人々が、いかにもアナがメインの曲らしいポップさで歌う「Some Things Never Change」っていう曲、「ずっとかわらないもの」っていう……で、エルサだって、ずっと変わらないものでいてほしいと思っている。それはそれで大事にしたいんだけど……という。

なんだけど、要は前作の「Let It Go」がですね、自分を初めて解放する喜び、「自分は自分だ!」っていう、一種「孤独を受け入れる強さ」の歌なんですよね。「Let It Go」というのは、「孤独でかまわない」っていう歌ですよね。(鈴木亜美の名曲)「それもきっとしあわせ』じゃないですけど、「孤独でかまわない」っていう歌なんですけども。

今回のエルサは、そんな自分が、本来いるべき場所、自分が本当の意味で「1人ではないんだ」と実感できるような場所を、いまの暮らしを捨ててでも、正直探さずには、目指さずにはいられない、という話になってるわけですね。なので、その抑えられない気持ちの歌としての、今回のメインの歌。この「Into the Unknown」。これ、最終的にそのアートハランという、これはリチャード・ドナー版『スーパーマン』における「孤独の砦」に非常によく似た、エルサにとっての、要するに文字通りの「ホーム」なわけですね。

ホームを目指すのも、これは要するに、彼女が「本当の自分自身」を発見する旅だから。途中でアナたちと、ちょっと道を分かちますよね? で、アナたちは怒りますけども。アナたちを連れて行けないのは、危険だからという以上に、「自分を発見する旅、私の心の中に行く旅なので」ということで、一旦別れなければいけないことになる、という。そしてですね、そこでアートハランに着いてから歌われる、この「Show Yourself」という歌。

前述したようなライトモチーフ使い……この「Show Yourself」、静かに歌っていますけども、最後、エモーションがグーッと上がって、エモーションが最高潮に達したところで、さっきから言っている、とあるライトモチーフ使い、そこでこれが来るか!っていうのが、ドーン!と来る。最強にハマっていて。僕はこれは、ほとんど「Let It Go」の成熟版、といったような、爆発的感動を表しきっているな、という風に思います。

■『2』を見ることで、『アナ雪』全体を「心置きなく好きになる」ことが出来た

だからこそ、その後、「Let It Go」をエルサが……要するにエルサ自身が、「Let It Go」を歌う自分を、客観視する視点が入ってるんですね、その後の場面で。あれは要するに、もう彼女はすでに、完全に「自分が自分であることを誇る」ことができる段階に成長したから、というのを示していたりする、ということですね。ただ……ここのくだり全般が、非常に抽象化された表現なんですね。非常に抽象化された表現が続くため、なんかぼんやりした印象、もしくは「よくわかんないな」っていう印象を持たれる方も結構いるのもわかる、っていう感じです。

非常に抽象的かつ、哲学的な話になっちゃっている。そこでそのアレンデール王国の、影の、負の歴史……これまたね、世界のいろんな歴史に置き換えがきく、国家・民族間の対立・分断の構造ですけど。これをその、子供向けの、みんなが見る作品として盛り込むその志、というものは本当に素晴らしいですし。個人的にはやはり、高畑勲、宮崎駿、あるいは富野由悠季といった人々、先人たちの仕事が、ちょっとこだましているようにも感じる。たとえば『海のトリトン』感であるとか、『ナウシカ』感もある、とかね。もちろん『ホルス』感もある、という感じがいたしました。

で、まあエルササイドの話ばっかりしてしまいましたけど、今回エルサが本当の自分のアイデンティティを確立していくのと並行して、言っちゃえば「ただの人」代表であるアナがですね、それでも「いまやれる最善のことをやる」ということで、「The Next Right Thing」というこの歌。「そうするしかないんだ」という風に自分を鼓舞して、前に進んでいくことを選択していくくだり。これ、一作目でのアナに対して、やっぱりじゃあアナの存在意義……「普通の人は何ができるのか?」っていうところを、しっかり、非常に重たい場面でしたが、提示した部分もこれ、僕は『2』としてやるべきことをちゃんとやってるな、と思いました。実にズシンと胸に響くあたりでございました。

前作はですね、その姉妹のリユニオンに着地していく話だったのに対して、今回はそれぞれが自己をしっかり確立した上で、「だからこそ、“ずっと変わらないもの”があるんだから、離れていても大丈夫だ」っていう。これね、それこそお子さんたちとか、一緒に見る親御さんへのメッセージとして、巣立たれる側も、そして巣立つ側も、「家族の形に固執しなくても大丈夫だよ」っていう、非常に重要な後押しをしてあげる話になってるかなと思いました……あ、すいません! 時間が来ちゃってね。

オラフのかわいさとか、あるいはコメディリリーフとしてのクリストフのね……今回は、80年代ロックバラード・オマージュがくだらなすぎる(褒めてます)! これ、曲が流れてますけど。「Lost In The Woods」。これも、「そういうもの」として非常に面白く楽しめました、って感じですね。

ただ、彼がそのアナにプロポーズするくだりのサブプロットが、もうちょっと気の利いた回収をしてほしかったな、とかもありますし。あと、「その人、そんなに重要な役割だったの? いままでアップにすらなったことないですけど……」みたいな。ちょっと若干の後出し感がある設定も感じたりしますが。ただですね、勢いで一気に持っていった、実は構成とかはなかなかトリッキーな『1』よりも、それを土台に考えつくされた分、非常に今回は丁寧なバランスに実はなってると思いますし。やっぱり二作でセット。

つくり手たちの言葉によれば、「エルサが神話的、アナがおとぎ話的」という。これが共存しているのが『アナ雪』の物語なわけですが(※宇多丸補足:『ジ・アート・オブ アナと雪の女王2』序文から、もう少し正確に引用しておくと……「神話が描くのは『ふつうの世界で暮らす不思議な力を持った存在』で、彼らは世界の重みを背負わなければならず、たいてい悲劇的な結末を迎える。一方、おとぎ話が描くのは『不思議な世界におけるふつうの存在』で、主人公は困難に直面して苦労するものの、最後には成長してそれを乗り越える」「『アナと雪の女王』は、神話とおとぎ話が同時に語られる物語だったのだ!」)、最終的にその両者が、それぞれの世界へと帰着していく、という今回の結末。僕は納得の出来でございましたし。

今回の『2』を見ることで、『アナ雪』全体がさらに、僕は「心置きなく好きになる」ということができた。複数回見て、さらにそこを実感いたしました。ということで、一作目とは異なるテイストではございましたが、僕は非常によくできた『2』だと思いました。ぜひぜひ劇場で、あなたのご意見がどうなるかはわかりませんが、ウォッチしてください。ああ、すいません、早口で……。

(ガチャ回しパート中略 ~ 次回12/13の課題映画は『アイリッシュマン』!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

宇多丸、『アナと雪の女王2』を語る!【映画評書き起こし】

◆12月6日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20191201010000

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