南海(現ソフトバンク)の黄金期を支えた内野手で、近鉄の監督も務めた岡本伊三美(おかもと・いさみ)さんが15日午前7時57分、肺炎のため大阪市内の病院で死去していたことが20日分かった。95歳。
岡本さんは、中学時代までバスケットボール選手だったが、京都第一工(洛陽に改称)高で野球を本格的に始め、1949年にテスト生として南海に入団。わずか3年のキャリアでプロ入りを果たした。
52年に1軍に抜てきされて、二塁のレギュラーに定着。53年には打率3割1分8厘で首位打者を獲得し、わずか4厘差で西鉄・中西太の3冠王を阻止した。3連覇に大きく貢献し、リーグMVPも受賞。蔭山和夫、飯田徳治、木塚忠助、杉山光平とともに「100万ドルの内野陣」と呼ばれ、鶴岡一人監督率いる南海の黄金時代に欠かせない選手だった。
杉浦忠の4連投4連勝で巨人を下した59年の日本シリーズでも、第1戦で4安打。2本塁打はこの年、300勝投手となった別所毅彦から放った。宿敵を倒しての悲願の日本一に「勝った、やっと、やっとだ」と涙した。
63年に引退後は南海、サンケイ、阪神、近鉄でコーチを歴任。84年には近鉄の監督に就任した。大石大二郎や金村義明らを中心選手に育て、86年には西武と激しい優勝争いを演じるも2位。最下位に終わった翌87年限りで退任し、コーチだった仰木彬にバトンを渡した。その後は球団フロントとして、主に編成部門で辣腕(らつわん)を振るい、99年にユニホーム組としては当時異例ともいえる専務取締役球団代表に就任。近鉄を支えただけでなく、全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)常務理事、日本少年野球連盟顧問なども務めた。
◆岡本 伊三美(おかもと いさみ)1931年2月26日、大阪府生まれ。京都・洛陽高から入団テストを経て49年南海入り。53年に首位打者とMVP獲得。通算成績は1289試合、打率2割5分7厘、125本塁打、513打点、182盗塁。84年から4年間近鉄監督で239勝242敗39分け。










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