ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。


宇多丸、『はちどり』を語る!【映画評書き起こし】の画像はこちら >>

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は、『はちどり』(2020年6月20日公開)です。

宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週、扱うのは6月20日に公開されたこの作品、『はちどり』。

(曲が流れる)

音楽もすごい良かったですね。不穏さとか美しさのバランスが素晴らしかったですね。

本作が長編デビューとなる、韓国で今最も注目の監督のひとり、キム・ボラ監督が、自身の少女時代の体験をもとに描いた人間ドラマ。ベルリン国際映画祭をはじめ、数々の映画祭で50を超える賞を受賞した。

舞台は1994年、経済成長期の韓国。ソウルで暮らす14歳の少女ウニは、自分に構ってくれない大人や上手くいかない友人関係に悩み、孤独な思いを抱えていた。しかし、ウニの通う塾にやってきた女性教師ヨンジとの出会いが、ウニの心にささやかな変化を起こしていく……。

主人公のウニを演じるのはオーディションで選ばれたというパク・ジフさん。女性教師ヨンジを演じるのはキム・セビョクさんでございます。

ということで、この『はちどり』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。なんですが、賛否の比率は「褒め」の意見が9割以上。テンションの差はあれど、好意的な意見がほとんどでございました。

主な褒める意見は「様々な差別、抑圧、暴力の中で生きていく少女を繊細かつ抑制の効いたタッチで描いていく。男性を一方的に断罪しないバランスもよい」。これね、監督もインタビューでこんなことを仰ってましたよね。「演出や撮影、演技など、どれをとってもハイレベル。初監督のキム・ボラ監督にはすごい才能を感じた」とか「主人公ウニを演じるパク・ジフもすごい」などなどもございました。

一方、批判的な意見としては「時代背景や登場人物の心情がよく分からず、あまり理解できなかった」とか「やや冗長で退屈だった」などがございました。まあ2時間20分ありますからね。

■「ヨンジ先生がくれた白紙のスケッチブックは、これからいかようにも描いていける」(byリスナー)
というところで褒める意見、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「おれにゃん」さん。「『はちどり』、TOHOシネマズ日比谷にて鑑賞しました。月曜にも関わらず、思った以上に混んでいて驚きました。

本作で描かれる出来事はひとつを除いて小さなありふれたものばかりですが、主人公が暴力や学歴社会、女性ゆえの抑圧という壁に囲まれる息苦しさに、見ている自分も辛くなりました。殴る兄、怒鳴る父。主人公の気持ちより手術後の傷跡ばかり気にする男性たちには鑑賞中、本当に腹が立ちました。しかし、(クライマックスの)あの事件の後、号泣する兄に彼もまた壁の中で窒息寸前なのだと気づきました。

そして主人公にとって唯一の風穴となるヨンジ先生。ヨンジ先生がくれた白紙のスケッチブックは主人公の未来で、これからいかようにも描いていける。

このことが何よりの救いと思いました。私は現在51歳の女性で、子供はいないけど、自分の行動、言動が誰かにとっての小さな風穴になるなら、自分も次の世代にバトンを渡したと言えるのではないか。エンドロールを見ながらそんなことを考えました。『はちどり』見て良かったです」というお褒めの意見でございます。

一方ですね、ちょっとダメだったという方のものもご紹介しましょう。「前田直紀」さん。「何がいいのか分からなかった」と。で、いろいろ書いていただいて。「……鑑賞していて私の感性が鈍いのか、ウニに共感できず、他の登場人物も描写が深くないので理解に苦しみ退屈になっていきました。ストーリーも戸惑いが多く、置いてきぼりをくらった感じでした」ということです。「94年当時の韓国を知らないので空気感が全く分からないし、知っていて当然な基礎的なことが分からないのが一因かとも思います」というようなご意見でございました。

■これが長編映画デビュー作、脚本・監督のキム・ボラさん
はい。

ということで非常に話題沸騰の『はちどり』、私もですね、TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。両方、平日の昼にも関わらず、2回ともめちゃめちゃ混んでいて。特に2回目はレディースデーということもあって、もう完全に満席でございました。非常に高い評判、熱い支持の広がりを感じるところでしたね。

ちなみにこのね、劇場パンフレットに載ってるハン・トンヒョンさんによる監督インタビュー、あるいはこのイ・ヨンチェさんという、大学の教授の方による韓国社会情勢とリンクさせたコラムであるとか、あるいは『ユリイカ』5月号、韓国映画特集ですけども、桑畑優香さんの監督インタビューとコラムとか、あとはやはり、さっき言ったハン・トンヒョンさんによる、『スウィング・キッズ』とも絡めた音楽にまつわる文章とか、とにかくですね、この『はちどり』に関しては、既にですね、非常に優れた参照テキストが多数ありまして。

もう本当に、私のこれからの駄話なんか聴くより、そちらをぜひ読んでいただきたい。本当に優れた……私も当然、そちらを参考にさせていただきましたし。優れたテキストがありますので、ぜひご鑑賞された際は、私もこれからしゃべることも頑張ってしゃべりますけど、ぜひそちらの優れたテキストを参照していただければ、と思う次第でございます。

脚本・監督のキム・ボラさん。これが長編映画デビュー作、というね。まあ韓国の東国大学というところとか、あとはアメリカのコロンビア大学院で映画を学ばれたという方で。特に2011年に撮られた短編『リコーダーのテスト』という……これ、僕はまた例によってこのタイミングでは予告しか見られてなくて申し訳ないんですけど、これがまさにですね、今回の『はちどり』と同じウニという主人公で、お父さんも同じチョン・インギさんが演じていたりとかして、要は『はちどり』の主人公や家族の、前日譚的な作品なんですね。

この『リコーダーのテスト(The Recorder Exam)』っていう作品は。

で、今回の映画が1994年というのに対して、その『リコーダーのテスト』は1988年、まさにソウルオリンピックの年。主人公のウニさんは9歳という設定。今回は14歳、中2……まさにエイス・グレード!っていうね。だから、『エイス・グレード』と見比べると面白いかもしれないですけどね。

で、この『リコーダーのテスト』がまず、各国の映画祭で高い評価を得て。で、さらに長編でこのウニというキャラクターの成長した姿を描こうと……おそらくはこのキム・ボラさんご自身の自画像というか、そこも反映されているんでしょう、成長した姿を描こうと、大学で教えたりしながらやっていて。脚本に着手したのが2013年。まあ、後に専念をされてということらしいですけど。

ただですね、分かりやすく派手な見せ場があったりするような作品ではないですね。非常にやっぱり観客側の能動的な読み取りが必要なタイプの、一見地味に見える作品ではありますので、その資金集めには大変苦労されたようで。韓国には豊富にある公的機関の助成金を少しずつ集めて、ようやく2018年に完成したという、まさに渾身の一作。

■一作目にして、文句のつけようのないレベルに達している
で、ですね、これが長編一作目となる作り手による、まあごくごくこぢんまりしたインディペンデント映画ではあるんですけども……これですね、実際に私、見てみて、ちょっと愕然といたしまして。「何だ、この完成度は!?」っていう。いきなりなんか、もうなんて言うか「名監督!」っていうか。「いきなりなに、これ?」って感じで、ちょっと度肝を抜かれました。

たとえばですね、やはり淡々としているようで実は非常に緻密に構成され尽くした脚本の妙であるとか。あるいはですね、ドアとか窓、あるいは自然空間、外の空間の、公園のちょっと曲がった道とか、そういう空間の奥行きなどが非常に効果的に(使われている)……あるいは屋上から見た景色とかですね、いろんな空間を非常に効果的に利用しつつ、人物たちを的確に配置、あるいは出入りさせてみせる、非常に美しく、そして見事に映画的な、隙のない画づくり、演出であるとかですね。

はたまた、主人公ウニを演じるパク・ジフさんや、彼女の精神的メンターとなっていく塾講師ヨンジ役のキム・セビョクさんをはじめ、全キャラクターが見せる、非常に抑制は効いているんだけど、奥深く豊かな演技、存在感であるとかですね。もしくはその、画面の外側にも想像力を非常に喚起させる、音使いであるとか。あるいは、非常に考え抜かれた編集の妙であるとか。そして最終的には、ごくごく日常的な、小さな出来事の積み重ねの果てにうっすらと浮かび上がってくる、韓国社会、ひいてはこの世界全体に繋がるような、普遍的なテーマ、メッセージ……というような感じで。

とにかく全てがですね、既に一作目にして、文句のつけようのないレベルに達している。恐らくこの一作で、キム・ボラさんは、並みいるアジアの巨匠たちと並ぶ存在になっていくのではないか、と言っても、たぶんこれは本当に大げさじゃないと思います。というレベルで、本当にぶっ飛びました。すごい人が来ました。「すごい人が来ました」とはよく言いますけど、その中でも非常にスケールがデカいすごさが来た、という感じがいたします。

■不穏なオープニングが示すのは、家族に感じている疎外感、違和感
オープニングからしてすでにね、なにかもう、ただことではない空気が漂っている、垂れこめているわけですけども。マンションのドアの前にですね、家に帰ってきたその少女……この時点では顔が見えなくて、黄色いTシャツの背中だけが見える。この「黄色」っていうのは、全編を通じてこの主人公ウニさんの、ちょっとテーマカラー的なね。ベネトンのリュックを背負って……なんてやってますけど。

黄色いTシャツを着たその少女の背中だけ見えて。で、その少女が、一生懸命チャイムを鳴らしてるんだけど、誰も出ない。「お母さん、お母さん!」とドアを叩くんだけど、誰も出ない。で、こう見ると、ドア番号が「922」と出ている。で、見上げた彼女。なんかこうフッと、別に表情とかは変えずに、とぼとぼと階段を登っていくと、さっきとは右左逆の構図のドアがある。で、そこのチャイムを鳴らすと、今度は中からお母さんが出てくる、っていうことなんですけど。

で、まあ、その部屋、1022号室から、グーッと、このドアのところからカメラが引いていくと、同じようなドアがたくさん並んでいる。そこで、タイトル『はちどり』って出る、というオープニングなんですけど。これ、もちろんですね、単に部屋を間違っていたというだけのことではなく、主人公の少女ウニがですね、家族に感じている疎外感、違和感……たとえば中盤で、もう一度、出てくるわけです。「お母さん、お母さん!」って何度も呼びかけても反応が返ってこないという、ちょっと怖さを感じさせるような展開が、中盤でまた出てくるんですけど。

要はこれ、「親が他人のように見える瞬間」というか、自分の親としてではない、1人の他者としての親を垣間見てしまったような、その中盤に出てくる展開と合わせて、要はその主人公ウニがですね、母親をはじめ家族から、きちんと向き合われていない、彼女が呼びかけても返ってこない……お母さん、もちろん会話はしますけども、なんかたとえば一瞥をくれるだけだったりして。お母さんはすぐこっちの……たとえばテレビを見ちゃうとか、あるいはずっと寝ているとかね。なんかふてくされたように寝ている姿。これが非常に印象的ですけどね。

そんな感じで、その主人公ウニが感じている孤独感、あるいは焦燥感、なんなら恐怖といったものまで含めたものが、このオープニングの不穏なところで、通奏低音のように流れ始める、という感じですね。しかもそれはですね、この家、この家族だけの話ではなく……という暗示すら示しているわけです。そのオープニングでね。で、その主人公ウニが感じている疎外感とか抑圧感っていうのの源泉はなにかと言うと、序盤から積み重ねられていく1個1個のさりげない描写によって、次第に「ああ、これか……」と。

つまり、はっきり言って男尊女卑的な、家父長制ですね。家父長制による社会のあり方、システムというのがどうやら根本にある、ということが次第に浮き彫りになっていく。

■「目線の交わしあい」が雄弁にいろんなことを物語る
たとえばそのお母さん。深夜、酔ってなのか突然、そのお母さんのお兄さん、主人公にとっての伯父さんというのが訪ねてくる。で、その伯父さんが言う言葉によって、お母さんというのはどうやら、本来は大学に進学できるような学力、能力があったにも関わらず、男の子供を優先させて出世させていこうという、まあ正直ね、日本だってまだまだ、場所や家族によってはあるといえばあるんじゃないの?っていう思想ゆえに、それを諦めたらしい、ということがうっすらわかってくる。

そして、その男の子供の進学・出世を何より優先させるというイズム、まさにそれが今、そのウニさんの家族でもやっぱり、繰り返されようとしているわけですよね。しかもその陰で……要するに男の子供というのが特にありがたがられる、彼の立身出世ということが重視される陰で、たとえばその男の妹……兄による妹への家庭内暴力というのが、ウニの家だけではなく、なんとなく全般に黙認されている社会、というようなことが暗示される。竹刀もなかなかですけど、ゴルフクラブはないだろう?っていう。ひどいことになってたりするという。

またですね、その「お兄さんに殴られた」っていうことを両親に訴えても、そこでその両親はお兄さんを怒るどころか、「喧嘩しないでよ!」っていうことで、妹の方を怒ったりするという。で、その理不尽さにちょっと「えっ?」ってなっていると、そこの向かいにいるお姉さんが……たぶんお姉さんも同じ思いをしたことがあるのか知らないけども、なんかものすごく、なんていうかヒリヒリした視線でこっちを(見ている)——この作品はこんな感じで、物言わぬヒリヒリした、もしくは温かいでもいいですけど、この「目線の交わしあい」が非常に雄弁にいろんなことを語っている作品なんですけども——そんな感じ。

ということで、つまりですね、先ほどから言っている「ウニの呼びかけにお母さんが応えてくれない」というその展開というのはですね、これは僕の解釈でもありますが。ウニにとってこのお母さんというのがですね、「こういう大人になっていきたいな」というロールモデルたりえなくなっている、ということのメタファーでもあるように思えるわけです。

■キャラクターや設定から見られるフェミニズム的な問題意識
時代は1994年。軍事政権時代も終わって、1988年のソウルオリンピックも経て、現代韓国、我々が知るような現代韓国へと生まれ変わろうとしている、まさにその端境期なわけですね。

まあお父さんに代表されるような古い家父長制、古い韓国の社会……ただ、そのお父さんやお兄さん、あるいはそのさっき言った伯父さんなどもですね、伯父さんなんか明らかにね、その妹を犠牲にしてまでいろいろやった人生のはずなのに、明らかにその伯父さんはなんかいいことになっていない。というか、その当事者たる男たちも誰一人、幸せそうには見えない、ただただ辛そうに見えるっていう、ここもミソだったりしますけど。

とにかくそういう、古い体質と新たな時代の狭間、というこの時代設定、これが非常に絶妙なわけですね。これ、もちろん韓国の社会に対する知識があった方が当然、もちろんこれは理解できますけど、そうでなくても、日本でも同じような時代というのは当然あったわけで、「まあ、こういうことだろうな」っていうのは、見ていてもわかってくると思います。そうした時代の転換期を象徴するかのようにですね、そのウニの通学路の途中に、「この土地売りません」というような垂れ幕の横で、序盤ではまだその農家の人が、畑を耕していたりするわけですね。

まあ、そこもまた後半で変わってくるという、その変化というのもまた、ひとつの語り口になっているわけですけど。ちなみにそう考えると、ウニ家の家業が餅屋、つまりその「米を加工した商品を出す仕事」というのも、ちょっとシンボリックだったりするかな、という風に深読みをしたくなってきたりします。

で、後半にかけて、この映画は実は「手のひらを見る」というアクションが大変意味を持ってくるわけなんですけど、ウニが最初に手のひらを見るのは、この家業を手伝う……その餅屋さんの作業を手伝う、というシーンの後ではじめて、手を見る。これがやっぱり意味深長ですよね。つまりやはりウニは、「このまま親の敷いたレールの上を行って、私もお母さんのようになっていくのかな?」というところに、納得できない思いを抱え始めている、というのが、まず最初の手を見るところに表わされてたりするということですね。もちろんこれ、世代感から言っても、『82年生まれ、キム・ジヨン』、非常に話題にもなりましたが、それとも重なる、そのフェミニズム的な問題意識、当然ここには非常に込められてるわけですね。

で、そこで、この今の彼女にとっての最良のメンター、ロールモデルとなり得る人物として登場するのが、先ほども言いました、キム・セビョクさん演じる塾講師のヨンジというキャラクター。彼女はですね、窓から外を見ながらなんかボーッとタバコを吸っていたり、後半ではちょっとこう、窓の外を見ながらなんか思い耽りながら、ちょっと自分をこう、何かに耐えるかのように、自分を抱きしめるような仕草を1人でしていたり。

ちょっとこう、知的でありながらもどこかこう、世捨て人めいた雰囲気もまとった女性。まあ長年、大学を休学していて、職も転々としているとか、年代とかその年齢とかから考えて、おそらくは彼女は、その韓国の民主化運動に何らかの形で参加し、そして何らかの挫折、もしくは喪失を経験してきた人なのではないか、と推測されるわけですね。パンフの監督インタビューによれば、途中で彼女が歌う歌、あれは「切れた指」という歌らしいんですけども、あれは有名な労働運動ソングでもあるらしくて。まあ、間違いなくその学生運動に参加していたんだろうと。で、挫折をしたんであろうと。

で、まあとにかく、たとえばその塾の経営者の女性のように、旧世代からは「変な人」という風にカテゴライズされてしまうような彼女、ヨンジだけがしかし、大人では唯一、主人公のウニに正面から向き合って……つまり、しっかり彼女を「見て」くれるし、前述したような男尊女卑的な社会、不条理に対しても、「あなたの世代は黙って我慢をしないで声をあげてね」という感じで、ユニの背中を押す。あるいはその、他者を決めつけないものの見方というのを教えてくれたりもする、という感じになっていく。

■『はちどり』というタイトルに込められた意味とは
で、まあ、そうこうするうちにですね、まるでそのウニの、世界に対して抱えている違和感が実体化したかのように、そのウニの耳の後ろのしこりというのが、どんどんどんどん大事になっていったりとか。あるいはその、彼氏との幼い交際が、いろいろ残念なことになっていったり。あるいはね、あの親友とのもめごと……あれの「えっ!?」っていう、「わりとその早めのチクり、なに?」っていう(笑)。「えっ!?」っていうあれとかもね、まあ面白い場面でもありましたね。

あるいはその、年下の女の子に恋されたり……あの年下の女の子はあれですね、『わたしたち』に出てきたソル・ヘインさんだと思うんですけども。とにかくまあ、いろんなことが14歳の日々に降りかかってくるわけです。しかもそれが非常に、説明的ではなく、わりとポンポンポンポンと、省略話法を非常に効果的に使った展開でやっていくので、実は、2時間20分ありますけど、テンポは決して遅くはない、という感じだと思います。

ということで、そうした様々な出来事、人々がいるわけですけど、それを画面の中心でまっすぐに見つめ続け、捉え続け、おそらくは思考を続けているのであろう主人公ウニを演じる、パク・ジフさんのまず、この透き通った瞳と存在感が、なにしろ素晴らしいですね。彼女がこう、スッといる。で、我々観客は、彼女の背中越し、あるいは肩越しに……たとえばですね、この映画はすごくドアとかがいっぱい出てくるわけですね。さまざまなドア、扉の向こうにいる人。あるいはそのドア、扉の向こうに広がっている世界と、その都度彼女を通して、対峙していくことになる。

このドアとか窓、あるいはその公園の、たとえばちょっとクネクネした道であるとか、あるいは病院のカーテンといった、空間の使い方、そこでの人物の配し方、出し入れの仕方で、全てを語る。あるいはさっき言った通り、目線でいろいろ語っていく、というその手際。もはやこれは名匠級、と言ったところだという風に思いますね。本当に「堂々たる」としか言いようがない、隙がない。本当に、欠点がない、という感じだと思います。

また、2回出てくる、トランポリンのシーン。これも印象的でしたね。少女たちはぴょんぴょんぴょんぴょん跳ねながら、無邪気に、しかし切実に、大人たち、つまり社会への不満を口に出しているわけですけども。その周囲には、安全対策用の網が、360度張られているわけですね。ということで、その構図はやはり、タイトルと合わせて考えると、どうしてもその、「籠の中の鳥」的なことを連想させますよね。

タイトルの『はちどり』。ちっちゃい体で、ものすごいスピードで羽ばたきながら、ホバリングする、っていう鳥ですよね。つまり、すごく頑張って羽ばたきながら、その場に今は留まり続けている、という。逆に言えば、留まっているように見えるけど、実はそうではなくて、ものすごく動いてるし、いずれは飛び立つんだっていう動物とも言える、というタイトル。それを、まさにその主人公のもがき、あるいはその韓国社会のもがき、脱皮、というところに重ねたのかな、というところではないでしょうか。

■第三幕でいきなり明示される「1994年10月21日」
90年代韓国、14歳少女のもがきを示す名シーンとして、これはおそらくはお父さんの浮気の証拠でもあるんであろう、あのポンチャック風歌謡曲、ものすごい安っぽい歌謡曲に乗せながら、まさしく「もう! もうっ!」って感じで(笑)、ぶつけどころのないフラストレーションを、文字通り地団駄を踏んで表わすという……これ、青春映画史上、意外とありそうでなかった、しかしおそらくこの年頃の子が、我々も含めて、かならずやる「あれ」を捉えた、非常に貴重なシーンであるとか。

あるいはその病院で、あのね、スーッとカーテンを引くと、おばちゃんたちがね、「あらあら、かわいいわね」なんて(笑)。そこかしこにちゃんとユーモアもあったりする、というあたりも非常に好ましいと思います。ちなみにボーイフレンドにプレゼントする曲、あのマロニエの『カクテル・ラブ』という94年のヒット曲は、この番組、韓国シティポップ特集でも流したので、「あっ!」と思ったリスナーの方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

ということでね、そのウニの耳の下のしこりの手術、親友やボーイフレンド、そして年下彼女との関係性の変化……この年代ならではの、本当に寄る辺ない移り変わり。このあたり、たしかにね、『わたしたち』という、あのイ・チャンドンプロデュースの映画がありましたけども、あれもたしかに彷彿とさせるところがありました。あるいは、その家族とかね、ヨンジとの関係の変化……というか、見方の変化というかね、などが、巧みな構成で並行して語られていくという感じ。

という流れの中で、第三幕に入っていきなり、1994年……これまで「1994年」っていうざっくりした設定だったのが、いきなり「 1994年10月21日」っていう字幕が出て、ドーンっていう不穏な音楽が流れる。まあ韓国の歴史に詳しくない我々日本の観客にも、明らかに、これから何か不吉なことが起こる予感が明確に……通学路の様子も、農家の垂れ幕が完全に破れていて。つまり、「ああ、時代がもう変わった」という感じがすごくするという。

で、何が起こるかは、ぜひ皆さん、ご自分で見ていただきたいんですが。とにかくキム・ボラさんはここ、1994年10月21日の事件に、韓国社会、ひとつの大きな節目っていうのを重ねて見せてるわけですよね。

■なんという監督、なんという作品が出てきてしまったのか!
ということで、1人の少女の目を通した、ごくごくミニマムな規模の話、まさに「この世界の片隅」から、最終的には大きな社会とか時代とか、あるいはさっきから言ってるようなですね、性差別的なシステムの問題、フェミニズム的なメッセージ……これはつまり、もちろん今の世界、そしてこの日本社会にも、残念ながらゴリゴリに当てはまってしまうようなメッセージ、というところまで照射してみせるという。

しかし、それをあくまで純映画的な語り口で、鮮やかに照射してみせる。全くもって、お見事!というほかない手際じゃないでしょうかね。特にそのお母さん、ということをひとつ取ってみてもですね、お母さんに呼びかけても返してくれない、お母さんが振り向いてくれない、他人のようなお母さん、という描写が重なり合ったところで、最後、そのお母さんが焼いてくれた……最初は冷めたチヂミを自分で食べてるだけでしたけど、お母さん焼き立てのホカホカのチヂミを食べているウニさんを、最後、お母さん、ここだけはお母さんの視点です。

ここだけはお母さんの視点で、おそらくは「あなたの世代はひょっとしたら……」という目線じゃないでしょうかね、あれはね。(母が子をついに)見返す。ここで僕はまた、なんという周到な構成、そして見事な演出、もうちょっと、震え上がりました。なんという監督が出てきてしまったのか。本当はショットのひとつひとつ、場面構成のひとつひとつ、音使いのひとつひとつを、じっくり分析して味わい尽くしたい。

というか、これはたぶんその余地がいくらでもある作品だと思います。おそろしい作家が出てきました、キム・ボラさん。そして作品が出てきてしまいました、『はちどり』。めちゃめちゃ人が入ってるのも当たり前というか、日本でも入ってるのは大変喜ばしいことだと思います。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『透明人間』です)

宇多丸、『はちどり』を語る!【映画評書き起こし】

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆7月10日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200710180000

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