TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』毎週土曜17時から放送中!
4月22日(土)放送後記
ゲストは、唐沢寿明さん。
最上階10階にある 『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』で東京湾を眺めながら、お話伺っています。
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要「今月のゲストは、俳優の唐沢寿明さんです。こんにちは。」
唐沢「こんにちは。芸能界の ”ご当地キューピー”、唐沢寿明です。」
近藤&要「「(爆笑)」」
要「唐沢さんは、”ご当地キューピー”だったんですね?!(笑)」
唐沢「そうそう。ちっちゃいし。一番手に入らないのは、ネジキューピーですね。」
要「詳しいですね(笑)集めてたんですか?!」
唐沢「一時期ね(笑)」
要「あははは(笑)キューピー集めてるイメージなかったですよ(笑)」
家出から始まった、俳優への道。
唐沢さんは、下町・東京都台東区育ち。
今でも、地元の友人とは交流が頻繁にあり、楽しい時間を過ごしてるのだとか
そんな地元と離れたのは、唐沢さんが17歳の頃でした。
家出をきっかけに、奥様と結婚するまでは実家に帰ったことはなかった、とのこと。
唐沢「家出少年で、ずっと新宿の歌舞伎町にいて。当時は、ディスコで500円払うと、夕方4時から翌朝4時までいられたのよ。飲み物も食べ物もあったからね。ただ、ある事件があってから24時までになっちゃったから、アクションクラブの人たちの家を点々として。
要「えー!壮絶だったんですね」
唐沢「撮影の合間には、撮影所の大道具さんとか衣装さんとかスタッフの手伝いをアルバイトでしていて、照明さんたちに『唐沢!学校行けー!』とか言われながら、可愛がってもらってた。でも、全然そういうのが嫌じゃなくて…自分では下積みだとは、決して思ってない。今でも。悲しいとか、悔しいとかも一切ないし。あの時期があったから、今があるからね?」

その後、20代で仕事の転機を迎えます。
ある舞台に出演していた中、大阪公演を終えた直後に、マネージャーから提案で、大阪NHKに挨拶をしに行かれ、ある演出家と出会います。
『五分刈りにできる?今はしなくて良いけど』と言われ、まだ役も決まってないにも関わらず、東京に戻った際に、すぐ五分刈りに!
唐沢「そしたら、それが受かって!朝ドラで、高校球児の役だったの。俺 25歳だったんだけど、『サバ読んでもなんでもやったるわ!』と思って。赤ちゃんの役だってできるよ!」
要「赤ちゃんは無理です(笑)」
唐沢「無理か(笑)」
五分刈りで合格した出演作は、連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』。
この作品は、後に奥様となる山口智子さんの初共演作となりました。

『観たいやつがいるなら、やるか。って』
俳優としてのキャリアを着実に積んでいった唐沢さんは、30代で、大河ドラマ「利家とまつ」(2002年)で主演を務められ40代に入り、テレビドラマ『白い巨塔』(2003年)でも主演を務められました。
唐沢「当時は、視聴率が良いとかで喜んで余裕もないほど撮影がしんどくって。振り返れば、そういう大変な経験をしたから、今があるんだな、としか思えないし。」
要「あの役は、今の時代だと演じられる人って居ないんじゃないかなぁ~…」
唐沢「俺があの役が決まった時、大酷評だったよ。撮影もしてないのに、無条件で叩かれたね(笑)なんか、最初に叩かれる作品ばっかり出てるんだよね~」
”なぜかアクション作品が多くなった” という50代。
そのきっかけは、映画『イン・ザ・ヒーロー』(2014年)に出演したことだった、とご自身で分析されます。
唐沢「50代になって、アクションなんか嫌だよ~って話していて。その時に、俺の50代のアクションを見たいか?ってマネージャーに聞いたら”私は観たいです” って言われたわけ。観たいやつがいるなら、じゃあやるか、って。」
要「唐沢さんは、現在59歳で、6月には60代をお迎えになると。どんな60代を過ごしていきたいですか?」
唐沢「穏やかに暮らしたいね。うん。かつての自分の最終目標が、”街を歩いていたら『あの人俳優じゃない?名前出てこないけど』って言われること” だったの。今のようになれる場所から出てきてないから、当時は、相当高い目標だよ。」
近藤「今や、街中で唐沢さん見かけたら、人だかりになっちゃいますよ」
唐沢「…顔が小さ過ぎて、気がつかれないんじゃない?」
要「どんだけ顔小さいんですか!(笑)」
近藤「60代、やりたいことなどありますか?」
唐沢「『フィクサー』が本当面白いんで、この後どうなんだろう…と。

4週にわたり、唐沢寿明さんにお話伺いました!
ありがとうございました。
