二代目藤舎名生さん

1941年、東京生まれ。藤舎流笛家元の藤舎秀蓬を父に持ち、41歳で二代目名生を襲名。

京都芸妓の笛指導に携わりながら、歌舞伎、舞踊、ジャズ、クラシックなど幅広く活動し、2019年に「長唄鳴物」の重要無形文化財保持者として人間国宝に個認定されました。2021年には旭日小綬章を受賞。

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出水:東京日本橋生まれですが、小さいころはどんなお子さんだったんですか?

藤舎:日本橋のことはよく覚えてる。間取りも。小さいうちだったけど。戦後で、裏がとんかつ屋で、窓からとんかつもらっておふくろが食べてたのを、子どもながらに覚えてる(笑) その頃から東京は水洗便所だった。

階段から落っこちたのも。いまだにここに傷がある。

JK:江戸っ子だったのね。

藤舎:僕、母乳を飲まなかったんですよ。粉ミルクに氷を混ぜないと飲まなかった。かき氷みたいに。

それで母親と近所の氷屋さんに行ったのも覚えてる。隣の隣が金魚屋さんで、入れ墨入れたおじちゃんが可愛がってくれて、しょっちゅう遊びに行った。そこで悪くなったかな(笑)

出水:その後滋賀県に疎開したそうですが?

藤舎:滋賀の大津ですね。母方の里なんですけど、昭和19年母の肩におんぶされて、国鉄で帰ったのを覚えてます。立ち席で座れなくて網棚で寝てた(笑)

JK:ハンモックみたい! 子どもなのによく覚えてるわね~!

藤舎:滋賀県に行って、戦後すぐに親父が返って来て、これも傑作な話なんですが・・・母親と大津駅に迎えに行ったら、2人とも顔を忘れてるんです。親父はガリガリだったのが、太って帰ってきたから。

「あんたは中川ナンチャラですか?」「あなたは中川ですか?」 母も太ったから、お互いにわからない。「何この人たち?」って思ったのを覚えてます(笑)その後すぐに笛を教えられた。

JK:お父さんは戦争でも笛を持っていった?

藤舎:持っていった。父島に行ってたんですけど、月夜のところで兵隊が「笛を吹いてくれ」って言いうから吹いたら、みんな泣きよるから困った、って(笑)

JK:へぇ~! でも笛は持ち運べるからいいわね。お三味線だと大きいし。

出水:お父さんの指導は厳しかったですか?

藤舎:全然厳しくなくて。

母親が笛をたしなんでいたので、東京にいた時にも口に当てることだけやってたんです。なんでこんなことやらされるんだろう、って思ってたんですけど、親父が帰って来て「笛を教える」って言われて、ふっと吹いたら音が鳴った。それですぐ長柄公園に連れていかれて、そこで音の鳴らし方を覚えて。でも1日だけ。「あとは自分で1人でやりなさい」って。

出水:ということは独学?

藤舎:独学です。

しばらくしたら長唄のテープを入れてきてもらって、真空管のテープレコーダーを買ってきて、それで古典を聞かされ、譜面をわたされて「これでお稽古しなさい」って。笛の音は入ってないんです。三味線と歌だけ。

JK:それが本当の教えじゃないですか? 自然ですよ。譜面を見てハイハイ、じゃなくて。

藤舎:逆ですね。

だからありがたいと思って。その自然がいまだに抜けない。「鞍馬に行こうか」って言うと、女房が「もう歳取ったから、足気躓いてコケたらアカン」って時々言うんです(笑)

JK:でも鞍馬で笛を吹くって神秘的ですね! ぴったり!

藤舎:すっごいいいんですよ! 五月満月祭では、鞍馬の信者さんたちがろうそくをもって夜の9時から始まるんですけど、笛を吹きながら首の後ろががーっと痛くなった。爪で掻かれたみたいに。家に帰って背中を見たら、女房が「3つ線がついてる」って。女房と「これは天狗じゃないか」って言ってたんですけど。

JK:うわっ、何それ! 天狗が下りてきたの?

藤舎:それ以降は義経の御霊が飾ってあるお堂で吹いてる。そうしないと音が透かない感じがしてね。山に行くと透き通るんだけど、しばらく下山してるとダメになる。それでまた山に行きたくなる。空気もいいしね。義経の笛も吹いたことがあるんです。静岡の鉄舟寺にあって、それをお借りして、義経祭の時に本堂で吹きました。

裸の破門からJAZZとの出会い~二代目藤舎名生さん

JK:名生さん、いろいろあったと思うけど、マサカもあるでしょう?

藤舎:まさか人間国宝になるとは思わなかった。

JK:それは運命でしょう! 運命というか、使命というか。ずーっとこの世界でやってきて、日本にとって大切な存在だから。

藤舎:これからどうやっていくかと考えているんですが、なかなか出てこなくてね。もっともっと澄んだ音にしていかないと。こないだレコード屋さんに行ってふっと昔のJAZZを聴いたら、いいですね~50年代のJAZZ。

JK:アートブレーキーとかね! フィーリングはあってるわね。

藤舎:これも即興だしね。家で聴き直したら、笛を持ち出して一緒に吹いたりして(笑)女房が「何してんの、昔に戻ってるの?」って(笑)

出水:これまでにもピアノの山下洋輔さんやトランペットの日野照正さんなどJAZZのセッションをなさっていますよね。

藤舎:ある時期「創作邦楽」という会で会ったんですけど、みんな紋付袴で来てるのに僕1人だけ上半身裸で、下はズボンでソロを吹いたんです。それで破門になったんですけど(^^;)その時唯一褒めてくれたのが朝倉摂さん。「よかったわぁ~、笛を吹いてる姿と筋肉が動いているようすがすごいきれいだったわ、着物なんかいらない」って。

JK:あら、さすがアーティストですね!

藤舎:そう言ってくれたのに、古い先生方は「こいつはダメだ」って3年間クビ(笑) その時、赤坂の「ミカド」で沢井忠夫がJAZZ琴を弾いてたんですよ。1回見に行ってすごいなぁと思ったら、「一緒にやらない?」って言ってくれて。そしたらドラマーの猪俣武が入って、毎月ミカドでいろんな曲をやらされて。すっごいお給料をもらってびっくりしちゃった。当時1ステージで1万円くれたんですよ。

JK:今でいうとどのぐらい?

藤舎:当時サラリーマンの給料が月2万円ぐらい。それを聞いた渡辺美佐さんが「うちのプロダクションに入ってくれ」って。でも先生に「君は古典の道に行くんだから、やめろ」って。

JK:あそこに入ってたらまた全然違って面白かったかもね! これからやってみたいことは? まだまだあるでしょ?

藤舎:ありますね。まずソロで吹く曲を完成させることです。僕はわりあい強い笛が多いので、その印象が残っているから、逆に弱くて耳を澄ませるような曲を1人で吹きたいなと。それから勘九郎さんなどを呼んで、「船弁慶」を息子とやりたいなと。

JK:いいと思います! ぜひ聴きたい!

藤舎:山の中でリサイタルできたらいいんですよね。昔黒谷で夜中にみんなで集まって、笛を吹いたことがあるんです。冨田さんとか、武満徹さんとか、今思えばすごい人たちが集まって、ジャンルの違う人たちとお会いて、おしゃべりして。

JK:あったわね~。みんなアーティスト! よく集まったわね。またやる気になればできる! みんな元気じゃなきゃだめだけど(笑)

裸の破門からJAZZとの出会い~二代目藤舎名生さん