JR両国駅には、中央線・総武線各駅停車が発着する1、2番線ホームに加え、「幻のホーム」といわれる3番線ホームが存在します。普段使われていないこのホームがある背景には、両国国技館の誕生も関係していました。

かつては房総行き列車のターミナルだった

 大相撲の興行施設として有名な国技館が近くにある、JR総武本線の両国駅(東京都墨田区)。通常は中央本線の三鷹駅(東京都三鷹市)と総武本線の千葉駅を結ぶ中央・総武線各駅停車の電車のみが通っており、両国駅では高架の1、2番線ホームを発着しています。

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「幻のホーム」と呼ばれるJR両国駅3番線ホーム(2017年12月、恵 知仁撮影)。

 ただ、JR両国駅のホームはこれだけではありません。1、2番線ホームの北側にもうひとつ、3番線ホームがあります。ただ、このホームはほとんど使われておらず、通常はコンコースにつながっている階段も閉鎖。そのため「幻のホーム」と呼ばれています。

 両国駅はかつて、上野駅や新宿駅などと同じ東京のターミナル駅でした。「幻のホーム」は、その名残です。

 両国駅は、いまから115年前の1904(明治37)年4月に開業。当初の駅名は「両国橋」でしたが、1931(昭和6)年に現在の駅名に改められました。

 これより前、1894(明治27)年から1897(明治30)年にかけ、総武鉄道という私鉄が本所(現在の錦糸町)駅から千葉県北東部の銚子駅までを結ぶ区間を開業しました。

ただ、起点の本所駅は東京の都心から離れていて不便でした。

 そこで総武鉄道は、本所駅から西の秋葉原へ延伸して都心に乗り入れる計画を立てましたが、途中に幅200m以上の隅田川があり、対岸も人家が密集しているなど工事の困難が予想されたため、隅田川の手前にターミナル駅を建設することにしました。これが両国橋駅です。ここから都心へは路面電車でアクセスできました。

 旅客用のホームはふたつ(のちの3~6番線ホーム)設置。その西端に駅舎が設けられました。隅田川の船運と貨物列車の接続地点にもなり、旅客用ホームの北側には貨物の積み卸しを行うための線路が多数設置されました。

混雑緩和のため駅のスペースを縮小

 その後、総武鉄道は国有化されて国鉄の総武本線に。1932(昭和7)年には、両国駅から隅田川を渡って中央本線の御茶ノ水駅まで延伸されました。ただ、従来のホームの御茶ノ水寄りは駅舎で遮られていて延伸できないため、南側に現在の1、2番線ホームを高架構造で新設しています。

JR両国駅「幻のホーム」はなぜ生まれた? ターミナルの痕跡、いまはイベント会場に

1、2番線ホームから3番線ホームを望む(2019年2月、草町義和撮影)。

 1933(昭和8)年以降は両国~千葉間も電化され、中央線と総武線を直通する電車の運転が始まっています。

両国駅は中央・総武線の電車と房総方面に向かう列車の乗り換え地点になり、ターミナルとして発展していきました。

 戦後、国鉄は総武本線の旅客輸送力を強化することにし、東京駅と錦糸町駅を結ぶ地下新線の建設と、錦糸町~千葉間の複々線化を計画しました。経済成長に伴って総武線の利用者が増え、混雑が激しくなったためです。

 こうして地下新線の工事が始まり、1970(昭和45)年に両国発着の貨物列車が廃止されました。両国駅の北側にあった6番線や貨物設備を撤去して、地下新線のトンネル出入口付近の建設スペースを確保するためでした。

 1972(昭和47)年には地下新線が開業。さらに錦糸町~千葉間の複々線化も1981(昭和56)年までに完成し、旅客列車をたくさん走らせることができるようになりました。総武線各駅停車の混雑率(平井→亀戸間)は、地下新線開業前の1971(昭和46)年度が268%だったのに対し、1972(昭和47)年度は223%に低下しています。

 一方で地下新線の開業に伴い、東京と房総を結ぶ列車の多くは東京駅を発着するようになりました。1982(昭和57)年には両国発着の急行列車がなくなり、両国発着の特急列車も1988(昭和63)年に消滅。毎日運転の旅客列車は1、2番線ホームに停車する中央線・総武線各駅停車の電車だけになり、それ以外のホームや線路はほとんど撤去され、3番線ホームと一部の線路だけが残されました。

ターミナルの座を捨てて利用者が増加

 3番線ホームが残ったのは、新聞の夕刊を房総方面に運ぶ列車が両国駅を引き続き発着していたためです。

房総エリアは道路事情が悪かったため、鉄道を使って運ぶほうが効率的でした。しかし、館山道の全通(2007年)などで房総エリアの道路事情が改善すると、新聞輸送も鉄道からトラックにシフト。2010(平成22)年には新聞輸送列車が廃止され、ついに3番線ホームから定期運転の営業列車の姿が消えたのです。

JR両国駅「幻のホーム」はなぜ生まれた? ターミナルの痕跡、いまはイベント会場に

イベントスペースとして使われたときの3番線ホーム(2019年1月、草町義和撮影)。

 これ以降、3番線ホームはほとんど使われなくなりました。運用の都合で回送列車が入るほかは、自転車を解体せずにそのまま持ち込めるサイクルトレイン「B.B.BASE」など、臨時列車や団体列車が、時々乗り入れるくらいになっています。

 こうして両国駅はターミナルの座を追われましたが、両国駅の縮小によって生まれた敷地には、蔵前国技館(東京都台東区)に代わる施設として新しい国技館が建設され、大相撲観戦を目的に両国駅を利用する人が多くなりました。

 東京都の統計資料によると、両国駅の1日平均の乗車人員は1968(昭和43)年度の4万5838人をピークに減少しましたが、両国に国技館が完成した1984(昭和59)年度以降は再び増加。2000(平成12)年には都営大江戸線の両国駅が開業し、JRと都営の両駅を含めた人数は約5万5000人になりました。ターミナルとしての地位を捨てたことで国技館の建設用地が捻出され、「ターミナル時代」以上に発展したといえるかもしれません。

 ちなみに、JR東日本はレトロ調の駅名標を設置するなどして3番線ホームをリニューアル。列車の運転がない日を中心に、3番線ホームをイベントスペースとして貸し出しています。

最近では、全国の地酒とおでんを楽しむイベント(2019年1月)や、プラレールの60周年記念式典(2月8日)が行われました。

※一部誤字を修正しました(3月8日17時30分)。

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