連載「斎藤佑樹野球の旅~ハンカチ王子の告白」第17回

 2006年、夏の甲子園。決勝は夏3連覇を懸けた駒大苫小牧と夏の初優勝を目指す早実の対戦となった。

1回表、駒大苫小牧の攻撃はツーアウト2塁で、4番の本間篤史。早実の斎藤佑樹は初球、2球目と続けてアウトコースへスライダーを投げた。

斎藤佑樹が「野球の神様」の存在を信じた伝説の甲子園決勝。駒苫...の画像はこちら >>

早実・斎藤佑樹の好投もあり駒大苫小牧との決勝戦は引き分け再試合となった

打球が上がった瞬間「まずい」

 あの時、僕がスライダーを続けたのには理由がありました。本間くんと初めて対戦した高2の秋、明治神宮大会の準決勝で、レフトスタンドへホームランを打たれたんです。その時は第1打席、第2打席と続けて三振を取っていたのに、3打席目の初球、インハイへのストレートをフルスイングしてきました。

 普通、三振、三振となれば、次の打席は当てにきてもおかしくないのに、大胆に思いきり振ってきた。ヤマを張られたか、あるいはクセが出てるのかなと思いました。

 だから夏の決勝でも、本間くんに対しては慎重になりました。第1打席の初球、アウトローにスライダーを投げてワンボール。2球目、キャッチャーの白川(英聖)は真っすぐのサインを出してきました。でも僕は早いカウントでストレートを投げるのは避けたかったので、首を振ってアウトコースにスライダーを続けました。その球が少し高く浮いたところをきっちり捉えられてしまいます。右方向へ打球が上がった瞬間、『まずい、行った』と思いました。

 ところが、突然吹いた強い風に打球が押し戻されて、右中間深いところでセンターの川西(啓介)が追いついてくれたんです。あれ、風に助けられていなかったら間違いなくホームランになっていたはずです。「あぁ、野球の神様が風を吹かせてくれたんだな」と思いました。

 僕は野球の神様の存在を信じています。ただ、野球人生におけるトータルでの野球の神様はいると思っていますが、試合に勝たせてくれるとか、だから負けてしまうとか、そういうところに野球の神様は関わらないと思っています。

 いろんなことに苦しんできたり、頑張ってきたことを野球の神様は見てくれている......僕にとっての野球の神様は心優しくて、フワフワした感じの男の人です。

そして、野球は一度もしたことはない。野球の神様だけど、野球を見ているわけではなく、野球をする人間を見ている。

 だから、すごく甘いコースにいっても打たれないとか、めちゃめちゃ厳しいところにいったのに打たれたりとか、あの時みたいに打たれたけど風を吹かせてくれるとか、野球ではなかなか起こり得ないことを平気で演出する。

 それは野球の神様が野球ではなく、人間を見ているからだと思います。僕は、自分がいいと思った信念がぶれないよう、結果に関係なく、我慢してやり続けることが大事だと信じたい。そうすれば、野球の神様が味方してくれると思っているんです。

1−1のまま延長戦に突入

 初回をゼロで抑えたことで、2回以降、僕はリズムをつかみました。フォアボールこそ出してしまいますが、ヒットは打たれません。4回、フォアボールで歩かせた本間くんに二盗、三盗を決められてピンチを背負いますが、5番の鷲谷(修也)くんをスライダーで、6番のマー君(田中将大)をフォークで三振に抑えました。

 あの試合では狙って三振がとれていました。ワンストライクをこの球でとって、ツーストライクはこの球で、最後、三振はこの球で取ろうというイメージがハッキリできあがっていた。それだけマウンドで自信があったんだと思います。

 駒大苫小牧の先発は2年生の菊地(翔太)くんで、マー君は3回の途中、ワンアウト1、2塁の場面で出てきました。

ここは小柳(竜巳)、檜垣(皓次郎)が続けて三振を喫して点をとることはできませんでしたが、正直、2年秋の明治神宮大会のイメージからするとマー君の調子はいまひとつだったと思います。それでも「ここぞ!」というところではギアを一段も二段も上げてきますから、早実もなかなか点を奪うことができません。

 0−0のまま、8回表を迎えました。僕はここまで1安打ピッチングを続けていたんですが、ワンアウトから2番の三木(悠也)くんに痛恨の一発を打たれてしまいます。初球、外角を狙ったストレートが真ん中に吸い込まれてしまいました。三木くんはこの球を見逃してはくれません。

高々と舞い上がった打球はセンターのバックスクリーンに飛び込むホームランとなって、均衡が破れます。

 1−0で勝つつもりで絶対に与えないと誓っていた1点を、逆に駒大苫小牧に与えてしまいました。ずっとゼロゼロが続いていたところに打たれたホームランですから『うわっ、これはヤバい』と、あの時はかなり落ち込みました。

 ところが不思議なもので、あんなに欲しかった1点が点を取られた直後に入ります。檜垣がツーベースを打って、レフトの中継ミスの間に3塁を陥れます。この檜垣の走塁は大きかった......ワンアウトでランナー2塁と3塁じゃ、全然、違いますからね。続く後藤(貴司)がセンターへきっちり犠牲フライを打って、1−1の同点に追いつきます。試合はそのまま延長に入りました。

スクイズを見破った冷静な判断

 ピンチを背負ったのは11回表です。ヒットとデッドボールのランナーをバントで送られて、6番のマー君を歩かせました。ワンアウト満塁となって、7番は途中からレフトの守備に入っていた岡川(直樹)くんです。

 カウントが1−1となった3球目でした。3塁ランナーが走って、岡川くんがバントの構えを見せます。ここで僕はスライダーをわざとワンバウンドさせました。キャッチャーの白川がワンバウンドのボールを胸に当てて、前に落とします。すかさず3塁へ投げて、タッチアウト......その後も抑えて、僕らはピンチを凌ぎました。

 あの場面、スクイズを外すのに高くウエストするんじゃなくてワンバウンドさせたことに驚かされたとあちこちで言ってもらいましたが、僕にしてみればそんなに驚くほどのことじゃないという一球でした。右ピッチャーですから3塁ランナーは視界に入ってきますし、僕は三振を狙うイメージでスライダーをワンバウンドさせただけです。それを白川が止めるのもわかっていましたし、あれは僕らからすればいつもどおりのピッチングでした。

 結局、この試合は1−1の引き分けに終わります。15回表のツーアウトから4番の本間くんを三振......あの三振で、行ったり来たりしていた風向きが一気にこちらに向いた気がしました。

 初球、ボール球でしたが147キロが出て、スタンドがワーッと沸きます。スリーボールになってからひとつストライクを取っただけで、またワーッと沸いてくれる。その次も真っすぐを投げてストライクがコールされると、もう、どよめきと拍手喝采です。これは、こちらに追い風が吹き始めたなと思いました。

 本間くんに対して初球からストレート、ストレート、ストレートで押していって、フルカウントからの6球目、投げる前から手拍子が響き渡る異様な雰囲気になったその瞬間、僕は「ここはフォークだ」と思いました。そうしたら白川も、あの流れだったら絶対にストレートのサインを出すはずなのに、スパッとフォークのサインを出してきた。「おお、すごい」と思いましたね。

 もし僕が首を振ってからフォークを投げたとしたら、本間くんに配球を読まれていたと思うんです。でも、首を振らずにフォークを投げられた。あの最後の空振り三振は、僕に最後のピースとなる自信を与えてくれましたね。

 最近、本間くんと話をする機会があったんですが、彼はインコースをめちゃくちゃ意識させられたと言うんです。でも、それがすごく不思議で、僕はアウトコースへ丁寧にストレートとスライダーを投げたという印象なんです。

 あれは延長11回だったかな......インコースを狙って投げたストレートが本間くんに当たってしまいました。明治神宮大会の時にインハイの真っすぐを投げてホームランを打たれていたので、インコースは得意なんだろうと思っていたんですが、一球は見せておかなきゃと投げた真っすぐがデッドボールになった。

 結果的には、彼が得意だと思っていたインコースへリスク覚悟であえて突っ込んだことによって、本間くんがその後、踏み込んでこられなくなったとしたら、ピッチングには勇気が必要だということになりますよね。インコースへ投げたデッドボールと、フルカウントからフォークを投げたこの2球が、駒大苫小牧の4番を迷わせたんだと思います。この自信は、確実に再試合につながっていましたね。

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 思えば西東京大会の初戦、都昭和に3−2で勝って始まった早実の夏は、薄氷の勝利の連続だった。それが王者・駒苫との決勝を引き分け再試合にまで持ち込んで、選手たちに満足感が漂うのも無理からぬほどの快進撃だった。しかし、そうは考えない男がいた。早実の監督、和泉実である。和泉監督は再試合を前に選手たちを集めて、厳しい言葉を浴びせかける──。

(次回へ続く)