斎藤佑樹×杉谷拳士 スペシャル対談(前編)

 今シーズン限りで現役を引退した北海道日本ハムファイターズの杉谷拳士。チーム屈指の人気者の突然の引退発表に驚いた人も多かったに違いない。

どのような思いで決断に至ったのか? そしてこれから目指すべきものは? 元ファイターズのチームメイトであり杉谷が兄のように慕う斎藤佑樹にすべてを明かした。

杉谷拳士が栗山英樹監督からの言葉に号泣。斎藤佑樹に「現役引退...の画像はこちら >>

斎藤佑樹(写真左)を兄のように慕う杉谷拳士

最初に報告した人は?

斎藤 まず「前進会見」お疲れ様でした! 今の心境はどんな感じ?

杉谷 ひと言で言ったら、ホッとしている自分がいます。

斎藤 それはやっぱり、野球をここまで頑張ってきたということだよね。

杉谷 そうですね。野球をここまで頑張ってきたというのと、まずは本当に一区切りという感じでホッとしています。人生これからって皆さん言っていましたけど、そのとおりだと思っています。

斎藤 引退を決めた時、どんな経緯で決断に至ったの? 

杉谷 体のこと、ファイターズのこと、なにより自分の将来のことを考えたらこのタイミングがベストなのかなと。

それでシーズンが終わって、いろんな方に相談させてもらいました。佑樹さんもそうですし、栗山(英樹/元日本ハム監督、現・侍ジャパン監督)さん、吉村(浩/現・球団本部長)さんなど、たくさんの方に素敵なお言葉をいただきながら、自分の決断に迷いはないか、ミスはないか、いろんなことを踏まえて決断に至りました。

斎藤 なんとなく話は聞いていたけど、引退を決断して初めに報告した人は?

杉谷 栗山さんです。

斎藤 どのようにして伝えたの?

杉谷 伝えたというよりは、「今こういうことを思っています」と。栗山監督からは「やり残したことはないですか?」と聞かれて、「ありません」と。そうしたら「拳士、そんなの最初から決まっていたことじゃないか。

これからはできることをサポートするし、これまで関わってきた人たちは絶対財産になる。それに拳士らしいところは忘れたらダメだよ」って。

斎藤 僕も栗山さんの言葉に背中を押してもらったし、何度も励まされた。本当に栗山さんに出会えてよかったよね。

杉谷 今まで栗山監督に言われた「とにかく、前を向きなさい」「前に進んでるよ、拳士」って言葉が頭の中を駆けめぐって、「よしっ! 今からまた前へ進まないと」と思って電話を切った時には、号泣していました(笑)。

寡黙な父からの「お疲れさま」

斎藤 ご両親には?

杉谷 まず母に連絡をして「小学校から野球を始めて24年。今までありがとうございました。

やめます」と言ったら、父親も近くにいたみたいで、「よく頑張ったな。お疲れさま」と。普段は寡黙で何も言わない父親からの言葉にびっくりして......あとのことは何も覚えていない(笑)。

斎藤 お父さんはどういう気持ちでその言葉を言ったと思う?

杉谷 父親には「勝負事は常に一番でいなさい」と言われていて、マラソン大会とかでも2番、3番だったら口も聞いてもらえないほどでした。とくにスポーツに関しては厳しく育てられましたね。だから、やめるって言った時は、寂しい気持ちのほうが強かったんじゃないかなって思いますね。

斎藤 プロ野球人生のなかで、一番って決めづらいと思うんだけど、記憶に残っているシーンは?

杉谷 ほんとにいろんなシーンが蘇ってくるのですが、プロ野球人生を振り返ると打席のなかで骨折したというのが一番記憶に残っています。有鈎骨の骨折だったんですが、振った瞬間「ボキッ」という音がして。手を見たら震えていたので、「これが噂の有鈎骨骨折か......」と。

斎藤 ピッチャーは誰だったの?

杉谷 楽天の釜田(佳直/当時)です。ちょっと抜けた高めのカットボールで、フルスイングしたら「ボキッ」と。あの音は今でも忘れないですね。

斎藤 プロの世界でやっていけると思った瞬間は?

杉谷 初ヒット(2011年7月2日)を打った時かもしれないですね。小さい頃から見に行っていた西武ドームで、涌井(秀章)さんからレフト前に打ったんですけど、「いつかこういうところでプレーできる選手になりたい」というのが原点というか、プロを目指したきっかけだったのでうれしかったですね。「よしっ、ここからだ!」という気持ちになりました。

斎藤 その時の感触って覚えてる?

杉谷 覚えてます。インコースのボール気味の球だったのですが、おっつけながら三遊間に打って。やっとプロ野球生活が始まったなと。

杉谷拳士が栗山英樹監督からの言葉に号泣。斎藤佑樹に「現役引退までの経緯と葛藤」を明かした

ムードメーカーとしてチームを支え続けた杉谷拳士

ファームで過ごした貴重な時間

斎藤 プロ3年目で初ヒットを打ったわけだけど、それまでは二軍でずっと頑張ってきたわけじゃない。ファームでやっていた時って、振り返ればどんな時間だった?

杉谷 僕のなかでは、当時コーチだった三木(肇)さんと過ごした時間というのが基礎になっているというか、土台になっています。野球の技術はもちろんですが、人との接し方だったり、生活面だったり、プロ野球選手としてのあり方を教えてもらいました。

斎藤 僕も吉井(理人)さんにいろいろと教えてもらって、それがすべて身になっているんだけど、三木さんから教えてもらったことは、次のステージでどう生かされると思う?

杉谷 プロに入った時、正直「よっしゃ、これからガンガン行くぞ!」という感じだったんですが、まず段階を踏まないことには一軍でもプレーできない。そういうことを三木さんからは教えられた気がします。これから新たな目標が出てくると思うのですが、ひとつずつクリアして、最終的にそこにたどり着ければいいかなと。

斎藤 拳士と一緒にやってきて、ほんとにすばらしい人柄だと思う。それってどこから来てるの?

杉谷 小さい頃、母親には「やりたいことやらせてあげるから、チャレンジしなさい」って言われて、水泳やサッカー、公文などいろいろやらせてもらったんです。「その代わり、やるからには責任を持ちなさい」と。いいことも悪いこともそこから学べたと思いますし、チャレンジしないことには何も始まらない。そういう経験が、今にすごくつながっているのではないかと思っています。

斎藤 お母さんの影響が一番大きい?

杉谷 大きいと思います。

斎藤 とにかく元気を出して、どんな時もそうだったじゃない。それってなかなかできることではないと思うんだよね。誰だって苦しい時はあるのに、それでも拳士はいつも元気でチームを何度も救ってくれた。それって自然にできていたのか、それともそういうことを大事にしていたのか。どっちなんだろう?

杉谷 ベンチで声を出したり、チームを勇気づけたり、それって小さい時から自分に対しての鼓舞でもありました。「野球って楽しい」ってところから始まったので、その気持ちだけはやめるまで持ち続けようと。

斎藤 そういうことって、頭で理解していても簡単にできることじゃないよね。

杉谷 自分のミスによっていっぱい迷惑をかけましたし、チームメイトには本当に申し訳ないという気持ちはありましたけど、じゃあそのまま下を向けて野球をやるのか、それともカラ元気でもいいから前を向いてやるのか......。それだけでも周りの印象ってすごく変わってくるなと思ってやっていました。

斎藤 僕も二軍にいた時間が長くて、拳士が一軍から鎌ヶ谷に来た時にすごく元気を出してたよね。その姿を見た二軍監督の原田(豊)さんが「みんな杉谷を見習ってほしい」って言っていて。みんながああなってくれたら絶対に強くなると。だから「本当は一軍に行ってほしいんだけど、ずっと二軍にいてほしい(笑)」と。

杉谷 プロである以上、一軍の試合に出たいという気持ちは強いですし、いつまでもここにいてはダメだという思いはありました。ただ、次への一歩目は新しい気持ちでスタートしなきゃと思っていたので、そう言っていただけのはすごくありがたいですね。

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斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実業3年時の2006年、夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。引退後の12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる

杉谷拳士(すぎや・けんし)/1991年2月4日、東京都生まれ。帝京高1年夏からレギュラーとして甲子園に出場し、3年では主将を務めた。2008年ドラフト6位で日本ハムに入団。2年目にイースタンリーグで133安打を放ち、シーズン安打記録を樹立(当時)。2019年には史上4[SHUEISHA 1]人目の両打席本塁打をマーク。スイッチヒッターだけでなく、内外野どこでも守れるユーティリティプレーヤーとして存在感を発揮。しかし、2021、22年は打撃不振に陥り、今シーズン限りで現役引退を表明した