斎藤佑樹×香西宏昭 新春スペシャル同級生対談(後編)

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スポーツ界の未来について語り合う斎藤佑樹(写真左)と香西宏昭

【大学は人間としての成長の場】

斎藤 香西選手は、高校を卒業してアメリカのイリノイ大学へ進学されていますけど、ほかにもバスケが強い国があるなかで、アメリカを選んだ理由はなんですか?

香西 日本ではまだまだ障害が理由で、健常者と同じ機会が得られないことが多いんです。僕がアメリカに留学したのも、たとえば部活のように学びながら同年代とバスケができる環境が日本にはなかったからなんですよ。

斎藤 そうなんだ......。

香西 アメリカの車いすバスケは全部で8つぐらいにディビジョンが分かれているんです。10歳以下の子どもたち、中学生くらいがジュニア、高校には1と2があって、大学、社会人で3部ぐらいに分かれています。大学には男女別のリーグもあります。日本のアマチュア野球みたいな感じと言ったらわかりやすいですかね。

斎藤 それはすごいですね!

香西 車いすバスケにも、子どもの頃から同年代の選手とプレーして切磋琢磨できる環境がちゃんとあるんです。そういう環境があるのって世界中探してもアメリカだけなんですよ。

斎藤 日本ではできなかったんですね。

香西 今は若い選手たちも増えましたけど、部活があるわけでもなく、日常的な活動にはなっていません。斎藤さんが、プロ入りしないで大学に進学したのはどうしてなんですか?

斎藤 最初から僕は大学に行きたかったんです。中学3年生の時に、鳥谷敬さんとか青木宣親さんが出ている早慶戦を見に行って、早稲田のユニフォームを着て、神宮の早慶戦で投げることが夢になりました。そのために高校も早実に入りましたから。

香西 あのユニフォーム、カッコいいですよね。

斎藤 プロ野球を引退してこの1年であらためて思うのは、4年間大学に行って本当によかったなということです。いろんな人たちと出会えて、そのご縁が今の僕にとってすばらしいものになっているんです。もし当時に戻ってもう一度選べと言われても、早稲田大学進学を選ぶと思います。

香西 大学で学ぶのはスポーツだけじゃないですもんね。NCAA(National Collegiate Athletic Association)はルールが厳しくて、勉強とスポーツを両立させなきゃいけない。勉強の成績が悪いと、いくらチームに必要な選手でもバスケができなくなっちゃうんです。

僕は勉強が苦手で、一番簡単な専攻科目を選んでいつもギリギリでしたけど(笑)、なんとか卒業できたことがうれしかったし、自信にもなりました。

斎藤 アメリカでは大学スポーツの人気はすごいんでしょう?

香西 日本で高校野球にファンが多いのと同じように、アメリカでは大学スポーツは人気がありますね。観客も満員になるし、応援も熱狂的です。一般の学生から地元のおじさんまで、ふだんから大学のTシャツを着て街を歩いていますから。

斎藤 いいなぁ、アメリカの大学スポーツを経験しているってすごくうらやましい。日本も大学野球をはじめ大学スポーツがもっと盛り上がってもいいのにと思うんです。

そのためのヒントやノウハウがアメリカにはたくさんあると思います。

【野球場をつくる夢】

斎藤 どんなアスリートだってみんな歳をとっていくから、どこかで身体が動かないと思う時がくるわけですよね。

香西 僕はまさに今、やっぱりちょっとずつ感じています。疲れが抜けにくくなってきたとか。

斎藤 僕は引退してから、長く現役をやれているアスリートの方は、そこでどう対応しているのかっていうところに興味が出てきたんです。

香西 僕の場合は、トレーナーさんに新しいトレーニングを入れてもらうとか、自分の身体を知るためのデータを採るとか、自分の身体に対する新しい知識を得るとか、積極的になりました。

障害者アスリートって健常者アスリートに比べて、科学的に解明されていないところがまだまだ多いんだそうです。

斎藤 たとえばどんなところですか?

香西 栄養士としてご指導いただいている大学の先生の調査によると、車いすスポーツは座ってプレーするので、太腿やふくらはぎの大きな筋肉をあまり使っていない。だから激しい運動をしていても消費カロリーが少ないらしいんです。体重を維持するためには、どんなに運動をしても食事は腹7分目から8分目に止めておかないといけないというようなことがデータとして出てきました。

斎藤 興味深い話ですね。そういったデータを活用しながらやると、車いすバスケは何歳くらいまで現役でプレーできるものなんですか?

斎藤佑樹×車いすバスケ香西宏昭が思い描くスポーツ界の未来「もう野球だけやりなさいは流行らない」

 

香西 今の日本代表の最年長が39歳の藤本怜央選手でまだバリバリです。
車いすスポーツは一般のスポーツと比較して、長くプレーできると思います。

斎藤 同世代が頑張ってくれているのがすごくうれしいと感じるんですよ。

香西 僕ももうちょっと、とりあえずパリぐらいまではやりますよ。

斎藤 2024年。

香西 そうですね。今年はパリの前に出場権をかけた予選があるので、まずはそこに向けて心技体のピークをつくろうと思っています。

斎藤 現役を引退したあと、何かやりたいことはあるんですか?

香西 僕は車いすバスケを次世代につなげていく活動をやっていきたいなって思っています。

斎藤 具体的なアイデアはあるんですか?

香西 僕はバスケを始めて1年目、13歳の時に『Jキャンプ』というNPO法人がやっている車いすバスケキャンプに参加したんです。そこで講師をしてくれた当時イリノイ大学のヘッドコーチだったマイク・フログリーさんと出会って、自分の人生に多くの可能性と選択肢があることを教えてもらいました。それでイリノイ大学へ進学して、プロ選手になって日本代表にもなったんです。だから今度は僕が、日本でそんな新しい場や機会をつくっていきたいなって思ったんです。

斎藤 すばらしいですね。僕は引退してから「野球未来づくり」をビジョンに掲げて活動しているんです。子どもたちだけじゃなくて、野球に携わっている人たちがみんなで楽しく、「野球っていいスポーツだよね」って言い合えるような未来をつくりたいなって。一番の夢は、野球場をつくることなんです。その周りにテニスや車いすバスケやいろいろな施設があって、みんなが同じ場所で一緒に楽しめる......。

香西 最高、いいですね!

斎藤 今日は野球をやろう、明日はバスケをやろう、でいいなと思って。今は「野球だけやりなさい!」なんて、もう流行らないと思うんです。多様性を認めると、選択肢が広がりますよね。そんな球場をつくることが僕の夢です。バスケットコートもつくるので、ぜひ一緒にやりましょう!

香西 やります、やります!

おわり

構成・文●市川光治(光スタジオ)

撮影・文●名古桂士、伊藤真吾(X-1)

斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日生まれ。群馬県出身。早稲田実業高のエースとして、2006年夏の甲子園において「ハンカチ王子」フィーバーを巻き起こし、全国制覇。早稲田大進学後も東京六大学リーグで活躍し、2010年にドラフト1位指名で北海道日本ハムファイターズに入団。1年目から6勝を上げ、2年目は開幕投手も務めた。ケガに悩まされて2021年シーズンで引退。株式会社斎藤佑樹を立ち上げて、野球の未来づくりにつながるさまざまな活動を開始した。

香西宏昭(こうざい・ひろあき)/1988年7月14日生まれ。千葉県出身。NO EXCUSE所属。小6で車いすバスケを始める。高校生の時に千葉ホークスの中心選手として日本選手権で優勝し、卒業後に渡米。イリノイ大学では2年連続全米大学リーグシーズンMVPを受賞。卒業後はドイツでプロ選手のキャリアを重ね、昨シーズンはドイツリーグ優勝。パラリンピックは4大会連続出場。東京大会は3ポイント成功数、成功率ともに1位で銀メダル獲得に貢献。昨年から拠点を日本に移して活動開始。