谷佳知インタビュー(後編)

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 1996年のドラフトでオリックスを逆指名してプロの世界に飛び込んだ谷佳知氏。プロ入り後も順調にキャリアを重ね、盗塁王、シーズン最多安打のタイトルを獲得するなど、球界を代表する選手となった。

しかし2004年の球界再編に伴い、オリックスが近鉄を吸収合併。その後、巨人へトレード移籍するなど、順風満帆に見えた野球人生は風雲急を告げることになる。

谷佳知が「近鉄との合併はみんな嫌だった」と振り返る04年球界...の画像はこちら >>

【吸収合併で迎えた暗黒時代】

── イチローさんが2000年シーズンを最後にメジャーに行き、その後、オリックスの監督は次々と代わっていきました。2001年から6年連続Bクラスと、言わば「暗黒時代」に突入。野球の方向性も変わりますし、選手も落ち着いてプレーできなかったのではないですか?

 本当につらかったです。毎年監督が代わるので、それに伴いコーチも代わる。当然、違うことを言われるので、何を信じていいのかわからなくなりました。

みんな迷っていたと思います。

── 2004年は、いわゆる「球界再編」騒動が勃発し、05年にオリックスが近鉄を吸収合併して「オリックス・バファローズ」になりました。その時の心境は?

 正直、チームメイトはみんな「嫌だ」と言っていました。近鉄から27人が加入し、オリックスから13人が楽天に移籍しました。10人ぐらいの加入ならまだしも、27人というと、チームの半分弱です。それまでの対戦相手が突然味方になるわけですから......チームの母体はオリックスなのですが、オリックスじゃないような感じがして、とても戸惑いましたね。

── 2006年オフ、トレードを通告された時の心境は?

 2004年のアテネ五輪で右足を故障して、芳しくない状態が2年ほど続いていました。それでも原辰徳監督は僕をほしがってくれたようで、(鴨志田貴司、長田昌浩との)交換トレードになりました。もともと父が巨人ファンだったので、僕も巨人ファン。むしろ、喜んで移籍しました。巨人では原監督が現役時代につけていた"背番号8"をいただきました。

── これまで大物選手が何人も巨人に移籍しましたが、ファンの大きな期待もありプレッシャーに悩まされる方もいました。

しかし谷さんは、2007年に172安打を放ち、チームトップの打率.318をマーク。2年連続Bクラスに沈んでいた巨人は、谷さんの加入から3連覇を果たしました。

 ある程度、実績があっての移籍だったので「活躍して当たり前」というプレッシャーはもちろんありました。ただ、右足の故障もよくなりつつあったので、自分としてはいい状態で試合に臨めました。巨人は野球をやる環境が最高にいいです。それは、伝統的にスタッフを含め全員が「優勝を狙う」という同じ方向を向いているからです。

これはスポーツ紙記者も取材をしていて顕著に感じるそうです。それにしても、長いペナントレースを1年間戦ってきて、「落としてはいけない試合」を勝ちきって優勝するということは、格別の思いがありましたね。

── 2009年には自身初となる日本一も経験されました。

 もともとオリックスを逆指名したのも優勝したかったからです。オリックスでの10年間、惜しい時(97年2位)もありましたが、巨人で初めて"優勝の美酒"に酔いました。野球の楽しさが一気に変わりましたね。

やはり「優勝はするものなんだな」と、あらためて実感しました。優勝をかけた試合で打席に立つことは、プレッシャーはかかりますが、自分を成長させてくれます。

── 高橋由伸さん、アレックス・ラミレスさん、長野久義選手と、外野手のライバルも多く存在しました。

 それはプロ野球に限らず、どこ世界でも競争です。とくにどの選手がライバルという意識はありませんでした。少々の故障では負けまいと、試合に出続けました。

【通算2000安打に72本届かず引退】

── 巨人に7年在籍し、その後、再びオリックスで2年間プレーしました。通算2000安打まで残り72本でしたが、41歳で現役引退。現役19年のプロ野球人生で一番うれしかったことは何ですか?

 通算2000安打はひとつの目標にしていたので達成したかったですが、野球は実力勝負の世界ですから。ただ、古巣・オリックスでプロ野球人生を終われたことは、本当によかった。思えば、幼い頃からプロ野球選手になるのが夢だったので、一番うれしかったのは"プロ初打席"です。97年5月11日の近鉄戦に8番・センターで出場し、小池秀郎投手からセンターフライだったのですが、やっとプロになれたと......うれしかったですね。

── 素朴な疑問ですが、夫婦揃って「五輪メダリスト」というのはどんな感じでしょうか。

 僕も妻(亮子夫人)も、メダルは実家に置いています。その時はうれしくても、終わったら「次の目標」です。振り返ることはないですし、必要もないと思っています。

── 現在は、社会人野球の東芝でエグゼクティブ・アドバイザーを務めています。近い将来、プロ野球のコーチ、監督の声がかかる可能性があります。谷さんにとって、一番影響を受けた指導者はどなたでしょうか。

 仰木彬監督ですね。「データの活用」「野球における勘」「人を見る目」がすごい。仰木監督のような指導者になりたいと考えています。現在はアマチュアを指導していますが、選手には「打席に入る雰囲気を大事にしなさい」と伝えています。なぜなら、練習に基づいた技術と自信が確かなら、その雰囲気もつくれるということです。

── 走攻守の各分野ですばらしい実績を残されました。すばらしい後進を育成されることを期待しています。

 ありがとうございます。


谷佳知(たに・よしとも)/1973年2月9日、大阪府生まれ。尽誠学園高から大阪商業大、三菱自動車岡崎に進み、96年ドラフト2位でオリックスに入団。2年目からレギュラーとなり、02年に盗塁王、03年に最多安打のタイトルを獲得。06年に巨人に移籍し、勝負強いバッティングで2度の日本一に貢献。14年にオリックスに復帰し、通算2000安打まであと72本に迫りながらも、15年に現役を引退した