平田良介インタビュー(前編)

 大阪桐蔭高から鳴り物入りで中日に入団した平田良介氏だったが、レギュラー定着までには時間を要した。それでもプロ初本塁打が代打サヨナラ、2試合連続サヨナラ本塁打など、神がかったバッティングでファンを魅了。

2022年シーズンを最後に、34歳の若さで引退した平田氏に野球人生を振り返ってもらった。

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清原和博以来の1試合3本塁打】

── 平田さんは中学時代からかなり有名な選手で、中村紀洋さんのファン、そして大阪桐蔭高では1年夏からレギュラーとして活躍していたと?

平田 間違った情報が伝わっているようですね(笑)。中学時代は全国大会に出たこともないですし、ずっとイチローさんの大ファンでした。大阪桐蔭に進んだのは、練習を見に行った時に監督、コーチが熱心に指導されていて、とても活気があったからです。1年夏はベンチ入りこそしていましたが控えです。ただ、5回戦のPL学園戦は「3番・ライト」でスタメン出場しました。

── 1年秋から4番に座り、高校通算70本塁打を記録するわけですが、2年春のセンバツ大会2回戦で、1歳上のダルビッシュ有投手がエースの東北高(宮城)と対戦したのですね。

平田 僕は1回戦の二松学舎大付戦(東京)で甲子園初本塁打。ダルビッシュさんは同じく1回戦の熊本工戦でノーヒット・ノーラン。僕自身、いい状態で試合に臨めましたが、人生で初めて"本物のスライダー"を見ました。4打数ノーヒットに抑えられ、試合も2対3で敗れました。

── 高校3年夏の甲子園では、準々決勝の東北戦で1984年の清原和博さん以来となる1試合3本塁打。

平田 あの試合は前日に首を寝違えて、余計な力が入らなかったのがよかったのでしょう。

また祖父の命日でもあり、おじいちゃんが力を貸してくれたのかもしれません。

── つづく準決勝では、田中将大投手を擁する駒大苫小牧高(南北海道)と対戦しました。

平田 1学年下の田中に3打数ノーヒット、2三振を喫しました。ストレートが速くて、スライダーもすごく曲がっていました。ウチのエースは辻内崇伸だったのですが、延長10回、5対6で敗れました。

── 大阪桐蔭はプロに進む選手が何人もいます。

早いうちから同級生同士で「どこの球団が希望?」などと、将来の話はするのですか?

平田 プロの話は一切しなかったです。どうやって試合に勝って、甲子園に行くかという話ばかりですね。最後の夏が終わってから、同級生の仲間内でどこの大学に行くとか、どこの社会人チームに入るとか、進路の話をするなかで初めてプロ野球が出てくる感じです。

── 平田さんがドラフトされる2005年は、「高校生」と「大学・社会人」が分かれた初の"分離ドラフト"でした。

平田 同期の高校生ドラフト1巡目は、辻内(巨人)、陽岱鋼(日本ハム)、村中恭兵(ヤクルト)、山口俊(横浜)、炭谷銀仁朗(西武)、T−岡田(=貴弘/オリックス)などです。結構みんな活躍しましたが、いまだNPBで現役を続けているのはT−岡田と炭谷だけ。

個人的には、炭谷とこの年3巡目でヤクルトに指名された川端慎吾とは仲がいいです。

── 大阪桐蔭といえば、高校球界屈指の強豪校です。印象に残っている練習は?

平田 毎日の"山ラン"ですね。学校が生駒山のふもとにあって、グラウンドは山の上にあります。徒歩で片道35分の距離にあり、2、3年生はバスで移動するのですが、1年生はバスが到着する前に走って山を登りきり、先輩の荷物をおろすわけです。いま思い出してもキツかったですね。

【プロ初本塁打は代打サヨナラ】

── プロ1年目は2試合の出場で、2打数ノーヒットでした。

平田 プロ初対戦は横浜の木塚敦志さんで、三塁ゴロでした。高校時代からチームメイトの辻内の150キロを超すストレートを見ていたのですが、同じ150キロでもプロの投じる球は速く感じて、質の高さに圧倒されました。中日で言えば、川上憲伸さん、岩瀬仁紀さんのストレートはすごかったです。

「守備が一番うまいのは平田だ」高校通算70本塁打の平田良介が落合博満監督から評価されたのは打撃ではなく守備だった
2018年にゴールデングラブ賞を受賞した平田良介氏 photo by Sankei Visual
── プロ2年目の2007年の日本シリーズ第5戦、山井大介さん、岩瀬さんの"継投・完全試合"のゲームで、2回に犠牲フライを放っています。結果的にこれが決勝点となり、チームは53年ぶりの日本一を達成しました。

平田 あの試合は「7番・センター」でスタメン出場しました。

相手投手はダルビッシュさん。とにかくバットに当たってくれという感じで振っていました。もしスライダーだったら打てていなかったと思います。ダルビッシュさんのボールがまったく見えていなくて、2打席目、3打席目は三振ですから。まぐれで当たりましたね。ただ、ハワイの優勝旅行は前日の練習中に捻挫をして、辞退というオチがつきました(笑)。行きたかったですね。

── プロ3年目の2008年、プロ初アーチは横山道哉投手(横浜)から放った"代打サヨナラ本塁打"です。2011年には2試合連続サヨナラ本塁打(西武・野上亮磨/ロッテ・薮田安彦)をマークしています。

平田 打った球はスライダーでした。プロ初本塁打が「代打サヨナラ」というのは、史上7人目だそうです。2試合連続サヨナラ本塁打は史上8人目で、中日では初めてだったそうです。西武戦の時は井端(弘和)さんから「スライダーが来ると思うよとアドバイスを受け、狙っていました。ロッテ戦では「ホームランは嫌だろうからアウトコースに来るだろう」と、外のボールにヤマを張っていました。2011年は初の月間MVPを受賞し、プロ入り初の4番に座るなど113試合に出場。6年目にしてプロでやっていける自信めいたものをつかみました。

【落合監督に評価された守備力】

── 平田さんの「打撃論」をひと言で表現すると?

平田 高校時代の印象から"ホームランバッター"のイメージを持たれやすいのですが、自分では"中距離ヒッター"だと思っています。どのコースでも引っ張りにいって、結果的に打球は逆方向にもいく広角打法をイメージしていました。

── 2004年から監督を務める落合博満さんから打撃のアドバイスを受けたことはありましたか。

平田 落合監督からは「天井を見て振るな」とよく言われていました。僕は体の開きが早くなることがあったので、投手の足元に打ち返すイメージを持つことで、それを防げる。しっかりバットを振って三振ならいいのですが、当てにいく打撃をすると代えられていた記憶があります。

── 落合監督の野球を選手サイドからはどう見ていましたか。

平田 落合監督は2011年限りで退任が決まっていても、泰然自若で焦っているところを見たことがありません。常に先を読んでいる気がしました。落合監督の野球をひと言で言えば、「合理的な野球」。まず選手一人ひとりに役割を与えます。そして選手は「これだけは絶対にやらないといけない」ということを、自分で気づかないといけないのです。わかりやすく言えば、荒木(雅博)さんと井端さんは二遊間をしっかり守って、1、2番打者として出塁することです。

── 平田さんの役割は?

平田 僕のメインは守備と走塁です。「守備が一番うまいのは平田だ」と言ってくれていたので、守備でミスをするとファームに行かされました。落合監督は、現役時代は三冠王に輝き、監督としては投手を中心とした守りの野球がクローズアップされますが、走塁面でも「捕手からピックオフプレーがない場面で、わざわざベースまで戻らなくていいだろう」と、打つ、守るだけでなく、野球の細かなところまで気を配る方だなと感じました。

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平田良介(ひらた・りょうすけ)/1988年3月23日、大阪府生まれ。大阪桐蔭高では1年秋から4番を務め、3年夏の甲子園準々決勝で1試合3本塁打をマーク。2005年高校生ドラフト1巡目で中日から指名を受け入団。入団後はなかなかレギュラーに定着できずにいたが、11年に113試合に出場し、14年に初めて規定打席に到達。15年にはベストナインを初受賞した。16年には主将に任命され、翌17年はWBC日本代表に選出。22年シーズンを最後に現役引退。現在は解説者の傍ら、エースファクトリーベースボールクラブに入団し軟式野球に励んでいる。