3月2、3日の両日、台湾初のドーム球場「台北ドーム」の完成を祝して、巨人が球団史上初の台湾遠征を行なった。台湾での巨人の人気は絶大で、地元のチームはもちろん、メジャーリーグのチームさえ敵わないほどだ。

 今回の遠征でも大フィーバーを巻き起こし、事前に報道関係者にしか伝えていなかったにも関わらず、桃園国際空港にはナインを出迎えるファンが多数押し寄せ、パニック状態になった。

 巨人は地元・台湾の2チームと対戦。初戦の相手は、リーグ創設時からの名門・中信兄弟。そして2戦目が日本との交流に力を入れている楽天モンキーズだ。その楽天モンキーズのなかに、誰よりもこの巨人との対戦を待ち望んでいた選手がいた。

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【昨シーズン首位打者を獲得】

「日本チームとの対戦は、ほかのオープン戦とは全然違いますね。シーズンの公式戦とは違いますが、勝ちにいきます。

2月にも宮崎に行ってソフトバンク、オリックスとも試合をしましたけど、こっちは本気でした」

 そう語ったのは、昨年の台湾プロ野球の首位打者に輝いた梁家榮(リャン・ジャーロン)だ。オリックスとの試合では東晃平や田嶋大樹といった主力投手からヒットを放つなど、チームの勝利に貢献した台湾の「打撃王」は、高校時代を日本で過ごしている。

「父が草野球をやっていて、子どもの頃から自然と野球をするようになりました」

 小学3年で野球を始めたという梁の視線は、その頃から日本に向けられていた。父の贔屓チームは巨人で、その影響で梁もファンになった。台湾プロ野球の試合にも連れていったもらったことがあるが、あまり印象に残っていないという。

「巨人の選手の名前はたくさん知っていますよ。

ペタジーニ選手とか。江藤(智)さんは広島から来たんでしたっけ? それにクロマティ。バースは阪神でしたね(笑)」

 名前を挙げていくうちにV9時代のエース・堀内恒夫の名前が出てきたのには驚いたが、往年の名選手の名前が出てくるのは、父親の影響が強かったからだろう。一番のお気に入り選手は、同じ内野手の二岡智宏(現・巨人ヘッド兼打撃コーチ)だった。

 梁は野球を始めると、すぐにチームで1、2を争う選手になった。選抜チームに選ばれ、憧れの日本の地も踏んだ。

その時、初めて日本のプロ野球を観戦したのだが、場所は巨人の本拠地・東京ドームではなく、ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム)だった。対戦相手や試合内容はまったく覚えていないというが、球場内が商店街みたいだったことと、空調が効いていたことは忘れないと笑う。

「通路にお店が並んでいて、こんな涼しい球場があるなんて......びっくりしました」

甲子園を目指し高知中央に進学】

 中学に進み、高校進学を考える頃になると、日本行きが現実の目標として浮かんできた。これは台湾の野球エリートが通る道である。

 梁が進学先に選んだのは、学校改革の一環でスポーツに力を入れ始めた高知中央高だった。明徳義塾や高知、高知商といった強豪校があるなかで、あえて新興校に進むことに父は顔をしかめたそうだが、チームの先輩がいたこと、また留学生を積極的に受け入れていたことが決め手となった。その先に、日本のプロ野球選手になるという夢があったのは言うまでもない。

 とはいえ、その先輩はすでに学校を去っており、留学生がいるとはいえ台湾人は梁ひとり。なかなか日本語も身につかず、ホームシックにもなった。

「最初は"ワカリマセン"しか言えませんでした。授業も、スウガク、ニホンシ、セカイシ......先生が黒板に書いても、さっぱりわかりませんでした」

 それでも放課後のグラウンドは梁の独壇場で、入学後はすぐにレギュラーポジションを獲得した。しかし"野球王国"高知の壁は厚く、甲子園出場は果たせなかった。

 2年生が終わると、梁は台湾に帰ることにした。

日本と台湾では、学校のスケジュールが違う。そのまま日本に居続けると、8月の学年終了に合わせて7月にドラフトを行なう台湾では、空白期間が生じてしまう。要するに、高校卒業後の進路を考えた時、梁の手に届く「プロ野球」は日本ではなく台湾だと自覚するようになった。

 帰国後、高苑工商に転校すると、2013年ドラフトでラミゴ・モンキーズから1位指名を受け、プロ入りを果たすことになる。

 だが、順風満帆とはいかなかった。1年目は1試合だけ一軍で出場し、3打数2安打と素質の片鱗を見せたものの、その後が続かなかった。

二軍では早々に首位打者を獲得したが、一軍ではなかなか結果を残せなかった。

 選手層が決して厚くない台湾では、一軍、二軍のレベルの差だけでなく、同じ一軍でもレギュラーと控えの差は大きい。それに加えて、観客のほとんどいない二軍とは違い、一軍は大音響の熱烈な応援が繰り広げられ、梁は力みからパフォーマンスを発揮できなかった。

「台湾では、試合の時のヤジとかはないんです。その代わり、SNSがすごいんです。ミスをすると、スマートフォンがすごいことになります。ちょっとひどいですね(笑)」

 一軍の注目度の高さは、梁にとって大きなプレッシャーとなった。

 そんな梁が一躍注目を集めたのが、2015年のアジアウインターリーグだった。台湾で開催され、日本、韓国などのプロリーグの選手を集めて行なわれる教育リーグで、当時ルーキーだった岡本和真(巨人)も参加していた。そこで梁は打率.476を記録し、首位打者に輝いた。

 そして昨年、正真正銘の首位打者に輝いた梁だが、その一方で岡本は巨人という枠を超え、世界一に輝いた侍ジャパンの主力打者へと成長していた。

【かつては森友哉や高橋光成と対戦】

 試合当日、巨人より先にドームに入り、練習を終えていた楽天モンキーズナインのなかでも、梁はとりわけ興奮を隠せずにいた。憧れの巨人の選手たちがフィールドに入ってくると、梁の目は少年のように輝いていた。

 打撃練習が始まると、少年時代の憧れだった二岡コーチがバッティングゲージの裏に姿を見せたが、「ちょっと無理っすね」とあいさつに行きたくても足が動かない。台湾メディアの共同記者会見に臨んだあと、一旦ダグアウトに退いた。

 その数分後、ウォーミングアップを終えた岡本がバッティング練習のため姿を現した。チームスタッフからそのことを聞いた梁は、慌ててフィールドに飛び出し、岡本の姿を探した。そしてチームメイトの打撃練習を眺める岡本に声をかけ、あいさつを交わした。積もる話があったのか、自分の番が来たためゲージに入った岡本の打撃練習を眺め、それが終わると再度話に花を咲かせていた。

「台湾の打撃王」が巨人・岡本和真との再会に興奮 かつて甲子園を目指した梁家榮の次なる夢
練習中、岡本和真(写真左)と談笑する梁家榮 photo by Asa Satoshi
 ベンチ前に戻ってきた梁にどんな会話をしたのか尋ねると、詳しくは教えてくれなかったが、自分のことを覚えていてくれたことに感謝していた。

 試合は、楽天モンキーズの投手陣が踏ん張り得点を与えなかったが、打線もチャンスこそつくるがランナーを還せず、0対0の引き分けに終わった。

 2番・セカンドでスタメン出場した梁だったが、楽しみにしていた菅野智之との対戦は2打席とも凡退に終わった。ともにスコアリングポジションにランナーを置いての打席だったが、1打席目は初球を狙うが内野フライ。ランナーふたりを置いた第2打席は快音を響かせたセカンドに転がったが、吉川尚輝がさばき、ファーストの岡本に転送されたアウトとなった。

 シーズン前の調整段階ということもあり、3打席を終えたところで途中交代となった。梁にとっての夢の舞台は、あっという間に終わってしまった。

 梁は高知中央高から台湾に戻ったあと、地元で開催されたU18ワールドカップに出場している。その時に対戦した日本チームのメンバーは、今や球界を代表する選手ばかり。森友哉、若月健矢、山岡泰輔(オリックス)、高橋光成(西武)、松井裕樹(パドレス)ら錚々たる顔ぶれだ。

 以前は日本球界でのプレーを希望していたという梁だが、すでに妻子を持ち、現在28歳。夢は封印し、母国・台湾の野球を盛り上げていくつもりのようだ。

「契約や条件にもよりますが、今は外国でプレーすることは考えてないです。台湾の野球のレベルがもっと上がるために頑張っていきたい」

 巨人との対戦で、梁に台湾野球を世界のトップレベルに押し上げるという新たな夢が芽生えてきた。