女子100mハードルは陸上日本選手権の最注目競技に 急成長の...の画像はこちら >>

今年の陸上日本選手権の「トリ」を飾った女子100mハードル決勝。ファイナリストそれぞれの背景、珠玉の優勝争い、レース後にトラック上で表れた切磋琢磨する選手たちの繋がりを示す情景を含め、記憶に残るさまざまな要素が凝縮されていた。

最後の日本選手権として臨んだ寺田明日香(ジャパンクリエイト)の存在感、初優勝を遂げた田中佑美(富士通)のみならず、遅咲きの輝きを放ち2位に入った中島ひとみ(長谷川体育施設)、苦しい状況を乗り越えながら3位となった福部真子(日本建設工業)も印象深いレースを展開した。

【大会を締めくくる最終レース後の情景】

 毎回、最も注目されるレースが大会最終日の最終種目に組まれる日本選手権。今大会、その種目となったのは、女子100mハードル決勝だった。

 実際、決勝レースは大会を締めくくるにふさわしい1000分の3秒差で雌雄を決する熾烈な優勝争いとなった。だが、このレースにはもうひとつの意味があった。史上初めて13秒の壁を破る日本記録を更新した寺田明日香と日本歴代6位の12秒94を持つ清山ちさと(いちご)が、最後の日本選手権と明言していたことだ。

 レース結果の最終確定は、3分近く時間を要した。その間、ファイナリスト8人はトラック上で輪になって座り込み、電光掲示板を見守っていた。

 その輪の中心にいたのは、6位となる寺田だった。2019年に約6年のブランクを経て競技に復帰。その1年目のシーズンに19年間未踏だった日本記録を史上初の13秒の壁を破る記録で更新して以降、この種目を世界レベルに押し上げる立役者として走り続けてきた。多くの選手が寺田の背中を追い続け、種目の隆盛を醸成。そうした背景を踏まえ、多くの選手が寺田への敬意を、「輪」となって表現していたのだろう。

「それぞれの順位やタイムがあるから、『もっとそっちを気にしなよ』と言ったけど、みんな寄ってきてくれるっていうのは逆に恐縮しちゃうくらいでした。それくらいの存在だと思ってくれるというのは本当にうれしい。私が選手をやめてからもきっとなにかしらでつながっていくことだと思う」(寺田)

 結果的に中島ひとみを0秒003差で抑え12秒852で大会初優勝を決めた田中佑美は「表示がもたついているのは気がついていたけど、終わったあとにどれだけ考えても記録は変らないので。それよりも空いた時間を、皆さんと特別な気持ちでシェアできたので、そっちの時間を優先した感じです」と笑顔で振り返る。

女子100mハードルは陸上日本選手権の最注目競技に 急成長の中島ひとみ、地力アップの福部真子も存在感
初優勝を飾った田中佑美(左)とこの種目の隆盛を促進させた寺田明日香 photo by Nakamura Hiroyuki

【2位・中島の遅咲きの輝き】

 技術的なことも包み隠さず、みんなで情報を共有していたという100mハードルの選手たちの、心のつながりの深さも見せてくれたレース後の情景。安定した走りを見せ続けている田中の初優勝は意味のあるものだったが、同時に2位の中島の急激な成長、3位に入った日本記録保持者・福部真子のしたたかな強さも印象的だった。

 中島と福部はともに29歳。前日に行なわれた予選と準決勝で、最初の予選で強烈な印象を残したのは中島だった。3組に登場すると、向かい風0.2mの条件のなかで日本歴代2位タイの12秒81を出したのだ。

 現在、12秒台の自己ベストを持つ7名のなかで、中島は最も遅い昨年9月に12秒99を出した選手。今年は4月の織田記念予選1組で12秒97を出して田中に次ぐ2位になると、田中が右足の違和感で棄権した決勝では追い風1.8mの中で12秒93と記録を伸ばし、清山を0秒01抑えて優勝した。

「日本代表になりたいという意識を持ちながらも、12秒台を出せていないことに大きく引っかかるものがあったが、去年の12秒台が足掛かりになった。そこでスパンと晴れたような気持ちになれ、『絶対に世界陸上に出たい』と思ったし、中学生の頃の『日本一になりたい』と思っていた、燃えるような気持ちを久しぶりに持って冬期練習にも励めた。

3月には初めて海外遠征でニュージーランドとオーストラリアに行っていい経験を積むことができました」

 こう話す中島は織田ではライバルの存在も念頭に置き、「まだ確実な優勝っていうわけではないことも、自分ではわかっている」と話していた。それでも5月のゴールデングランプリでは、海外の強豪もいるなかで12秒85と田中に次ぐ4位になり、着実なステップアップをしていた。

 その進化の要因は、ハードルに向かって踏み切りのタイミングを変えたこととパワーアップだと話す。予選でのハードル間の刻みの走りは、ほかの選手と比べてもキレと力強さは圧倒的だった。織田記念以来の試合ごとの進化を見れば、得意の追い風条件になれば確実に12秒7台に入れる力はつけているといえるだろう。

【苦しい状況で3位を掴み取った日本記録保持者・福部】

 そんな中島と同じように、福部も予選から圧巻の走りを見せていた。昨年は7月に12秒69の日本記録を樹立し、パリ五輪では準決勝進出を果たしていたが、12月に組織球性壊死性リンパ節炎の「菊池病」を発症して治療中であることを明らかにしていた。

 さらに1月には膝を痛めて3週間走れない時期もあり、4月29日の織田記念は欠場。今季初戦となったゴールデングランプリは13秒12で7位と不安を感じさせていた。だが、日本選手権は予選で12秒84を出すと、その2時間後の準決勝では無風の条件で、昨年自身が出した大会記録に並ぶ12秒75で2位以下をぶっちぎる強さを見せた。

病気に関しては「微熱は出るが、38度までいかないので2~3時間横になっていれば熱が治まるっていう状態。もう37度を平熱として捉えてやっていくしかないと思ってやっています」と言う。

 そのなかで「ハードルを跳び始めたのも6月20日からで、計画どおりにはいかなくて不安はあったが、走っている感じでは(12秒)7台の走りではなかったので記録を見てびっくりした。でもウェイトトレーニングと低酸素でバイクを漕いだり、加圧トレーニングなどでエンジン自体は大きくしてきた。走る練習ができてなかったのですごく不安だったけど、思ったより地力がついているなというのは感じられた」と話すように、これまでより体幹のパワフルさが数段増しているような走りだった。

「寺田さんと清山さんが、今回が最後の日本選手権と聞いていたので、何がなんでも決勝の舞台で一緒に走りたいというのもありました......。やっぱりゴールして、ふたりの顔を見たら、もう寂しくなっちゃって涙が止まらなくなった」

 今回の日本選手権への思いをこう話す福部だが、「体調のこともいろいろあって、この試合自体は8番に入ることを目標に入ってきたが、予選で思いのほか、タイムがよかったので欲が出て準決勝は狙いにいってしまった。でも試合に出ていなかったし、練習強度が高いものが積めていなかったので、次の日になってダメージという形で出てしまった」と、決勝は膝の違和感があるなかでの走りになって全力は出せなかった。

 それでも12秒93で3位。「予選と準決で地力自体は上がっているなと確認でき、決勝のタイムで、最低でも9台前半や84、75というのはいつでも出せる状態にあると確認ができたのでよかったと思う」と評価する。

「8月に(世界陸上の参加)標準記録突破を目標にしているので、しっかり減量して走る練習も積めればさらなる記録更新もできるはず。去年までは12秒60までが自分のなかで限界かなと思っていたが、5台中盤辺りは確実に出そうだと準決勝の走りで見えてきたので、収穫のある試合でした」

 優勝した田中は9月の東京世界陸上の出場資格の対象となる世界ランキングでは、今大会の結果が入る前の時点で25位と安全圏内にいるが、出場枠40名の圏外にいる福部と中島は世界陸上出場を確実にするためには12秒73の参加標準記録突破が必須だ。ふたりはこれから記録の適用期間である8月24日までに、その記録を目標にしていく(決勝進出者8人に世界陸上出場の可能性は残されている)。

 その挑戦は「まだ世界にはもう一歩」という状態の日本女子100mハードルのレベルをさらに一段引き上げる原動力になるとともに、13秒0台に入っている若い選手たちの力を引き上げるための戦いにもなるはずだ。

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