近年、日本の女子100mハードルが飛躍的にレベルアップを遂げている。
12秒台への扉が開かれたのは、つい6年ほど前。
そのうち寺田明日香(ジャパンクリエイト)、清山ちさと(いちご)が今季かぎりで競技を退くことを表明し、この7人がそろうのは今年の日本選手権が最後。もちろん今後も新たな12秒台は登場するだろうが、今回は間違いなく「史上最高レベル」の顔ぶれの日本選手権になった。
そのなかで日本選手権を迎えた時点において、今季のシーズンベストで最もいい記録を持っていたのが田中佑美(富士通)だった。「毎年、日本選手権は違った緊張感がありますが、もしかしたら年々、緊張感が高まってきているかもしれません。
最初は『新星』と言われて日本選手権に臨み、(社会人)2年目は順位というより自分自身、記録との戦いでした。今回は人との戦い。そのうえ、選手層はより厚くなっています。
今季はシーズンベストが一番ということもあって、注目していただいているのを肌で感じています。今まで先輩方が背負ってこられた重圧ってこういうもんだったんだな、と思っています。みなさんみたいに、しっかり跳ね返せるようにがんばりたいと思います」
今秋の東京世界選手権の日本代表の座がかかった一戦というだけでなく、優勝候補筆頭として迎えた日本選手権。そんな言葉を口にしていたように、田中はその重圧とも戦っていた。
田中は予選から好調だった。
「競技場のなかの気温がかなり高く、冷房が効いているウォーミングアップ場とは湿度と気温の差がかなりありました。競技場に入った時に体の鈍さみたいなものはありましたが、それが気温のせいなのか、緊張のせいなのかわかりませんでした」
このように振り返るが、予選第1組に登場すると、連日30度を超える悪コンディションをものともせず、12秒95(風+0.1/以下同)といきなり12秒台をマーク。組トップで準決勝に駒を進めた。
【決戦前夜に頭をよぎった負の想像】
だが、ライバルたちも負けてはいなかった。
日本記録保持者の福部真子(日本建設工業)は第2組に登場。今季は菊池病(組織球性壊死性リンパ節炎)という病を抱えながら競技に取り組んでいるが、予選では12秒84(+0.6)と、田中の記録を上回った。
さらに第3組では、今季好調の中島ひとみ(長谷川体育施設)が12秒81(-0.2)と、福部の予選の記録どころか、田中の自己記録を上回る日本歴代2位の好記録を叩き出した。
第4組でも、寺田が12秒94(+0.3)と、田中よりも速いタイムで走った。
好記録が続出し、優勝どころか、3位以内に入ることさえも決して簡単ではないことを予感させた。
田中は、東京世界選手権に向けたワールドランキングで出場圏内におり、日本勢で最上位につけていた。
世界選手権の出場資格を得るには、参加標準記録(12秒73)を破るか、ワールドランキングでターゲットナンバー(出場できる人数の上限)の40人以内に入らなければならない。だが、出場資格を得た選手が複数名いる場合、日本選手権の成績が優先されるため、なんとしても3位以内に入っておきたかった。
ただ、田中は「ほかの選手がどうなっているか、情報を入れないようにしていた」と言い、自分のレースに集中していた。
続く準決勝では、先に福部が12秒75(0.0)の大会タイ記録を打ち立てた。その後に登場した田中は、好調の中島に競り勝ち、12秒80(-0.1)の自己新記録を打ち立てて組1着で決勝進出を決めた。
その日の夜。翌日に決勝を控え「ちょっとでも気を抜いたら、自然とレースのことを考えてしまっていた」と言う。
「勝ったことがなかったので、勝つ想像があまりできなくて、レース展開を想像すると、必ず自分が負けていた」
そんな負の想像を何度も、何度も振り払い、自分の走りだけに集中するように努めた。
【勝てる時に勝つことの難しさ】
そして迎えた最終日。女子100mハードル決勝は最終種目として行なわれ、大会の大トリを飾った。
スタートから飛び出したのが4レーンの田中だった。右どなりの福部を常にリードし、そのままトップでフィニッシュに駆け込むかと思われた。しかし、7レーンの中島が終盤に猛烈な追い上げを見せ、ふたりは並ぶようにフィニッシュラインに駆け込んだ。
記録が確定するまでには時間を要した。その間には電光掲示板に確定前の結果が表示され、勝者が二転三転し混乱を招いた。
「本当に集中していたので、自分が何番だったかわかっていませんでした。最初に自分の名前が出たあと(中島)ひとみさんが(1位と)表示されたので、見えないところで抜かれたんだろうなって思っていたら、また繰り上がって自分の名前が出て、驚いてうれしかったです」
フィニッシュから約3分後、1位に再表示されたのは田中の名前だった。
記録は100分の1秒単位では同タイムながら、着差あり。1000分の1秒単位で計測され、田中が12秒852で中島が12秒855と、わずかな差での決着となった。
「力を出しきったレースになったので、よくはないけど、1番でも2番でもいいかっていう気持ちでした」
こう振り返るが、これが田中にとって初めての日本選手権のタイトルだった。
「私は、どちらかというと、そういったタイトルを逃してきたタイプなので、勝てる時に勝つことの難しさを知っている。だからこそ、不安がたくさんあったんですけど、それをひとつ乗り越えることができたと思います」
ついに辿りついた悲願だった。
今季の田中はスプリント能力に磨きがかかり、確実に「足が速くなった」という実感があった。しかし、それゆえの課題にも直面していた。
「トップスピードが上がり、後半になるとハードルが詰まってしまって、抜き足をぶつけてクラッシュしてしまう事例が2件ほど続いていた」
【世界で戦うための伸びしろ】
その2件というのが、5月29日のアジア選手権と6月1日の布勢スプリントだ。
優勝を狙ったアジア選手権では、後半にインドの選手に逆転されて2位に終わっていた。
「全力を出す怖さがあった。でも、全力を出さないと3位以内に入れない」
そんなジレンマを抱えて日本選手権を迎えた。
ただ、2度の失敗から練習で対策は講じてきた。「やるべきことは音が鳴ったら出ること」と、悩みを振り払って決勝に臨んだ。そして「ある程度、想定のスピード内で練習してきた抜き足ができた」ことが、日本選手権の初優勝につながった。
しかしながら、今回は勝負に徹した結果。解決の糸口は見えたものの、まだ課題は残ったままだ。
「自分のトップスピードのマックスが出せたかというと、そうではないと思います。トップスピードを出して、そこに対応しきることが、もう一段階、上に行くために必要だと思っています」
考え方を変えれば、世界で戦うための伸びしろと捉えることもできる。そのハードリングが完成した時、世界のファイナルも見えてくるのではないだろうか。
日本選手権の優勝で、ワールドランキングに反映されるポイントも7点加点され、世界選手権の日本代表がグッと近づいた。
「これで3位以内に入れなかったら、参加標準を切れるまで『帰れま10(テン)』が発生する予定だったんですけど(笑)。一応、一番を取らせていただいたので、今後は自分のベストなコンディションになるように、コーチと相談しながら決めたいと思います」
今後は国内で調整し、世界選手権に向かっていく。
初めて出場した世界選手権は2023年のブダペスト大会で予選7着に終わり、世界の壁に跳ね返された。
昨年のパリ五輪は敗者復活戦を勝ち上がり、準決勝に進出。一歩前進した。
そして今秋。まだ内定はしていないものの、3度目のシニアの世界大会ではどんな走りを見せてくれるだろうか。