連載・平成の名力士列伝52:隠岐の海
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、予期せぬ形で角界入りを果たし、上位キラーとしても存在感を放った隠岐の海を紹介する。
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【島根県出身者では121年ぶりの三役力士に】
島根半島から約80キロ離れた日本海に浮かぶ隠岐諸島の島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)に生まれ、もともとは航海士になるのが夢だった。地元の隠岐水産高校卒業後は、同校の2年制の専攻科に進学し、マグロ漁の実習船でハワイ沖まで航海した。
約3カ月の実習を終え、神奈川県の三浦海岸に着くと高校の先生から「八角親方(元横綱・北勝海)が来ている」と連絡を受けた。高校は相撲部に所属していたが、同親方は同校の別の相撲部員をスカウトするために来島していた。現地で「もうひとり、体の大きな子がいる」と紹介されたのが、のちの隠岐の海だった。
隠岐諸島では島内で慶事があったときのみ、全島を挙げて夜通しで隠岐古典相撲なる伝統行事が開催される。島内には至るところに土俵があり、隠岐の海も小学校に上がる前から廻しを締め、中学時代には隠岐古典相撲にも出場した。大相撲の力士になるつもりはまったくなかったが、八角親方の人柄に魅了され、平成17(2005)年1月場所、19歳で初土俵を踏んだ。
入門時で身長188センチ、体重122キロの堂々たる体躯の青年は、同期生でのちの大関・豪栄道、関脇・栃煌山、幕内・豊響らにも決して引けを取らない素質の持ち主であったが、出世は彼らの後塵を拝した。
平成22(2010)年3月場所、新入幕を果たすが、大器の片りんを垣間見せるのは年が明けた23年からだった。前頭13枚目で迎えた同年1月場所は、立ち上がりは2勝2敗だったが5日目から9連勝。
八百長問題による3月場所中止を挟み、一気に前頭4枚目に躍進した5月技量審査場所は、初の大関戦で魁皇を撃破したのを皮切りに日馬富士、琴欧洲と3大関を撃破して存在感を示したが、横綱初挑戦となった8日目の白鵬戦は全く歯が立たず。初の結びで雰囲気にも圧倒され「クソ田舎から出てきて、あの空気を味わえただけでも十分」と負けたことよりも感慨が勝ったコメントを残した。将来のホープはどこか無欲なところもあり、この場所は7勝8敗に終わった。
その後も幕内上位に定着し、前頭筆頭の平成24(2012)年11月場所は2日目に新横綱・日馬富士を小手投げでねじ伏せて初の金星を獲得。この場所は10日目から惜しくも途中休場となるが、2場所後の25年3月場所も全勝で突っ走る横綱・白鵬と優勝を争ったのは、前頭7枚目の隠岐の海ただひとりだった。
12日目、碧山を左四つがっぷりから寄り切って2敗を守ると「ここまで来たら欲を出したい。あと3日が楽しみです」と珍しく貪欲さを隠さなかった。13日目から2連敗で優勝争いからは脱落したが、11勝でこの場所唯一の三賞となる2度目の敢闘賞を受賞した。
翌5月場所は待望の新三役となる小結に昇進。島根県出身としては明治25(1892)年6月場所の谷ノ音以来、121年ぶりの三役力士誕生となったが、1場所でその座を明け渡した。
平成27(2015)年3月場所は新関脇に昇進。その後も三役には何度も返り咲くが、定着するまでには至らなかった。
【期待の裏返しだった"稽古嫌い"のレッテル】
恵まれた体格とスケールの大きさが魅力の逸材だけに、ファンは三役と平幕を行き来する未完の大器に、常に現状以上の結果と地位を求めていた。いつしか"稽古嫌い"のレッテルが貼られるようになったのも、期待の裏返しであった。そんな周囲の声について、本人はこう反論したこともあった。
「飲み屋で『もっと四股を踏め』と言われたこともあるけど、体つきは幼少期のぜいたくでこうなっただけで、稽古をしてないからじゃない。体質っていうのもあると思う」
やがて"のんびり屋"も奮起せざるを得ない状況に立たされた。前頭筆頭で迎えた平成28(2016)年9月場所初日は、綱取りを目指す大関・稀勢の里戦が組まれた。ここまでの対戦成績は隠岐の海の2勝16敗。
「ネットを見ていたら『隠岐の海はカモ』と書かれていた。調べたら『鴨が葱を背負って来る』とあった。そのまま鍋にできるから、利用しやすいと」
もろ差しで寄り切る完勝を果たすと2日目から鶴竜、日馬富士と2日連続で金星を獲得。
「周りが意識している感じ。その気になったら負け」と平静に努めたが、7日目は大関・豪栄道に敗れ、史上初の横綱&大関6人総なめはならず。優勝戦線に名を連ねるかと思われたが、9日目から5連敗と後半は大失速で9勝どまり。それでも文句なしで初となる殊勲賞受賞の活躍ぶりだった。
平成29(2017)年11月場所も同じ八角部屋の弟弟子、北勝富士とともに13日目まで横綱・白鵬を1差の2敗で追いかけ、14日目にともに敗れて逃げ切られたが、11勝で3度目の敢闘賞。令和元(2019)年9月場所は自身初の初日から8連勝で千秋楽まで賜盃を争い、11勝で4度目の敢闘賞を獲得した。
本人も予期せぬ形で角界の大海原に飛び込んで18年。令和5(2023)年1月場所中に37歳で引退したが、時に大きな荒波に揉まれながら大洋を渡りきった。"稽古嫌い"と言われたが、何度も優勝争いを経験した男が引退会見で見せた満面の笑みは、すべてをやりきった現役生活であったことの何よりの証明だった。
【Profile】
隠岐の海歩(おきのうみ・あゆみ)/昭和60(1985)年7月29日生まれ、島根県隠岐郡出身/本名:福岡歩/所属:八角部屋/しこ名履歴:福岡→隠岐の海→福岡→隠岐の海/初土俵:平成17(2005)年1月場所/引退場所:令和5(2023)年1月場所/最高位:関脇